2006年10月06日

21、ソリティアをやっていたら

kaimimi.jpg
岡崎藝術座
主宰 神里雄大


はじめに謝っておきます。すいませんごめんなさいすいませんごめんなさい。

謝り癖がひどいですけど、さらに謝る対象について、
あえて明らかにはしないあたりが最悪ですけど、
とにかくごめんと言っている
のだからそろそろ許されるはずだ。という傲慢怠慢隠れ肥満。という下らない韻☆

付き合いはもう、6年になるのかもしれない。
いい加減あきたし、まったく仕事が進まない。
ほんとは飽きてないんだけど、ぽいっと、ゲーム自体、削除してしまった。
ひとつの時代の終わり。

単純な数遊びを繰り返して、
得たものがあるとするなら、たぶん空間の歪みなんだろうけど、
たかが(スパイダ)ソリティアでそんなことを語るのも馬鹿馬鹿しいし、
依存性ばかり強くなってしまうので、
hpノートのからも削除して、いままでありがとう。大袈裟な時代の終わり。

これから飛躍とかいう胡散臭い気圧に乗っていくとすれば、
心の洗濯やらも躊躇やらも、全部うっちゃってしまって
禁断症状に耐え、
孤独な時間を過ごすしかないので、いままでどうもありがとう。しつこいくらい時代の終わり。

別に何かの暗喩のつもりでもないんだけど、
たかがそれに、
そんな気がしてしまうのはどうしてか、
そういうつもりなのか、眠れないなら寝なきゃいいだろう何を寝ぼけたこと言っているのか。

時代を意識した時代の終わり。
終わり。
決意もない終わり。なんとなくの流れすらない終わり。終わりの終わり、始まりの始まり。


PS.だれか制作やってください。本当に。

2006年09月22日

20、3分

kaimimi.jpg
岡崎藝術座
主宰 神里雄大

 なんか怒られそうだけど、3分で書く、というのを夜な夜なやってみる。というのも時間がないからだ。寝る時間が。こうなると改行とか、文体とかに余裕がなくなってくる。ですます調じゃない。この際だから告白するけど、普段はぜったいにですます調なんて使わない。ああもう半分過ぎた。どうしよう、そう書いたら余計になにも浮かばなくなって、もう2分半経過した。えーと、みなさん、どうもありがとう。何に対してかわからないけど、とにかくありがとう。ごみを投げたらごみ箱に当たって入った。小さな幸せ、大きな幸せ。時間になってしまいました。3分です。ですます調がいつのまにか。3分です。

 2分

 小心者なので、このまま終わらすと怒られそうで、今度は2分でやってみる。日記を通り越して、ただのあれだ。「あれ」をひらがなにするかカタカナにするか迷ってたらロスした。かぎ括弧もつけたらもう時間ない。バイトしてるときはあんなに2分も3分も長いのに、なんだこれは。わかった、わかったことがある。もう2分。

 1分

 はい予想通り1分で終わりになります。書き損じたので。わかったというのは、もう30秒ですけど、わかったのは、時間に追われていると時間の経過が早く感じる。当たり前のことだけどこれは、芝居をするにあたって重要な…1分になりました。

30秒

 すいません。こんなんですいません。でもいいことがわかりましたけど、かけません。もう時間。

2006年09月15日

19、受賞の喜び

kaimimi.jpg
岡崎藝術座
主宰 神里雄大

1、自分のこのコラム、何回目なのかわからなくなっていました。まだ19回なのか、こんなに間があきすぎで、ごめんなさい。謝り癖はよくないし、疲れたとか忙しいとか、言うものではないと自分に言い聞かせていますが、逆説的な話なのです。

