2007年09月25日

第百五十九回「俳人meets紙芝居」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 というわけで、前回も書いたように高円寺の公園で紙芝居をやってきた。

 いわゆる吟行というやつで、たとえばよくあるのは神社仏閣・景勝地に行ってそこで出来た句を句会に提出するのだが、お誘いいただいた句会では、普通の吟行では行かないようなところへいったり、普通やらないような企画を毎回しているようで、前回は「かったくり」釣り(いわゆる釣竿をつかわず、糸を直接手で持って釣る)を体験したのだそうだ。

 で、今回は紙芝居。それも公園でやる。観客は句会参加者だけではなく、基本的には誰でもOKとなる。

 最寄駅に集合して、ゾロゾロと公園へ。ちょうど保育園の園児たちが遊んでいた。

 「これから紙芝居をやるからよかったらご覧ください♪」

 と声をかけたら前列に元気な園児たち(年長さん)が集まってくれた。このくらいの年齢のお子様をこれだけの数前にするのは久々だったので非常に楽しかったのだが、最初にやったクイズも次にやった「黄金バット」も、ちょっと難しかったかもしれない(黄金バット悪者みたい〜としきりにいっていたw)。

 「黄金バット」の後でお昼を食べに園児たちが帰っていってから、もうひとつ「少年放浪記」をやった。これは肉筆紙芝居(原画)なので、そのあたりの説明もしつつやったのである。こちらも上演は久々で、でも青空(当日は暑いくらいだった)の下、なかなかよい気分でやることができた。

 昼食をはさんでいよいよ句会。ボクは初体験で、一応大体の流れは話には聞いていたものの、ドキドキものだった。一人五句提出。もちろん、今日の紙芝居以外の句でもよいのだが、やはり出された句は紙芝居のことを読んだ句が多かった。ボク自身は、自分が上演した、ということもあるがなかなか紙芝居自体を詠むことが出来ずに、見ているお客さんの姿や、紙芝居のおともに用意された水アメのこと、上演後に子供たちに太鼓を叩いてもらったときのことなどを詠んだ。

 参加者全員が句を出すと、選句をする。ビギナーズラックで、ボクの句は五句中四句選んでいただいた。

 他の方の句を読んでいて改めて認識したのは「運命やいかに」といういわゆるお決まりのセリフである。「続きは明日のお楽しみ」というのはもう飽きるくらい色んなところでいっているわけだが、「運命やいかに」は続き物のラストで必ずいっているはずなのに、上演中以外は「紙芝居」に関連した言葉として頭に浮かんでこない。

 でもそれを改めて俳句の中で拾い上げてもらうと、とても新鮮な驚きがあった。

 そうそう、オレこんなこといってるなあ。

 そんな風に思ったのだ。今更すぎるほど今更なのだが。

 でも実はとても重要な「気付き」だったのではないか、と句会の興奮冷めやらぬ今、思っていたりするのである。

 ……

 さて、三年間にわたりダラダラ駄文で毎週お目汚しをしてきたこのコラムも今回が最後であります。毎週毎週締め切りギリギリでスタッフの方にはご迷惑をおかけしました。この間、インターネットラジオやったりテレビや雑誌に取り上げてもらったり、色んなことがありました。これからも色んなことがあるでしょう。

 もし今後、直接お会いするようなことがあったら小声で「コラム読んでました」といってください。どんなに偉そうな顔でふんぞりかえっていてもたちまち赤面してうつむいてしまうでしょうw

 本当に長い間、ありがとうございました。

 最後も、この言葉でしめたいと思います。

 つづきは明日のお楽しみ!

