2007年06月11日

第114回『地方と東京』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 この半月で、稽古の合間を縫ってたくさんのヒトと話をした。今後も何件か予定がある。
 
 いろいろと話をする中で、“地方”について結構誤解しているヒトが多いコトに気付いた。中でも最も大きな誤解は、「“地方“の方が、芝居がやりやすい」と考えているコトで、最近訂正するのがめんどくさくなってきた。
そんなわけがない。米国人の子供が、いまだ日本人は袴とちょんまげで過ごしていると考えるくらい、大きな誤解だ。

確かに“やりやすさ”が、何における“やりやすさ”であるかにもよる。舞台装置を製作・保管しやすいだとか材木が比較的手に入りやすいだとか、そういう便利さは“地方”の方が有利かもしれない。しかし大体のヒトが金を出してちゃんと倉庫を借りている。
 
やはり文化は“東京“にある。芝居をやるヒトが多い分、目立たない、という問題はあるだろう。しかし、劇場や稽古場の利用料金はさほど”地方“と変わらないし、むしろいろんなキャパの劇場があって羨ましいくらいだ。

文化を消費してくれる人口も“東京”は半端じゃない。チャンスもそこらじゅうに転がっている。ちょっとしたエキストラっぽい仕事ならすぐにありつけるだろう。そしてちょっと自分を勘違いしてしまうヒトもいるかもしれない。

逆に“地方”は絶対的に文化的需要が少ないうえに、センスが立ち遅れている部分もある。“東京”ほど価値観も多様ではないから、あまり前衛的なものをやると理解してもらえない。だからといって消費者に迎合するのも創造する側としてはちょっと違うだろ、と思う。

劇団数が“地方”は少なく目立つとしても、観よう!と思う人間が少なければやっぱり集まらない。そして金にならない。

“地方”は仲間を募るのもひと苦労だ。芝居なんか観たこともない、というヒトがほとんどで、やる機会も観る機会も“東京”にくらべ格段に低いのである。芝居をやってるなんて、ちょっとした変わり者なのだ。

「“東京“から”地方“へ芝居をやりに行ったら、”東京“から来た!というコトで客が集まるのでは」と話しているヒトもチラホラいて、時代錯誤もいいところだなんて思った次第だ。そんなイナカッペはもう存在しない。せめてネームバリューがないと、”地方“でもお客は高いお金を払ってまで観には来てくれない。

“地方”も“東京”もやっているコトに左程かわりはない場合も多く、それぞれにやりやすさ・やりにくさというのはある。ただ、ほんの一握りの物凄いレベルの人々が、確かにいるのは“東京“だ。そういうヒトは下手をすると、”東京“ではなく”世界”にだってお出かけしているくらいだろう。

“地方”だからレベルが低い、“東京”だから高い、というのでもない。確かに六大学は“東京“にあるけれど、”東京“に暮らすヒト全員がインテリなわけではない。

ともあれ新しいものはたいがい“東京”にある。一度はこのやたらめったらヒトがひしめき合っている土地を見てみるのはお薦めだ。
この記事へのコメント
東京のイメージってありますよね
田舎と都会ですか?愛知県は田舎だと思います
東京は日本の中心でしょう、すべてにおいて
初めてギターを買うとき、東京へ行きましたもんね。でも、どこで買ってもいっしょって今では思いますけどね。(値切れれば)
東京って、もっと自然があればと思います
なんか、アスファルトジャングルって思いません。
Posted by みつよし at 2007年06月17日 16:23
みつよし 様

 そうですねえ。「アスファルトジャングル」…、そんな感じですね。少しはずれにでても、寂れてはいるけれど木は少ないですね。

 田舎と都会のイメージに囚われずに見つめることができれば…とおもいます。
 
Posted by 中野菜保子 at 2007年06月18日 23:42
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