2、報告はしなければなりません。以前お話しした利賀村の演出家コンクールですが、最優秀演出家賞をいただきました。それから神里は調子に乗っている、と言われて上等です。
 でも歌舞伎町や西新宿を歩いていると、飲み屋につられない自分の最近が心配です。ひさびさの稽古・公演でしたが、一番実感したタイミングは、終了後の毎日顔を合せない寂しさでした。寂しい寂しいしか言っていない気がします。これもよくない。だが、やはり逆説的です。

3、初めて取材を受けました。新聞社の人はとにかくメモが早い。けど、どうも気になって自分のペースで話せませんでした。別の取材では、レコーダをテーブルに置かれました。それに顔を近づけそうになります。やはり体勢のほうが気になって、面白いことが言えないし、面白いことを言おうとすればするほど、言えないわけであるし、さらにこれを言えば身も蓋もないわけですが、自分は面白いことを言う人間なのかと、自問自答が始まる。このような状況がそもそも、浮き足立っているというのでしょう、自分を見失っている、ということです。
 ちやほやされるのは、気持ちがいいものです。毎日、おめでとうメールが届きます。飲もう、という誘いが多いです。劇団ブログの訪問者数が一時的に増えました。ランチにステーキ食いました。山崎10年飲んでます。ロマンスカー乗りました。早起きしてます。タバコの量が増えました。近々、医者に会いに行きます。

2006年08月11日

18.公演せまる

kaimimi.jpg
岡崎藝術座
主宰 神里雄大

・ 劇団の公演が迫っています。7月1日にイベントに出演いたしましたが、単独での公演は、8ヶ月ぶりです。劇団を作ってから初めてこのような間ができました。

・ 毎日稽古です。

・ 年上の俳優が多いので、威厳を見せようとスーツを着て稽古場に行きました。

・ たいへん暑いです。ふと見ると、国の例のクールビズが浸透しているのか、電車のサラリーマンはけっこうノーネクタイ/ジャッケットなしの半袖の方が多いです。毎日乗っているはずの小田急線ですが、スーツを着てはじめて、そういう観察ができました。反省しました。

・ 話はそれましたが、私はクールビズ用のインナーシャツを持っていませんので、普通の無地のティーシャツを着ます。放たれた首元から汗に濡れたシャツがはみ出してしまうのが、格好悪い気がして、ネクタイで隠します。

・ やはりネクタイが一番あついです。周りのノーネクタイにかこまれていると、わたしがエセリーマンであることを見透かされている気がしてなりません。余計に汗をかくのでした。

・ 年上の俳優の何人かは昼間、スーツを着て仕事をしていました。当然、スーツで稽古場にやってきます。

・ 威厳は出ませんでした。でも、わたしのスーツは似合っています。短いサラリーマン時代の賜物としておきたいと思います。

・ 就職時は、私服通勤なのでした。

・ いずれにしても似合うものは似合うので、公演当日はスーツで客席誘導などをやることにしようと思っています。汗をかかないか心配です。会場の空調能力に期待です。

・ というようなことを自問自答の稽古をしていますが、もうすぐ開演になります。最終的にそこに行き着くように考えは巡るようになっていました。

・ 8ヶ月がブランクにはならなかったようです。

・ 会場だとか開場だとか開演だとか、ややこしいとも思っています。

2006年08月04日

17、手書きとワープロ書きについて

kaimimi.jpg
岡崎藝術座
主宰 神里雄大

 最近、新しいPCを購入いたしまして、小さいやつで、図にのって持ち歩いています。いまも新宿のケンタッキーで書いています。
 もともと小田急や人の家など自宅以外で原稿用紙に台本を書いて、家で清書というかPCに打ち込むことが多かったのですが、これを買ってからはその清書の手間すらなくなったので、完全に手書きをする機会がなくなりました。PCは楽です。Ctrl+C、Ctrl+Vでことは足ります。