2007年09月24日

第129回『ほな、また』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 さて、先週まで実に2年半の間、1回も休まずに書き続けてきたこのコラムは、本日を持って終了するんだそうです。ちゃんと、その辺りのところはコンテンツの運営をされている方からご挨拶があるはずなので、ここへは書きません。

 開始当初からずっと読んでくださっている方や、コメントを下さった方々、最初っからじゃないけど、たまに楽しく読んでるぜ、という方。いろんな、応援していてくださった沢山の方々に、「ありがとう」と伝えたい。

 久しぶりに覗いて、「え?!終わっちゃったの??」と思われたかた、ごめんなさい。だって終わりは突然のほうがいいと思うのです。そしたらまた、突然再会できるかもしれません。ヌルッと終わると、次に逢うのが気恥ずかしいでしょう。

 普通に、やはり何事も無くコラムを書く、というコトも考えたのですが、性格上ケジメのないのが気持ち悪くてどうしようもなく、いっこうに筆が進まなかったのです。

 ワタシはお芝居をやっているけれど、こういうトキにどうにもウソがつけません。だからこんな、手紙のようなエッセイのような、そんな体裁になってしまっているのですが、今日だけは許してください。

 いいコトを言おうとしても、そのどれもがウソ臭く、白々しい。ワタシのコラムを読んでくださっていた皆さんならば、この感覚は感じとってもらえるのじゃないかな、といいように解釈しています。

 良くも悪くもとても自由に書かせてもらった2年半、すごく贅沢でステキな発表・交流の場になりました。“カタカナ表記の多用“なんていう、ワタシ独特の手法もできました。
 だからこういった場を与えてくださった、コンテンツのスタッフにもとても感謝しています。

 コラムが終了しても、ワタシの演劇人生は続きます。ジブンの人生ですから、変な不可抗力が無い限りは、自転車をこぎ続けます。

 途中、パンクしたりお尻から血が出たり、空気が抜けたりサイドカーがついたり羽根が生えたりするコトもあるでしょうが、そこは自転車。
 どんな高級車もガソリンがないと動きませんが、自転車はね。元気とヤル気・負けん気が主な燃料です。そしてそこへ、みなさんの応援してくださるキモチが合わさって、どっかーん!というエネルギーになります。引き続き、応援してくださいね。 

 
 またどこかで何かをかいたりするトキは、必ず劇団上海自転車HPや個人ブログ『布団草紙』にてご案内いたしますので、ぜひその時はご贔屓に。いま企画段階なので、ちょっと詳しくかけないのです。

 言い尽くせないほどのステキな交流をありがとうございました。
 ほな、また。いつかどこかで。近いうちに!

2007年09月18日

第百五十八回「俳句と紙芝居」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 実は数年前からネットで俳句をやっている。

 俳句というと、何となく年配の方の趣味みたいな印象しかなかったのだが、これがやりはじめてみるとなかなか面白い。何より、身の回りのモノをじっくり観察するようになって、これだけ世界が豊饒なのだ、ということがわかったことが大きい(ちょっと大げさな言い方だが)。

 俳句は、身の回りのものをじっくり観察しなければ出来ない。

 たとえば自宅から駅までの道端に季節ごとにどんな花が咲いているか?(ま、それ以前に、この道端に咲いている花は一体なんという名前を持っているのか、それすらボクは知らなかったので、そういう「知らない」ことを発見する驚きがあるのだけれど)川をゆうゆうと泳ぐ大きな鯉や、その鯉とときどき争う(?)鴨。夕暮れ時になると折れ線グラフ顔負けの不思議な飛び方をするコウモリやさまざまな季節の風や雨や雲の名前。

 「季語」という、長い歴史の中で磨かれた道具を使って、身の回りの景色を切り取る。それがボクの理解している俳句だ。

 ただ、通常俳句をやる、というと結社(まあ演劇関係の用語に無理矢理翻訳すると劇団、ということになりますか)に入って、句会(これも翻訳すると公演、ですかね)に参加しなければいけないのだが、インターネットでの句会というのも最近(というか、かなり前から)は結構盛んなのである。結社の運営しているネット句会もあるが、超結社というか、そもそも結社なんか関係ない、というスタンスのものもある。

 そんなわけで、地味に俳句を詠んでいたのだが、本当はリアル句会に参加したいと思っていたのだ。ただ、なかなか足を踏み出すことは出来なかった。できればまるで知らない人ばかりの中に入っていく、というより、せめてネットででも顔見知り(?)の人がいる句会があればなあ、と思っていたのだ。

 それが、ひょんなことから今週末、都内で句会に参加することになった。

 それも、「句会de紙芝居」である!

