
廣島屋でキュ!廣島屋
さて、前回のコラムを書いた後、ついに唐組公演「紙芝居の絵の町で」のチケットを予約してしまったので、そのまま前回の続きから書いたほうがよいのだろうが、その前に、前回はちょっとしか触れなかった寺山修司「狂人教育」について。
今回ボクが観た「狂人教育」は劇団☆A・P・B−Tokyoの公演だったが、実は今年3月に池の下という劇団がタイニイ・アリスで同じ芝居を上演していたらしい(ただ、ネットでのレビューなどを見ると上演時間は1時間くらいだったようだ)。この池の下という演劇集団は、「寺山修司全作品上演計画」と銘打って彼の戯曲を次々に上演しているという。ポスターも丸尾末広という非常にツボを知り尽くした制作方針のようだ(一方のボクが観た「狂人教育」のチラシ絵は智内兄助。こちらも素晴らしい)。
まあ別に劇団の優劣をいいたいわけではないので、この話はどうでもよいのだが。
ただ、「なぜ今、狂人教育?寺山修司全作品?」……と、思ったら今年は寺山修司生誕70年だそうだ。
いまさら知ってビックリ。
まあ、この程度の情報は、今の時代すぐに手に入るものであり、それなのに、芝居をやっている(紙芝居だけど)とえらそうにいっているボクのような人間が、こんなことをやっと知ったわけだ。無知でいることはそれほど悪いことでもないが、無知のままでいることはやはりまずいことだと改めて肝に銘じたボクであった。
さて、改めて「狂人教育」について。
これは、ある家族の物語である。そうしてどうやら、もともとは人形劇であるらしい。確かに登場する家族は人形なのだ、と劇中で明かされ、彼らを操る黒子たちも早々と出てくる。しかし、ボクが観た舞台では黒子も彼らが操る家族も、役者が演じていた。
最終的には黒子の親玉(?)と家族の中でただ一人正気を保っている「妹」が対決する(というと陳腐な活劇みたいですね、これはひとえにボクの表現力のなさからくるものです)。そうして、まるで屋台崩しのように衣装を脱いだ役者たちが舞台上に現れる。そうして、物語の枠がとっぱらわれ、現実の脆さを見ているワレワレに突きつけてくるのだ。
前回「鳥肌が立った」と書いたのはこの部分だ(それだけではないのだけれど)。
しかしこれは、芝居を観るときのひとつの楽しみではないだろうか。
おそらく、社会も何だか形にならない熱のようなものを絶えず内に抱えていた時代、舞台を観る、ということはただ物語を楽しむだけでは許されなかったのではないかと思う。今風にいうならば、双方向性の演劇(もちろん、今よりももっと原初的なものであったと思うが、それだけにエネルギーはすごかったろう)。
それがアングラだったのではないか。
何だか結論が唐突にしかも前段の話と関係ないところから出たようで、いつも以上に文脈がとりとめもなくて申し訳ない。次回はおそらく初唐組の興奮冷めやらぬまま、またぞろ支離滅裂なことを書いてしまいそうだが。
続きは明日のお楽しみ!