 学生時代、文学部に在学しておりまして、みなさん小説・詩などを書くわけですが、そこで手書きとワープロ入力の文体、もしくは文章のリズムについての議論がありました。えんぴつを持って書くときの脳の使い方、手の動き、それとキーボード入力でのそれらは明確な違いを生み出しなんたらかんたら……
 多くの人はローマ字入力だと思いますが、作家のひとたちは別の、もっと便利な入力方法があるという話も聞いたことがあります。が、私はその方法は知りません、ローマ字入力です。

 話を持ち出しておいてですが、私はこの議論には加わりませんでした。
 
 自分にとって、手書きは紙がかさばるし、紛失するしで、PC入力のほうが断然、進みが早いのです。リズムの差も感じることはないし、味がないなんていうコメントは馬鹿げていると思うのです。と、そのようにいつの間にか議論に加わっているのでした。IT入力の弊害をひとつ挙げるとするならば、ときどき文中にtとかxとか謎の文字がでtくることdしょうか。

 PCがあって、手書きを入力しなおす、という手間がひとつ省けるのであれば、それを精神論でわざわざ手書きにする手はありません。エレベーターを使うのはよくない、というのがナンセンスと言ったのは坂口安吾だったと思いますが、それに同感です。

 要するに私は、新しいPCを買った、ということを内外に向けて強烈にアピールしたいのであります。します。新PC買ったよ! 内臓無線LANだよ! 軽いよ! あとは何回ものローン返済だよ!

2006年07月28日

16、たいへんご無沙汰しておりました。

kaimimi.jpg岡崎藝術座主宰 神里雄大

 まず、貴重なスペースをいただいているにも関わらず、長期に渡り、連載をお休みしてしまったことをお詫び致したいと存じます。皆様、申し訳ありませんでした。また読んでいただければ幸いです。
 利用PCが壊れたとか、体調不良で入院していたとかではないのです。思い起こせば、某氏とこのコラムについての議論をした後、なんだか書くことができなかったので、要は自分自身の問題でした。

 近況を。

 8月下旬に、富山県は利賀村にて、財団法人演劇人会議主催の利賀演出家コンクールに、参加することになりました。わたくしどもの演目はピカソ作の『しっぽをつかまれた欲望』という戯曲です。ピカソは戯曲を書いていました。8月15日に千駄木のブリック・ワンというスタジオでプレビュー公演を行います。
 今月1日に、半年ぶりに人前に立ちました。クラブイベントに参加し、バンドやノリのいいパフォーマンスの方々の中で、わたくしどもは能+暗黒舞踏を行いました。外国人のお客さんに特にうけていました。
 ひさびさに人前に出て改めて感じたのは、一期一会の驚きや緊張は、その場にいる者の特権であるから、貴重なのだ、ということでした。少し忘れていたのかもしれません。


 稽古に入って2ヶ月弱、東京以外の場所での演出作品が初めてということで、アプローチを変えるべきか通常通り行うべきか、というのが最初の課題でした。稽古は継続中ですので、答えはまだ出ていません。その時点で通常とは異なるのかもしれないのですが。

 稽古にバイトで、狂おしい夏で、また中断してしまうかもしれない、と不安はありますが、なんとか連載していきたいと思います。よろしくお願いします。

2006年05月19日

15、また休みました

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 先週、申し訳ありませんでした。また、締め切りを落としました。

 どうも文章が書けなくなりました。と身も蓋もないことを言いまして、逃げます。
 どうにかスペースを埋めます。貴重なスペースを……

 書けないときにすること

・ 寝る
・ バイト
・ マスをかく
・ ソリティア
・ ビール

 これくらいしかありません。しかも書き出してみたはいいが、話の広がりが浮かびません。
 やはり週間で連載を続ける漫画家や、

 水島新司は、

 すごい。


 今回はこれで勘弁していただいて、

 いいですか?

 ビール

 飲んでいいですか?