 野外でボクの紙芝居を見て句を詠み、自分達も簡単な絵を描いて作ってみる。実演してみる。そんな内容の句会なのだ。ネット句会の句友たちも多く参加されるとのことで、まあ初対面なのだけれどなんとかこの人見知りなボクでも楽しくやれそうだ。

 俳句は大人の真剣な遊びだ。そんな場で、紙芝居をやれるというのも、幸せなことだと思う。実はボクが紙芝居屋をしていることを知っていた句会の幹事さん(ネット句会の句友でもある)が企画してくれたのだ。

 さあ、何をやろうか、今からワクワクしている。

 つづきは明日のお楽しみ!

2007年09月17日

第128回『やってごらん』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 いつだったか、入社してまだ間もなかった友人が、困り顔でこんなハナシをしてくれた。「極力コストが安くて、いい企画を考えろって言われちゃって。全くアイデアが浮かばないよ。」
 
 入社して間もないのに、やはり世知辛いのだなあと思っていたら、後日べつの友人がこんなハナシをしていた。「経費のコトは俺(上司)が考えるから、ともかくなんでもいいから面白いと思うコトは企画書つくってみろって言われて。くだらないコトばっか思いつくよ(笑)」

 なんだヒトによりけりなのか。先の友人はとんだ上司に捕まったもんだな、と思った。親や教師・上司は選べないから厄介だ。

 入社して間もない社員に金の心配をさせるなんて、かなり勿体無いコトである。若くてアタマの柔らかいうちに、誰も思いつかないような発想で売れる企画を立ててもらったほうが、よっぽどか金になる。

 ヒトは何かに縛られるとココロもカラダも緊張してしまい、物事がうまくいかなくなるコトが多い。「〜せねばならない」という人間ばかりが増えると、なんにつけても潤わなくなってしまう。

 ワタシの恩師のしかた先生は、演出をする場合ワタシに対して常に「好きなようにやってごらん」と言っていた。ワタシは責任のある自由を存分に謳歌した。それでも未熟な部分は、しかた先生が責任を持ってくれていた。だからワタシの演出のやり方も、やっぱり「好きにやってごらん」なのである。

 好きにやらせる、というのは責任をもたない、というコトではない。

 上司がちゃんと責任を持ってくれると感じると、かえってしっかりやろうとするのが人間の心理と言うもので、結局“くだらない企画書“は”いい企画書“となって、友人は会社に大いに貢献したようだ。 

 責任の所在をはっきりさせ、安心して発言できる環境を作るのがいいアイデアを効率よく出してもらうための第1歩ではないだろうか。

2007年09月11日

第百五十七回「カフェde落語」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 ちょっと前の回に書いた地元でやるイベントが、いよいよ近づいてきた。またぞろ告知コラムになってしまうが、ご容赦願いたい。

 地元で企画した寄席イベント。知り合いが去年からはじめたカフェで行う「寄席」。お客様の8割近くが「女性」で、店内には可愛い雑貨や地元のアーティストの作品が展示されているそんな空間でお笑いをやるとは、まるでミスマッチな感じであるが、そこが一つの狙いでもある。

「カフェde寄席」
2007年9月30日(日)午後5時30分開場・午後6時開演
相模大野・naruco café
木戸銭・1000円(1ドリンクつき)
出演・桜美林大学落語研究部・海猫ボーイズ(漫才)・バターとチーズ(漫才)・逆襲亭ゴジラ(落語紙芝居)・廣島屋

 文化果つる地、とは口が裂けてもいわないが、それでもなかなか都内のように音楽・演劇・お笑いなどのイベントが開かれている状況ではないこの町で、こういうイベントが出来ることは、企画者であるボク自身にとってとても意味のあることだ。そして、このような企画にはとても偉大な先達がいるのだ。

 相模大野の焼肉屋「八起」での「八起寄席」である。都内でもなかなか実現できない「四派競演」という形での上演はお店での寄席と近くのホールでの公演もあわせて四百五十回以上という大変な数字である。(といっても、ボクは近くに住んでいながらまだ一度も見に行ったことがないのだが^^;)

 奇しくも30日の「カフェde寄席」の翌日が「八起寄席」第459回。これはぜひ伺わねば、と思っているのである。

 つづきは明日のお楽しみ!

