2007年07月31日

第百五十一回「犬の目」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 すでに以前のコラムでも書いたけれど、来月末に新宿で落語紙芝居をやることになって、そのため新作が最低二本は必要となった。共演はこのコラムでも紹介したマツイ亭ゴジラさん。

 落語紙芝居のネタで今ボクの手元にあるのは「後生うなぎ」だけで、あとは何となく頭で考えているだけだったので、締め切りが決まってやっと尻に火がついたわけである。

 慌てて落語のネタを集めたサイトからいくつか候補を選んだ。

「元犬」、「ふたなり」、「犬の目」、「お血脈」、「死ぬなら今」、「半分垢」、「ちしゃ医者」

 で、その中から、

 「割と絵にしやすい」
 「落ちがわかりやすい」

 この2つのポイントから「犬の目」と「ちしゃ医者」に絞り込んだ。特に「落ちがわかりやすい」というのは大切で、あんまりにも地口に寄り過ぎると絵がうまくいかせない。理想的には「後生うなぎ」のようにある行為で落ちればいい(それだとその行為を絵にすればよいから)のだが、そんなに都合のよい噺はそうそうはない。

 そうして、内容的にもそうだが、何よりこの2つの噺は実際に聞いたことがあるという点も重要だった。

 まあ、どうせこのボクがやることであるので(笑)、ネタの完全コピーなど望むべくもない。ただ、テキストになったものを読むだけよりは実際に演じられているところを見ておいた方が自分がやる時にやりやすいのである。

 さて、噺が決まったので、早速作成にかかり、まずは「犬の目」が完成した。かなりシュールな噺で、もともとの落ちだとバレ噺(いわゆる下ネタ)なのだが、そこはサイトにあった別のサゲに変更した。

 イベントだけでなく、ラーメン博物館でもやりやすいように。

 というか、もうすでに一度やってみたのだが、なかなか反応がよろしく、ひとまず胸を撫で下ろしているところである。そうして引き続き「ちしゃ医者」の作成にかかっている。これもまた、完成したらまずラーメン博物館でネタおろしをやりたいと思っている。

 つづきは明日のお楽しみ!

2007年07月30日

第121回『ウソを突き通すというコト』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 イベントショーの仕事が入った。夏休みの間によくやっている、所謂子供向けのキャラクターショーだ。
 まだ1ヵ月以上イベントがあるのでささやかなヒントで申し訳ないが、“見た目はコドモ、頭脳はオトナ”な“名探偵”役をやっている。
 
 よくあるキグルミでも着るのかと思いきや、キャラクターの頭部以外は肌色のタイツのようなものを装着し、おなじみの衣装を着るだけで、ほとんどワタシの体型が丸わかりだ。身長はいいとしても、なんだか異様に腰の位置の高い“名探偵”となった。

 「明らかに誰かヒト入ってるやんか」と、幼少期のワタシはキャラクターショーに全く興味がないどころか、リカちゃん人形などの御飯事にすら興味がなかったので、こういう類のイベントへ親に連れて行って貰って喜んでいる同級生のキモチはよくわからなかった。

 そんなコトを思い出しながら子供たちの前に“名探偵”なワタシが現れる。園児たちは歓声を上げたり手を振ったりしてワタシを歓迎している。が、小学生以上になると、明らかにキョトンとした顔の子供がいる。

 そりゃそうだろう。期待していた自分のイメージとは異なり、明らかにヒトの肌じゃなさそうで衣装もフィットしていない、顔の表情も変わらなくて異様に腰の位置の高いヤツが出てきたのだ。子供だって絶句するだろう。

 「ごめんねごめんね…」と何故かココロの中でつぶやく。それでもワタシはウソを突き通さなければならない。“名探偵”お決まりの、ポケットに手をつっこむポーズやメガネに触れる仕草などを駆使して、なんとかキャラクターに徹するのである。

 しかしオモシロいもので、そうやっているうちに子供たちはこの“腰の位置の異様に高い名探偵”を、そういうモノだという風に受け入れだす。子供というのは根本的に、いろんなコトを素直に楽しむ能力に長けているのだ。