 雨に打たれて……


 風がまだ冷たい

 夜が明けたら小田急線に乗り込みます

2006年05月05日

14、騒音問題について

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 札幌出身の職場のひとが、「サッポロラーメンまじうまいよ、東京のはまずい」などと戯言を言うものだから、横浜ラーメンを食べさせようとはるばる横浜まで行ったのに定休日で、よくわからないラーメン屋に入って、胡麻がないからニンニクを入れまくったらニンニク臭いラーメンが出来て口もニンニク、というのが私のゴールデン“GW”ウィークでした。
 皆々様は京都にでも行ったのでしょうか? 京都のひとは奈良かな? すいません、これ以上、連休の話を広げる気がありません。どうせ連休も終わればただの夢、また月曜がやってきて、私たちは朝の陽光に涙するわけですから。せいぜい今のうちに夢を見ればいいのです。

 今月末から私の劇団の稽古が始まります。詳細はまだまだ未決定のままですが、ひさしぶりの公演ですから、地図を確かめて、稽古場までの道のりを今度こそ迷わないようにしたいと思っています。というわけで、稽古場の確保だけ順調です。
 演劇というと、気持ちの悪い近寄りたくない発声練習やら悲鳴やら断末魔の叫びやら男女のストレッチやらマッサージという名を借りた密室やらを想像しますが、まさにその通りで、近所迷惑この上ないのです。しかも稽古場は値段が張るわけでして、また採算の話になりそうですからほどほどにしますが、安い公民館などに私たちは集中します。公民館のひとは正直、演劇どもに貸したくありません。度を超してはしゃぐ俳優がいると、演出が殴る前に、「静かにしてね」とやってきます。それで、私たちはひそひそ声になるのです。で、「静かな演劇」などというものができたわけです。
 野球の守備で投手が四球を出したときなどに、捕手がマウンドまで行って、内野のひとたちも集まってきてなにやら打ち合わせを始めますが、そのときグローブを口に当て、相手チームに口の動きで内容を読み取られないように努めている、あれ、意味あるのでしょうか? 私は外野を守っていたので、内野手から聞いた話ですが、たいした話をしていないそうです。「落ち着いていこう」とか「ツーアウト」とか言っているそうです。口を隠す意味があるのでしょうかね。 
 話がずれましたが、そういうわけで以上、いっとき小劇場界でブームみたいになっていた静かな演劇の生い立ちでした。
 団塊のひとたちは拡声器でなにやら叫んでいましたし、以前は世間も公民館も騒音に対してあまり敏感でなかったと考察されます。

2006年04月28日

13、今週もです

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 今週も引き続き、戯曲を読み漁っています。制作の人に頼んで、大学の図書館からいろいろと借りてきてもらっているのですが、やはり大学の図書館はすごいですね! 市立図書館や大手書店で手に入らないものが、易々と見つかるので、私は学生時に図書館なんて数えるほどしか利用していなかったからなんともったいないことをしていたのか! と思います。
 学生時代にもっと勉強しておけばよかった、というのはいろいろな人々から聞くことで、自分も同じことで、お酒を一杯ひっかけながら、学生に「もっと勉強しとくがいいよ」と煙草を一吸い、そういう自分は世のいろいろな面を見てきたからそういうことが言えるんだよ、君たち学生の身分はそういう人生の先輩のアドヴァイスはありがたく聞くことだね、と言わんばかりのくだらない酒を一杯、煙草の煙をプファアと吐き、自分はもう中年を過ぎたような心地になるのですが、そりゃあ中年から見たらあんた、もうそういう次元でもないのよ、なに20代の馬鹿造が、いや結局20代の見地だね、と隣に座っていたリーマンに言われて、私は学生の後輩の前で立場がなくなり、「あんたみたいな大人にはなりたくないわ、このドチクショウ」「目上に向かって、アンタはないよこの無駄毛!」と喧嘩をして、あァくだらない酒がさらにくだらない。