「naruco café」
http://www.narucocafe.com/
「海猫ボーイズ」
http://members.goo.ne.jp/home/uminekoboys/
「バターとチーズ」
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=Butter_to_Cheese
「逆襲亭ゴジラ」
http://blog.goo.ne.jp/matuiteigojira/
「八起」
http://www.yakiniku-yaoki.com/


2007年09月10日

第127回『ぞっとしない』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 文化庁が実施した、「国語に関する世論調査」の結果が発表された。

 現在、所謂“本を読むヒト“というのが100人に1人程度なのだそうで、結果の悲惨さはそれだけでも予想がつく。自分自身ですらモノを書いていて、「おっと、こんな言い回しでよかったかな?」と不安になるコトがあるのだから、あまりヒトのコトは言えない。

 慣用句の誤用として目立つのが「流れにさおさす」(意味間違い)・「そうは問屋が卸さない」(問屋が許さない、と誤用)・「ぞっとしない」(意味間違い)・「熱にうかされる」(うなされる、と誤用)…などだそうだ。

 活字離れも大きな原因の1つではあるが、誤用の原因としてワタシが思うのは、これらの慣用句に対するイメージが出来ていないからではないか、というコトである。
  
 問屋は卸すのが仕事だ。熱にうなされるのは病気のトキ。

 「流れにさおさす」というのは、川を渡る舟に勢いをつけるため、さおで地面を押し、流れに乗るところから来ている。おそらくこの慣用句が出来たころにはそういった風景が日常的によく観られたのに違いないが、今となっては意識的に川遊びにでも行かない限りみられない。
 もしくはTVで、高橋英樹が旅の出で立ちで傘を持って舟に乗っている様子が観察できるくらいだ。

 コトバとカラダが今よりも密接に関係していた頃にできた慣用句は、覚え間違いも多いのではないだろうか。
 やったコトも見たコトもないものはやっぱりピンとこないものだし、イメージができないと記憶にも残らない。そして誤用が始まる。

 これを防ぐには、例えば国語の授業で慣用句が出てきた場合に、@意味とあわせてできる限り語源を説明する(イメージを持たせる)A誤用しやすいと注意を促す。(すでに間違って覚えている相手の知識をハッキリさせることにもなる)B誤用するいい回しとの違いを説明する、など意識的に留意してもらうのが1番いいのではないだろうか。

 体験してもらうなり映像や写真などをみる機会を与えるのもいいかもしれないけれど、「この忙しいのに!」という現場ばかりだとは思う。

 慣用句に“振り付け”するのもいいだろう。熱に浮かされた様子なんかをクラスみんなでやれば、かなり陽気な授業になる。

 …これだけ力説したにも関わらず、「普段使わないから誤用が多いんじゃないの?」「そこまでしてなんで覚えないといけないの」なんていわれると、ぞっとしないけれど。

2007年09月04日

第百五十六回「さしえショー」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 最近ではテレビやラジオよりもネットのニュースで世の中の流れを知るようになっているのだが、先日紙芝居屋として非常に気になるニュースに出会った。

「さしえショー」というサービスを紹介するニュースだ。

「さしえショー」とは、「ネット上で入力した文章に自動で画像をつけ、紙芝居のように再生する」サービスだという。入力された文章を解析して、関連する画像をネット上から探し出し、いわゆるスライドショーのように表示するのだという。

 当然ネット上で拾ってくる画像だから統一性があるわけでもなく、だからこそ文章を作った方としては(そしておそらくそれを見る側も)その意外性に驚くのだという。

 まさにネット時代の「電気紙芝居」ではないか!

 そう思ったボクは、すぐに「さしえショー」のサイトに行ってみた。ネットのニュースに取り上げられたことでアクセスが殺到したのか、かなり重かったが、一応「人気のさしえショー」何本かを見てみた。

 ……

 ちょっと期待しすぎたのかもしれない。仕組みとしては面白いのだが、やはり「文章」の出来に触れ幅がありすぎるようだ。いかに画像と文章のミスマッチがシュールな面白さを演出するといっても、あまりにも内容のない文章では面白くもなんともない。

 ご存知でない方は試しにサイトをのぞいてみてほしい。

 つづきは明日のお楽しみ!