 「明らかに誰かヒト入ってるやんか」と思いつつ、「でも目の前にいるのは事実、“名探偵”だ」と考え方を転換するコトによって、その場の雰囲気を楽しんでいるのだ。
 これはとても、お芝居と似ている。というよりも、お芝居そのものの構図だ。

 ウソで固められた世界を私達はホンモノとして演じきる。創りこむ。ウソのつき方が徹底していれば、観客も「いっちょノってやろうじゃん」という気になる。その瞬間、ウソの世界は刹那的にホンモノの世界となる。

 受け入れる楽しさを知らなかった幼少期のワタシは損をしたかもしれない。

 ワタシのようなコドモを極力減らすためにも、日々キャラクターに徹する所存である。

2007年07月24日

第百五十回「蛇蝎姫と慙愧丸・感想」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 先日浅草・木馬亭で見た「蛇蝎姫と慙愧丸」の感想を書く。

 木馬亭のキャパは130人ということで、舞台もそれなりの大きさになる。前々回のコラムで書いたように、イベント第1部・森下さんの「黄金バット」上演のさい、紙芝居の大きさは通常のB4サイズではなくA3だった(なぜそういいきるかというと、黄金バットの前におたのしみクイズをやっていて、その絵は一回り小さかったからだ)。つまり広い会場版だったようなのだ。

 が、短時間で終わる「黄金バット」はそれでいいとしても、300枚以上ある「蛇蝎姫と慙愧丸」はそうはいかない。数年前四谷で見た「猫三味線」の上演のときと同じように、演者の横にある紙芝居をカメラで撮影しそれをプロジェクターで大画面に映す、という方法で対応していた。そして「猫三味線」と違うのは、舞台上手に音楽担当の榊原光裕さんがいて、物語の進行にあわせてシンセやギターなどを使って効果を出していたことだ。

 演者である神田陽司さんは、すでに仙台でも上演を行っているせいか、かなりこなれた様子で、休憩をはさんでたっぷり2時間語りつくしていた。素早く絵を引き抜いたり、じっくり語ったり、絵に(そして物語に)ツッコミをいれつつ、その緩急自在さは、やはり神田一門異色の講談師だけある。

 ただ、やはり本職の紙芝居屋でないということもあって、たとえば絵を半分だけ引き抜くだとか、そういう細かいテクニックが見れなかったことは残念であるが、これは通常の街頭紙芝居の上演にはない「まとめて上演」という方式には使いづらい技術なのかもしれない。

 そして、物語の方であるが。

「Dウィルス」というギミックを使い、舞台をあくまで仙台にこだわった(物語の発端も仙台・伊達藩、終盤のDウィルスによる大殺戮も仙台市内)展開も、無意味に広げすぎずにすっきりしてよかったと思う。といって、考え抜かれ隙間のないギチギチの物語ではなく、それなりに突っ込みどころのあるゆるい作りになっているところも面白い。

 できればこの新世紀紙芝居を、間近で、街頭でやっていたのとほぼ同じ状況でぜひ見てみたいと思うのだが……。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年07月23日

第120回『さずかりモノ』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 とある文学作品を短めのコメディに書き換えようと思案中である。カタイ話なので不謹慎にならない程度に、ポーカーフェイスでやらなければならない。

 狙いすぎてもつまらなくなるし、あくまで真面目でバカでおセンチなお芝居にしたいものだ、などと考えていると、いっこうに進まない。

 元のハナシはかなり前に読んだものなので、もう1度読み返す必要がある。が、資料は準備したものの、「読もうかな」と一瞬思ったところで「あ、ちょっと掃除でもしよう」となる。

 ひとしきり掃除したところで、「よし読もうかな」と思うと「…珈琲でも飲もう」となる。飲みながら読めばいいものを、他の雑誌を読んでしまったりする。
 飲み終えてしまい、「今度こそ読もう」というところで、今度はエアロバイクを漕ぎ始める。漕ぎながら読めばいいものを、やっぱり音楽を聴いてしまったりしていっこうに進まない。

 ワタシは受験生か。激しく自己嫌悪である。それでもまだ、「寝ている間に妖精さんが創ってくれているかもしれない」などと考える。可哀想な子きわまりない。涙がとめどなく溢れてくる。ハンケチが何枚あっても足りないくらいだ。