 けっきょくのところ、その場の空気とかいうものや気分で、口から出任せを放ち、気持ちよくならなきゃ損損、自分の発言に責任など持っていないわけです。酒場の議論は、次の日の朝のラッシュに消えてしまうのであります。では、なぜ人は酒を飲むのか? 日々の鬱憤を酒瓶の底に押し込んでも、翌朝はさらにつらくなり、休もうかなあ、反対方向に乗って箱根に行きたいなあ、となるわけです。
 ということも、ただのフリーターの私が語ったところで説得力の欠片もないわけでありまして、説得力がない発言は誰も聞かない、誰も聞かないから、発言に責任も持たない、という流れができあがるわけです。

 なにが言いたかったかというと、小田急ダイヤについての考察は、勉強不足により先延ばしすることになりました。

2006年04月21日

12、近代戯曲を読む

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 とある理由あって、近頃は近代の戯曲を読み漁っています。とある理由というのは、何もそれを隠して、皆さんの想像力を鍛えようとか、現代人には想像力が不足しているのだ、とか言いたいわけではありません。現代に想像力が不足しているとは、私は思いません。そもそも想像力が、ものごとを創り出すというのは嘘っぱちではないでしょうか。すべてが連鎖の中で出来上がるに決まっています。何かをゼロから創り出そう、なんて考え自体おこがましい。それこそ想像力の欠如であります。
 ですから、人類の歴史を積み重ね、連想の末に立っている現代には、これまでの人々の想像が蓄積されているぶん、現代人は想像力に豊かなのであります。ないない言われるのは、想像力の連想を把握する認識力です。

 というようなことを言うと、表現者として諦めているから終わっている、と言われるわけですが、この「表現」という言葉自体が危ういことを後ろに置き去りにして、「表現」という言葉を会話に登場させる人は、議論を進めるのです。
 昨日、味噌汁を残した、このことを言うだけですでに表現になります。表現は、事実です。連鎖の中で、その事実がどのような位置にいるのか、役目は何かを判断するのが、認識することです。
 人間は、この認識力が非常に弱いです。ですからそれを安定させ、事実を突き詰めて思わぬ方向に流れないよう制度を定めてきたのが、私どもの歴史です。わかりやすい例をあげれば、裁判での陪審員制度です。ですが、また全体というのも、しばしば認識することを忘れ、表現を至上とし追いかけてしまいます。それ正して、道を保全する役割がまた歴史なわけであります。
 ですが、ここに矛盾があります。つまり道を踏み外しているのは、なにも現代に限らず、何度となく繰り返され来たのですから、それを道標として認識するためのトラブルシューティングにすることで、(誰が決めたことかはわかりませんが)正しい道、というのは少しずつ中心からずれていきます。中心からずれてしまう、すなわち道を踏み外しかねない、ということは人間にとって、恐怖です。

 過去を回収し、それを身に着けることで、修正を図ることは人間の本能なのでしょう。一方で、これが道を踏み外しかねない諸刃の刃なわけです。ここで必要になるのが、連鎖の恐怖に打ち勝つ力、すなわち認識力です。
 認識力を磨くためには、歴史の想像力を蓄積させる必要があります。ですから、懐古主義は、そうしてみると、ある種の進歩主義であるわけです。
 しかしここで注意が必要なのは、昔も今も、やはり歴史のうえに立つわけですから、少しずつ中心からずれてしまうのです。ですから、修正が必要になり、そのために認識力が必要なのです……認識力を磨くためには歴史を学ぶ必要があります……あれ……

 来週は、小田急改正ダイヤの話です!