「さしえショー」
http://sashie.jp/sashieshow/index.jsp

2007年09月03日

第126回『アナタにふれたい』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 遠い遠いむかしのヒトビトは、今の我々のように“コトバ”というモノではなく、もっともっと極めて“カラダ“に近いところで通じ合っていたという。

 確かに「原始人の真似をして下さい」といわれたら、大概のヒトが「ウホウホ」とかなんとか訳のわからない音を発しながら、アノ肉を食べるフリをしてみせるに違いない(しかしどうしてアノ肉は“アノ肉”という言い方で流通しているのだろう)。とにもかくにも流暢にしゃべっている原始人は見たコトがない。

 いつの頃からかヒトはコトバのみを頼りにして、そこから得られる情報だけを鵜呑みにし、相手をさも理解したような気になってしまっているようだ。
 話を聞いてもわからないから、より一層コトバを求めて闇に迷い込む。ホントウの相手にふれるコトができるのは、いつになることだろう。

 新しい舞台の稽古がはじまると大抵“自己紹介”をさせられるが、往々にしてつまらない。なにせ知らないヒト相手だ。うわべだけでコトバを発して「大阪出身の中野です。31です。お肉が好きです。」みたいな情報しか提供できないので、聞くがわもあんまりテンションが上がらない。

 そこでもっと深く相手を知るために、「何回も何回も“自己紹介”する」というのはどうだろうか。
 何回もまわってくると、そのうち手持ちの“当たり障りのない情報“がなくなってくる。すると徐々に、例えばイマ気になっている話題や嵌っているモノのハナシに移行してくる。

 共通の話題ではないので、どんどん抽象的なハナシになってくる。さらに何周も自己紹介をする。どうでもよい、なんだかわけのわからないハナシになってゆく…。

 そうしているうちに“コトバ”があいまいで、この“なんだかわけのわからないハナシ”から、相手をなんとか理解しようと“カラダ”全てが相手に向かうようになってくる。こうなってくると、なんだか会話するのが面白くなってくる。 

 大概どこでも最初は“自己紹介“からだ。いつものやり方にひと工夫加えて、深いところで触れてみてはどうだろう。

 最後に。こういうコラムを今回書いたからといって、“コトバ”を粗末に扱ってよい、と言っているのではないコトだけは特記しておきたい。“コトバ”は単なる、コミュニケーションツールではないのだから。

2007年08月28日

第百五十五回「終演後に役者に会うということ」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 2月8月、興行界は不振だというのは割とよくいわれる話である。特に8月は、夏休みにお盆もあって、日本全国帰省の民族大移動がある中で、一方で観光地へは大挙して人が訪れるわけで、この時期の集客は本当に大変だと思う。

 さて、そんな夏休みの時期に二本の舞台に行ってきた。どちらも知り合いが出ているが、一方はその劇団自体に(その作品に)非常に惹かれるものがあり何度か足を運んでいる。かたやもう一方は、初めて見るところだ。

 で、どちらも終演後、足早に劇場を後にした。「知り合い」にも会わず。

「知り合い」という時の濃淡は当然あって、お互い名前と顔が一致する程度から毎週のように酒を飲む仲まで、さまざまあるわけであるが、一応なんらかのご縁で連絡なんぞを取り合ったり時候の挨拶をしたりする仲で、公演案内などをいただいた場合、予定が合えば極力行くことにしている。舞台に限らず、音楽系のライブでもお笑いのイベントでも、大きな劇場でも小さなライブハウスでも、問題は自分のスケジュールが許すかどうか(あ、それと経済的な問題があるけれどw)である。

 で、音楽やお笑いのライブのときは別として、芝居を見に行った場合、ボクは終演後すぐに脱兎のごとく出口に向かう。そうして知り合いに会わないようにして、帰りの電車の中でメールをするようにしている。

