2007年09月03日

第126回『アナタにふれたい』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 遠い遠いむかしのヒトビトは、今の我々のように“コトバ”というモノではなく、もっともっと極めて“カラダ“に近いところで通じ合っていたという。

 確かに「原始人の真似をして下さい」といわれたら、大概のヒトが「ウホウホ」とかなんとか訳のわからない音を発しながら、アノ肉を食べるフリをしてみせるに違いない(しかしどうしてアノ肉は“アノ肉”という言い方で流通しているのだろう)。とにもかくにも流暢にしゃべっている原始人は見たコトがない。

 いつの頃からかヒトはコトバのみを頼りにして、そこから得られる情報だけを鵜呑みにし、相手をさも理解したような気になってしまっているようだ。
 話を聞いてもわからないから、より一層コトバを求めて闇に迷い込む。ホントウの相手にふれるコトができるのは、いつになることだろう。

 新しい舞台の稽古がはじまると大抵“自己紹介”をさせられるが、往々にしてつまらない。なにせ知らないヒト相手だ。うわべだけでコトバを発して「大阪出身の中野です。31です。お肉が好きです。」みたいな情報しか提供できないので、聞くがわもあんまりテンションが上がらない。

 そこでもっと深く相手を知るために、「何回も何回も“自己紹介”する」というのはどうだろうか。
 何回もまわってくると、そのうち手持ちの“当たり障りのない情報“がなくなってくる。すると徐々に、例えばイマ気になっている話題や嵌っているモノのハナシに移行してくる。

 共通の話題ではないので、どんどん抽象的なハナシになってくる。さらに何周も自己紹介をする。どうでもよい、なんだかわけのわからないハナシになってゆく…。

 そうしているうちに“コトバ”があいまいで、この“なんだかわけのわからないハナシ”から、相手をなんとか理解しようと“カラダ”全てが相手に向かうようになってくる。こうなってくると、なんだか会話するのが面白くなってくる。 

 大概どこでも最初は“自己紹介“からだ。いつものやり方にひと工夫加えて、深いところで触れてみてはどうだろう。

 最後に。こういうコラムを今回書いたからといって、“コトバ”を粗末に扱ってよい、と言っているのではないコトだけは特記しておきたい。“コトバ”は単なる、コミュニケーションツールではないのだから。

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