 …そういうコトで、書きあがるのには、というよりも書き始めるのにはもう少しかかりそうだ。ともあれ、以前にも書いたが(書いてないかもしれない)こういうものは“さずかりモノ“であって、天と地がひっくり返っても出来ないときはできない。

 そんなトキは美味しいものでも食べて、綺麗なベッドでグッスリ眠るに限る。そうすれば朝目覚めたトキに妖精さんが…

2007年07月17日

第百四十九回「紙コント」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 アナログエンターテイメントを堪能した後は、同じく木馬亭で「浅草夏笑い」というイベントに参加してきた。四萬六千日ことほおずき市の日に、通常は浪曲・講談をメインにして昼〜夕方に開いている木馬亭を夜、若手お笑い17組が占拠するお笑いイベントである。

 前にもこのコラムで書いたように、共演するお笑いの人々のことをほとんど知らなかったボクであるが、コントや漫才、モノマネや一人芝居など、さまざまなスタイルの芸人さんが集まっていて、自分の出番以外は客席で普通にお客さんとして楽しませてもらった。

 といっても、開場から開演してしばらくの間は、客寄せとして入り口そばに自転車を置き、紙芝居舞台を載せて「黄金バット」をやったりしていたわけであるが。初日は人の流れはそこそこあったわりに食いつきが悪かったのであるが、二日目はかなり反応もよく、2回もやったりした(だけれど、中に入ってくれたわけではなかったので、半分成功という感じ)。

 さて、芸人さんの中には、エンタの神様やオンエアバトルに出演していたり、M−1やR−1で結構いいところまで行った人もいた。らしい。

 その中で、二日目に出演された「紙コント」のウメさん(R−1ファイナリスト)のネタが、ちょっと衝撃的だった。スケッチブックに連続する絵が描いてあって、それを割りとスピーディにめくりながら物語(コント)を作っていく、という芸風なんであるが、びっくりしたのは、同じ絵にまるで違うセリフをつけて、まるで違うシチュエーションのコントにして、そういう作業を何度も繰り返して(つまり畳み掛けるようにして)笑いに結び付けていたところだ。

 確かに、ボクも紙芝居をやるときに、裏書とはまるで違うことをいったりするけれど、ここまで徹底してやったことはない。盲点、というか、本当に意表をつかれて声を上げて笑ってしまった。

 散々笑ってから、まだまだ、色々な手があるのだなあ、と当たり前なことをしみじみ考えたのである。今回割りと大きな舞台でやったことで、またぞろ「絵」の大きさのことなども考えないといけない、と思い始めたことでもあるし、本気を出して紙芝居の枠をはみ出すことも検討していかないといけないのではないか、とそんなことも脳裏をよぎったりもしている。

 ま、そんなことを考えながら、仲見世名物あげまんじゅうをぱくついていたりもしていたのだけれど。

 というわけで、続きは明日のお楽しみ!

2007年07月16日

第119回『自信をなくしたら』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 完璧主義なヒトほど自信をなくしやすいらしい。なるほどジブンの周りを見渡してみても、そんな感じがする。年齢的にも想いの揺れる時期なのか悩み多きヒトが多い。
 ワタシはボオッとしているので、幸いこういうことに左右されずに済んでいる。

 芝居をやっていると否が応でも人目にさらされるので、外側から見たジブン(及び作品)というコトを、常にココロのどこかで考えている。
“人目にさらされる”というのは何も役者としてのジブンに限ったことではなく、脚本もそうだし、演出した作品そのものも誰かに観てもらうのが目的なのだから、タニンの目からはどうしたって離れられない。

 これは結構なストレスだ。役者として作家として演出家として、迎合してはいけないが理解されなければ存在しないのと同じコトである。ジブンの信じるモノを出して果たして受け入れられるのか、常に考え迷い選択しながら生きている。

 ワタシはアテガキをしている関係もあって、タニンの長所を見るのが大好きだ。自信のないヒトを見ると「いっぱいイイトコロがあるのにな〜」と非常に残念に思う。

 自信を回復するのに即効性のある方法があるので、よかったら試してみて欲しい。

 だいたい予想はつくであろうが、とにかく“ジブンの長所を探す“コトである。ウチの劇団の役者にも、「ジブンがかっこよく見える角度や言い方を考えて」などと指示を出すコトがある。タニンに自信を持って見せられる部分を探すのである。