2006年04月14日

11、先週はすみませんでした

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 先週はすみませんでした。まだ10回しか書いていないのにもかかわらず、お休みしてしまい申し訳ありませんでした。
「ドカベン」や「あぶさん」などで有名な水島新司先生は、これまで一度も締切を落としたことがないそうです。かつて、週刊と隔週刊と月刊の何本もの連載をかかえていたころも、しっかりと描き続け、週一度の草野球は今でも欠かさないとのことです。自分で言ってました。まさに「継続は力なり」という言葉を思い知らされたのでした。でなければ、あのように野球マンガしか描かないという無理は通らないでしょう。


 さて、私は体調を崩していました。私は腰痛持ちです。私のまわりで、「芝居やってます!」などとうそぶく人たちには、腰痛持ちが多いのです。芝居と腰痛には関係があるというマユツバであります。さらに言うと、腰痛持ちの人は風邪をひきやすいのです。
 以前こんなことがありました。とある公演の出演者は10人くらい、うち、腰痛持ちと自称する人間が4人くらいいたと思います。で、ひとりの腰痛が風邪をひきました。つづいて次の腰痛に風邪がうつりました。ほどなく別の腰痛に風邪がうつりました。けっきょく、稽古場もしくは公演期間に体調を崩した人間は、みな腰痛持ちだったのです。
 
 これが「腰痛持ちは風邪ひき」という私の持論の根拠をなすものであります。念のため言っておくと、先週の私は腰痛で体調を崩したわけではありません。腰痛はいつでも私を責め立てるのです! 寝ても覚めても腰痛腰痛ああお前のために腰痛、私は肩が凝りません。すべて腰に来るのです。
 立っていると腰がだるく、座っても同じ体勢を続けられず、姿勢が悪いと言われ猫背、映画館もロマンスカーも前の席が近すぎて、前の席の背もたれに脛を押し付けて、丸くなるのです。

 ですから私は稽古場で演出を担当するとき、寝転がったり、寝たり、あぐらをかいたり、寝たりするのです。これでは威厳もなにもありません。俳優の人たちは、「演出さん、寝ないでください。寝るなら出てってください」と言います。私は気合を入れて仁王立ちになります。やがて腰痛が腰を床に引っ張ります。私はうつ伏せになります。うつ伏せが一番楽なのです。そして、稽古場でうとうとする俳優の人に、「寝るな、このバケモノ!」と怒るのですが、自分も同じことなので、日本たばこ社と矛盾していることが同じであるわけです。
 しかし腰痛に負ける私は、寝転がりながらその矛盾をやり過ごします。うとうとする俳優の人は、自発的にコーヒーを買いに走るわけです。その積極性が、私の腹を稽古場の床に押し付けて起き上がらせません。

 まずは、起き上がることから始めなくてはなりません。要するに道具を持て、ということです。人類の進化がここに縮図となり、私に教えているのです。まず、起き上がることから始めろと。

 もちろん、本番期間中に風邪をひくなんてもってのほかです。

2006年03月31日

10、なにが景気だよ

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 私がイースタンユースというバンドを好きなのは以前書きましたが、彼らは音楽好きなら誰でも知っているほど有名なバンドだと思います。
 で、先日、「ロッキン・オン・ジャパン」という音楽雑誌にイースタンユースのボーカルのインタヴューが載っているというので、本屋でそれを立ち読みしました。巻頭の特集は、「サンボマスター1万字インタヴュー」だったと思います。
 そして、我らがイースタンのインタヴューは、後ろのほう、見開きで1ページでした。憤慨しながらそれを読むと、ボーカル/ギターの吉野さん曰く「ぶっちゃけ収入ゼロ」とのことで、非常にショックを受けました。先日、新しいアルバムが発売されたのですが、非常にいいアルバムです。そして、このインタヴューはアルバム発売前に行われたもののようで、「アルバム出したら、せめて月20万はほしい」というようなコメントが載せられていました。
「金がないからバイトしたいけど、おれは忙しくてバイトできない。忙しいのに金がない。どうなってんだ!」
 私もどうなってんだ! と雑誌を破りそうになりました。どういうわけだか知りませんが、極々客観的に、損得勘定も入れず、右だ左だ四の五の言わず聞いて、彼らの音楽が「ぶっちゃけ収入ゼロ」というのはどういうわけだかまったく知りません!
 昨日の夕刊に「デフレ脱却の兆し」とかなんとか書いてありましたが、いったい、何のために景気が回復してるってんだ!

