2007年05月14日

第110回『ゼンブのなかのジブン』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 雨のにおいがする。

 外に出ると水っぽい風が吹いて、今となっては刈られるのを待つばかりの麦たちも、なんとなくもったりして軽やかさがない。

 森羅万象が規則的にツギの準備をしている。ワタシタチの知らないうちに、すこうしずつ変化している。そう思うと、いつもよりもやけに空が高く思えたり、世界がとてつもなくだだっぴろいように感じたりする。そんな中に、ワタシがきょとんとした顔でポツネンと立っている。

 とてもちいちゃくて、ひとりぽっちのような気がする。

 それでもワタシは確かにココにいて、なんとなくジブンが“どの部分なのか”を感覚的に捉えるコトができる。

 毎日の、“絶対やらなくちゃいけないコト”に追われていると、全くもってジブンしか見えなくなってしまう。そして誰かを傷つけたり振り回したりしてしまう。

 舞台に立っていても、観客や舞台装置や照明の色、音響スタッフが入れてくれる音などが見えなくなったり聞こえなくなったりすると、途端にジブンを見失う。

 要するに、ジブンを知るためにジブン以外のゼンブがなくてはならないのだ。

 お気に入りのワンピースやペンダント、香水やいつも使っているカップ。部屋、家。いつもの靴を履いて土を踏む。庭があって、ジブンのテリトリーから外へ。

 家族の中でのジブンは何であるか。劇団の中でのジブンは何であるか。友人の中での、子供たちの中での、会社の中での社会の中での、自然の中でのジブンは何か。

 それさえ忘れなければ驕り高ぶるコトもなく、なんとなく今の自分の立ち位置がわかるような気がする。

 雨のにおいがする。規則的に梅雨が訪れ、忘れずに紫陽花も咲くことだろう。
この記事へのコメント
 自分しか見えてないって事は、自分を構成する「周り」の存在が失われて、結局自分を見失ってしまうということなのでしょうか。
 がむしゃら一生懸命でも、独りよがりだったりして、自分だけの満足感や自分だけの手柄を手に入れて、結局たどり着くところは自分の望む場所じゃなかったりしてしまう危険性もありますよね。
 ふと立ち止まって、時には季節を感じながら自分を見つめなおして、大事なものを再確認するのって大切ですね。
Posted by くにえ at 2007年05月15日 00:18
くにえ 様

 プライベートでも、そしてどんな仕事においても、ジブンが出した成果はジブンのものであってジブンのものではない、といういコトをよく考えます。

 例えばジブンが中心になって何かをやる場合、責任者は勿論最も大変ですが、それで成功させたからといってジブン「だけ」のチカラだと思うと、ジブンが見えなくなってきますよね。

 平素ボーーッとしているワタシが芝居なんかやらせてもらえるっていうのがもう、いい例だなあと感じます。
 
Posted by 中野菜保子 at 2007年05月15日 14:34
人間ってすごく小さいと思う
でも、庭の植木の、剪定をしてみる。
自分が、何かをコントロールしている
それって、すごいことじゃないかと思う
う〜ん、がんばろう。
Posted by みつよし at 2007年05月19日 23:04
みつよし 様

 何かが動くと、いい悪いに関わらず必ず他の何かに影響を及ぼしてるんですよね。気をつけないと、と思います。

 お庭の花木がすくすくと良く育つのは、剪定したみつよしさんのおかげですもんね。剪定の仕方(影響の及ぼし方)次第なので、凄いコトだと思います。
 
 「がんばろう」といって剪定してもらえる花木たちはラッキーですね。
Posted by 中野菜保子 at 2007年05月21日 00:02
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