 「あんまりにも長所が少ないから自信がないんじゃないか」

 尤もです。でもまあ、待ってもらいたい。少しガマンして読んでみて欲しい。

 探すトキに注意したいのが、“どんなにくだらないモノでも構わない”というコトだ。正確に言うと、どんなにくだらないと“自分が思う“長所でも構わないのである。

 他のモノスゴイレベルのヒトと比較してしまい、折角見つけた長所をくだらないと思っているのは自分だけなのである。本来、誰からも褒め称えられるような長所を持っている人間のほうが少ないのだ、というコトに目を向けるべきである。

 何でもいい。“運転が上手い”“声が大きい”“挨拶は欠かさない”“怒鳴らない”“迷子にはまずならない”“メールを打つのが早い”“ずっと続けている趣味がある”などなど……。

 普通に探してあまり出てこなければ、今度は「〜ない」というコトバを使ってみる。
“無責任ではない”“人嫌いではない”“無駄遣いしない”“遅刻はしない”など……。

 ネタに尽きたら、過去に自分が成功させたコトや良い行いを思い出す。勿論小さなコトでかまわない。“文化祭で実行委員をやった”“高齢者に席を譲った”など……。少しずつ、自分の輪郭が見えてくるはずである。

 それでもダメなら、友人に聞いてみるのがいい。10個は答えてくれる。

 自分の長所はココロのエネルギー源である。どんなに小さくてもそれを見逃さず、その長所を活かし成長させていくコトが、自信を保つ秘訣ではないだろうか。

2007年07月10日

第百四十八回「アナログエンターテイメント 新・紙芝居創世記」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 さて、七夕の夜、ついに21世紀紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」を見てきた!

 今回のイベントは大きく2部構成になっている。前半は、演芸としての紙芝居の祖先のひとつとも考えられる「のぞきからくり」と「江戸写し絵」、そうして街頭紙芝居師・森下正雄さんによる「黄金バット」の上演である。

 後半の、全300枚を越える原画をもとに講談師・神田陽司さんが口演する「蛇蝎姫と慙愧丸」については、次回以降にしたいと思う。今回は、前半について話してみたい。

 まずは、今回のイベントの主催である、浅草雑技団によるのぞきからくり「八百屋お七」。からくり屋台とからくり絵を元に、口上人がバチで複雑なリズムを作りながら、物語を語っていく。男女二人の演者が上演していた。のぞきからくり、ということで、本来はからくり屋台下部ののぞき穴からのぞくとそこから語りに合わせて色々な絵が見えるのであるが、何しろ会場は満員札止めで、のぞくことはできなかった。

 リズムに合わせた語り物、というと説教節とかに通じるものがあるのだろう。

 今回使われたからくり屋台は、新潟県巻町(現在は新潟市)に現存する屋台と責め絵で有名な伊藤晴雨の仕掛け図を参考に浅草雑技団が1987年に制作したものだそうだ。

 続いて、劇団みんわ座による「江戸写し絵」。最初に代表の方が舞台に上がって、ざっとマジックランタン(幻灯機)の歴史や現況などに触れ、早速写し絵「だるま夜話」が上演された。木で作られた軽い幻灯機(風呂、というらしい)に種板をさしこみ、それを4、5人の演者が一人ひとつずつ持って、大きなスクリーンの裏であちこち動き回りながら、スクリーン前の演者の語りに合わせて物語を進めていく。

 これが実は、今回のイベントで一番の驚きだった。以前世田谷のイベントでご一緒した江戸紋きり型影絵のときと同じで、思わず声が出てしまうほどの面白い出し物だった。お話は、掛け軸のだるまが抜け出して、花火大会を見に行く途中、腹が減ったので夜鳴きソバを食べる。が、お金を持っていないのでソバ屋の亭主に追っかけられて、慌てて掛け軸の中に戻ったのだが……という短いものだ。一瞬でだるまに手足がはえたり、積み上げられたソバがどんどんなくなっていったり、花火が夜空に広がったり。それが、驚くべきことにカラーで繰り広げられるのだ!日本のアニメは、本当は最初からカラーだったのだ!