 苦手なのだ。今の今まで舞台上でそのモノガタリの中懸命に演じていた人と「素」の状態で挨拶を交わす、ということが。

 それは逆もそうで、自分が出ているときは少なくとも終演後すぐに自分のお客さんと会いたくない。「折角見に来てくれたんだから、直接会ってお礼をいうべきだ」という正論は重々承知の上だ。

 ボクがもっと若くて演劇経験のない役者だったら、おそらく周りからはそんな態度をとっていることに対してかなり攻撃(説教?忠告?)されるかもしれない。が、長生きはするもので、そんな失礼な行動も長年やり続けることによって「あの人はそういう人だ」という認識を持ってもらえるのである(ま、その時点で人間の評価としては終わっている、という見方もできるかもしれないがw)。

 周りには芝居を見に行ったら終演後はもちろん役者と挨拶を交わし、あまつさえ一緒に飲みに行ったり打ち上げに参加したりする人が多いこともよく知っているし、それが次の自分の活動につながることも理窟としてはわかっているのだが、それがボクにはどうしても出来ない(こんなことを書くと、終演後役者に挨拶をする人や飲みに行く人を暗に非難しているようだが、まるで逆なのである。ただ、それが出来ないヤツもいるのだ、というだけの話である)。また、そんな損得の話ではなく、直接芝居の感想をいう機会として、終演後のロビーや飲み屋というのは格好の場所であるだろう。だが、ボクには出来ない。よいにしろ悪いにしろ、頭の中がまとまらない、というのもあるが、メールでも当たり障りのないことしか書けなかったりする。だから、単純に頭脳の問題だと思う(といって、評論家気取りで単なる感想をいわれるのも、いわれる方としては迷惑なだけだろうが)。

 そんなわけで、以前一緒にイベントに参加した弾き語りの若者から歌の感想をしつこく聞かれて困ったことのあるボクとしては、ライブや芝居が終わった後いかにスムースに帰路につくか、というのは重要な問題なのである。

 つづきは明日のお楽しみ!

2007年08月27日

第125回『カタから入る』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 ボヤッとしているせいか、お店に入ると大概店員さんにつかまる。ピンク色のスカートなんかを手にとってジブンにあててみていると、「そのスカート気になっちゃいます?」なんて言いながら、笑顔の張り付いたような女性店員が近寄ってくる。

 「ピンク好きなんだぁ?」
 「ええ」
 「あーなんかわかりますー、雰囲気的に似合っちゃう感じするしー」

 …初対面なのに何故このヒトはタメグチなのだろう。“似合っちゃう感じ“とは何だろう。そもそも似合うなんて思っても無いのが丸わかりだし、とりあえずその意味のない笑顔は気色が悪いのでやめた方がいい…。

 そんなコトをアタマの中で考えながら、「ちょっと考えます」と言ってお店を出る。

 “お客様には笑顔で応対“と誰かに教えられてやっているのかもしれないが、ココロが伴っていないのでどうしてもそういうカオのお人形に見えて気色が悪いのだ。ココロの伴わない表情やコトバ、動きはヒトを不快にさせるだけである。

 芝居においても同じコトがいえる。例えばムカシ、何かを決心した演技をやる際に“下を向いた状態で、すばやくカオを斜め上にあげると決心したように見える”と要らぬコトを教えられて実行していた役者がいたが、“決心した”というココロの動きが伴っていないので、正直そういうクビの運動にしか見えない。

 ただし狂言などの、表現として昇華されているものは別である。

 デジタルなモノに慣れ過ぎているせいで想像力が欠如し、ココロがこもっているのかどうか自分すら気づけないのかもしれない。

 まあもっとも、ジャンルによってはカタばかり重視して、完全に人形にしか見えないようなショーをやっているヒトタチもいるけれど。それは畑が違うというか好みの問題なのかもしれない。

 お客に対して笑顔で対応するコトが重要なのではない。もちろん笑顔がいらないわけでもない。教えるとなるとどうしてもカタを教えるコトになってしまうのもわかる。しかしせめて、見掛け倒しのワンパターンな接客はやめて、お客さん1人ひとりとちゃんと向き合って会話のできるようなヒューマンスキルを磨く努力をして欲しいものである。

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