2006年03月24日

9、日常

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 世間がWBCで盛り上がっていて、それを無視して別のことを書くのは、主流にはどうしても乗りたくない、とアピールしすぎている気がしてなりません。というわけで、野球について書きたいと思いますが、私、あまり詳しくありませんで、専門的なことは書けません。しかし、私は高校時代まで野球部でした。しかも、まだイチローもアメリカに行っていない時分、私はアメリカに留学し、そこでも野球部に入りまして、福留のようなホームランを打ちました。一度だけピッチャーをやった際には、“小さな巨人”里中の真似をして、渡辺俊介ばりのアンダースローで、連中に立ち向い、「ノモ」と呼ばれました。高校1年時の夏の大会では、開会式が松坂と一緒でした(神奈川県なので)。以上、私がいまだにしがみついている過去でありまして、WBC制覇後の報道で、少年たちが「夢は世界一の野球」などと言っているのを見ますと、彼らの前途に大人気なく嫉妬してしまいます。
 イチローのプレイがどうだったとか、王監督がやはり「世界の王」である、だとか、よくわからないのですが、私はヤクルトファンで、今年は古田選手兼監督が注目ですし、名称も東京ヤクルトスワローズに変わりましたが、WBCではヤクルトの選手は影が薄かったなあと思いました。
 今大会は、日本が頭ひとつ出た結果だとは思いますが、それにしても韓国野球のレベルの高さは、今後、注視していかなければなりませんし、どこが優勝してもおかしくないくらい力の開きはないように見えます。
 非常に中身のない文章で申し訳ありませんが、今回はこれくらいで勘弁していただいて、私も皆さんも、WBCを忘れて、また日常に戻っていきます。高校野球も始まりましたし、パリーグも開幕です。

2006年03月17日

8、喫煙について考える

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 昨今の喫煙者を取り巻く環境は、急速に悪化したと思います。以前、私が地元の駅商店街を歩いていると、歩道脇に設置されている灰皿に、「喫煙中毒者の方へ」と題し、いかに、タバコが社会の悪であるか、ということをつらつらと書きたれた紙が貼ってありました。まるで、世界の諸悪の根源が、それに起因するかのように錯覚するほど、見事な文だったのです。
 しかしながら、このような世間の波の中で、俳優の方の多くは喫煙者です。私もそうです。また、バンドマンの多くもタバコが大好きなのではないでしょうか。なぜこのような、声が重要な地位を占めている分野の人たちの多くが、喫煙者なのか、という問題は、単にストレスが溜まる、ということで解決するわけではありません。単に、ロックンロールだからなのですが、それでは話が簡単にまとまってしまうので、これから別の言い方でロックンロールしたいと思います。ちなみに真のロックンローラーは、100円ショップの携帯灰皿を、中が熱で焼け焦げるまで持ち続ける人のことだと、私は考えています。

 なぜ吸うのでしょうか。永田農法というものがあります。文字通り、長崎出身の永田さんが編み出した農業の方法です。
 簡単に永田農法というのを説明すると、「スパルタ農法」です。作物を常に飢餓状態に追い込み、ぎりぎりのところで必要最小限の養分を与えるのだそうで、従来の農法とは一線を画しています。この永田農法で育てられた作物は、非常に甘味があり、一般に販売されているものよりはるかに多くの栄養分を持っているとのことです。つまり、甘やかされず、極限の状態で、作物は生きようとし、潜在能力をフルに発揮することで、このような作物に育っていくわけです。何か聞いたことのあるような話です。私もほんの少しだけ本で読んだだけですので、興味を持った方は、調べてみるといいかもしれません。