 そう、まさに「江戸写し絵」はアニメの祖先でもあるのだ。

 ちなみに、劇団みんわ座では、毎年一回東京芸術劇場で一般向けの公演をやっているという。今年はもう終わってしまったそうだが、来年は何とか見に行きたいものである。

 そうして前半最後は、森下正雄さんの「黄金バット」。「怪獣篇」と「怪タンクあらわる」。ここで初めて知ったのだが、この二つの黄金バットの話は、加太こうじさんが森下さんのために描いたシリーズであったらしい。喉頭ガンのために今は喋ることができない森下さんだが、四国での実演を見たファンの人がその内容をテープに録音していて、森下さんに届けてくれた、そのテープを使って、まるでその場で語っているかのような臨場感の中、太鼓や鉦が叩かれ、黄金バットと怪獣、怪タンクの闘いが始まる。

 さすがに会場の広さもあって、黄金バットの絵の大きさはA3だった。それでも客席の後ろの方だとあまり絵自体を詳しく見ることはできないだろう。ボクは自分がその翌々日この舞台に立つことを想像しながら、見ていた。

 そんなわけで、第1部だけでお腹いっぱいになったボクであるが、この後の第2部でもまたたっぷりと紙芝居の世界を堪能することが出来たのである。

 その話は、また今度。

 劇団みんわ座
 http://www.t3.rim.or.jp/~minwaza

 というわけで、続きは明日のお楽しみ!

2007年07月09日

第118回『東京タワー』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 6月アタマに仕事で、舞台演出家・劇作家のG2さんにお会いした。リリー・フランキーさん原作の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を舞台化される、というコトで、インタビューしに行ったのだ。

 取材前にとにかく原作を読んでおかなくては、とすぐに本屋に走って求めた。本を紐解けば、G2さんが言っていたように、そこには飾らずウソのない、40年間に渡る親子の普遍性が描かれており、すぐに読み終えるコトが出来た。

 折しも初上京・初独り暮らし(いや居候だけれど)のワタシのココロに、なんというか、優しいある種の傷を残す作品となった。

 そういえばワタシにも、こんな、エピソードがある。

 ワタシが上京してすぐに父親が下宿先を訪ねてきた。土砂降りの中、基本的に出不精な父親がスラックスの裾を濡らしながら、駅から徒歩20分もかかるところを歩いてくるなんてめったにないコトだ。

 埃っぽい部屋、若干殺風景なキッチン、薄い壁、2階の住人の足音が響く天井…アパート中をくまなく観察した後に、「…寝るだけだな」とつぶやく。

 家で待つ母にも見せるのだといって携帯で何枚か写真を撮った後、しばらく何も言わなかったが、徐に、「栄養のあるものを食え」と言って、福沢諭吉をくれた。受け取ると、
 
 「使い切れ」

 とヒトコト言った。

 平素こどもらの食欲などについては全く無関心な父が、ワタシがちゃんと食べるかどうかをいたく心配しているコトも嬉しかったが、なによりも、ワタシが“こういうお金”を使えない性分だというコトを理解してくれていたコトにすこぶる感動した。

 雨の中、駅まで父を送ると、「飯を食うか」といってランチをご馳走してくれた。さて帰ろう、というときも、「家までついていこうか」という。そもそも帰る父をワタシが駅まで送ってきたというのに、これではキリがない。当然断り、改札まで父を送って帰った。

 親と子、というのは普遍的な関係の1つなのだな、と確信した瞬間だ。

 インタの時のハナシによると、G2さんの舞台にもその普遍性が色濃く表現されているそうなので、是非1度、ご覧いただきたい。

2007年07月03日

第百四十七回「果たして木馬亭の舞台に自転車はあがるのか?」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 季節感がまるでない今日このごろであるが、7月9日10日は浅草でほうずき市が開かれる。浅草寺にこの日お参りすると4万6千日お参りしたのと同じご利益があるとされるそうだ。東京に来たてのころ、物珍しくて都内をウロウロしたときに、ほうずき市も見に行った記憶がある。浅草の思い出というと、クレージーキャッツの映画のオールナイト(五本立て)を見に行ったこととほうずき市、それからぐっと最近の話になって花やしきで似顔絵の営業をやったことくらいだろうか。

 さて、そのほうずき市の日に、ボクは浅草の演芸のメッカ・木馬亭で行われるイベントに出ることになった。「浅草夏笑い」と題して、両日ともに15組近い芸人・パフォーマーが参加するお笑いイベントである。

 ボクもお笑いライブには何度か出ているし、知り合いがお笑いをやっているのでそのライブを見に行ったこともある。だから、いわゆるテレビに出ていない芸人さん(自称、も含めて)がどれだけ気の遠くなるような数いるのか、それは大体わかっているつもりだ。

 が、今回共演する芸人さんのラインナップを見て、びっくりした。

 ほとんど聞いたことのない芸人さんばかりだったのだ。(そんなことをいえば向こうだってボクのことなど知らないだろう、だからお互い様なわけだが)ただ、ネット全盛(という文言もすでに死語になりつつあるのだろうか)の昨今、ほとんどの芸人さんを検索することができて、そのブログやHPで人となりが少しわかった。

 といっても、実際の舞台を見たわけではないのでなんともいえないのであるが。

 そうして、そんなまだ見ぬ共演者の中、ボクは木馬亭の舞台に自転車で上がりたいと思っているのである。当初は八王子のときと同じようにレンタサイクルを借りるつもりだったのだが、木馬亭にある自転車をお借りできそうで、となると後は舞台に上げられるかどうかなのだが、その問題は今のところまだはっきりしていない状況である。

 客寄せとして、入り口でさわりだけやるという手もある、と今回のライブに誘っていただいた方からアイディアもいただいていて、結構それについては本気になってもいるのだが。(続きは中で……とやって、実際には舞台では別の話をやる、というかなり羊頭狗肉な、というか姑息なことも考えているw)

 まあそれはともかくとして、暑い夏は笑い飛ばして過ごすのが一番であり、来ていただいたお客様に思い切り笑って帰ってもらえるようにがんばりたいと思っている今日このごろである。

 オフィス7F(イベントの主催団体)「オフィス7F彙報」
 http://yamaton.hp.infoseek.co.jp/

 というわけで、続きは明日のお楽しみ!

2007年07月02日

第117回『ドラマ』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 芝居や演劇のコトを“ドラマ”という。
 ワタシの生業としている世界だ。

 劇的だったり強く印象に残ったりする出来事を“ドラマ”という。
 ワタシの暮らしている日常世界であり、意外と頻繁に起こり得るコトだ。

 去る6月25・26日に、新しく出逢った仲間との、生まれてはじめての東京公演が終わった。満員御礼、コミカルな舞台だった(ありがとうございました)。
 
 ほぼ毎日稽古があったので、おんなじ面子と物凄い頻度・密度(笑)で顔を合わせるコトになった。しかもほぼ毎日のように飲み屋で夕食を済ませていたので、仲良くならないわけがない。

 嗜好・思想が少しずつ明らかになり、それぞれのキャラが決まり、鉄板(お決まりの)ギャグが出来、いい歳なのにオール(徹夜)をして、まるで海賊か何かのように大騒ぎをした、そんな印象だ。

 そしてみんなでヒイヒイいって“ドラマ”をつくり(今回は難産だった)、本番が終わった。そう、物事には必ず終わりがある。当然のように、楽しい出来事の後には必ず胸が張り裂けそうな出来事がある。

 全体打ち上げのあと、有志だけでカラオケに行った。そこでワタシはボロボロに泣かされた。スピッツの『楓』などの所謂“別れ”や“仲間”のようなものがテーマの歌を何曲もみんなで熱唱されてしまっては、もう号泣するしかない。

 1ヵ月という短い時間しか共有していない間柄なのに、こんなにも別れが辛いのだ。嗚呼、これらの日々がどれだけワタシタチにとって濃密な時間であったことだろう。作られた“ドラマ”でない“ドラマ”が、こんなにも身近に転がっていたのだ。

 ワタシの暮らす日常の“ドラマ”も、まんざらでもないらしい。みんなの歌を聴きながらそんなコトを思いまた涙して、ただ打ち震えていた。悲しみの涙とは少し違う涙が流れた。

 …もっともこの打ち上げーーというかカラオケーーは、役者と演出家が集まって構成されているので、もしかしたら作られた“ドラマ”であるかもしれな……

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