 タバコが体に対して毒であるということは、最近の街並によって周知の通りです。風邪ひき時には、治りを遅くさせますし、吸いすぎで翌朝目覚めると、喉が痛くなっているときも稀ではありません。
ここまで書けば、どのような結論が導き出されるかは簡単に想像がつきます。

 意識的に、喉や体に害のあるものを摂取することで、本来それらが持つ能力を最大限ひきだしてやるために、また、世間で犬にも満たない立場まで自分を陥れることで、逆に舞台に立つものとしての魅力を得るために、稽古場では煙が蔓延しているわけなのです。ですから、ほとんどの喫煙者が、まさにタバコに手をつけようとしている非喫煙者に対して、「やめたほうがいいよ」と言うのも、言葉の裏に「お前はこの苦行に耐えられまい」という、ロックンロールをやるものとしての意地とプライドが隠れているわけなのです。日本には、苦行に立ち向かう勇者がなんて多いのでしょうか!

2006年03月10日

7、身内笑いに気をつけろA

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 さて前回、身内の定義づけを「近しい友人および関係者」としましたが、それは具体的に言いますとどこまでを指すのでしょうか、というのが永遠のテーマなわけであります。というより、たとえ近しい友人でも笑えない身内ネタというのはありますし、むしろ出演者以外の誰もわからないものもあるわけでありまして、「身内笑い」という言葉自体が危ういものではないかというのが私の考えです。そこで、「身内笑い」というのを「一部の人間にしかわからない笑い」というふうに考えをすり替えてみたいと思います。なぜか笑いのことばかりになってしまいますが、感動やら嫌悪やらを置き換えてもいい気もします。
 続き物のお話ですと、仮に前回のネタが今回も出てきた、繰り返すのが面白い、という笑いは前回を見た人でないとわかりえないわけです。私の今週号しか読んでいない方は、なにしょうもないことを言っているんだ、と思うかもしれませんし、前回もお読みいただいた方ならば、またくだらないことを書いている、と思うわけで、感じ方が違うわけです。
 話が壮大になりそうです。小田急ロマンスカー展望席に関しての心配は一部ユーザーと電車ファンしか知らないのです。ユーザーでもないテッチャンでもないのに知ってるよ、と言う人は自分が電車ファンの入口に立っていることを自覚していないだけです。古田選手兼監督と野村楽天の対決の期待は、ワールドカップ時、新宿駅でハイタッチを交わす人間に語ってほしくありません。満員電車で駅員がリーマンの背中を押しているのを、外国人観光客はカメラに収めやがります。どこのEUが毎朝みそ汁をすすりますか。例に統一性がない。
 このようににどこまでも普遍的であるものなど、地球は丸い、くらいのもので、全てを内含するのは無理があるわけです。わかる人を広げても必ずわからない人は出てくるのです。さらに言えば広げたからといって、かつてわかった盟友が次もわかるかどうかなど、気象庁の年間予報並にわかりません。だので、先週自分はゼノンの定理などと口走ったのであります。亀がいるところにアキレスが到達するとき、亀はもうちょっと先に行っていて、そこに到達するとき、やっぱり亀さんはほんのちょっと先に行ってるよ、というわけでした。
 
 さて極端な話です。無理にまとめると、たとえば笑いをどの程度の客層まで広げるか、ということです。だから、芝居を見に行って、ああ身内笑いだ面白くないという劇団は、客層をあなたの言う「身内」までに限定しているのです。ちなみに食べると誰もが涙するほどのうまい!ラーメンを作れれば、天下が取れると思います。

2006年03月03日

6、身内笑いに気をつけろ@

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 身内笑いはよくないと言います。はて本当なのでしょうか。たとえば、いま人気のあるサンボマスターというバンドがいます。縁あって、私は4年くらい前に友人のそのまた友人のバンドのライブに行った際に、まったく無名のサンボマスターを見ることができました。楽曲もパフォーマンスもさることながら、私が一番の衝撃を受けたのは、そのボーカルが高校時代の野球部の監督・伊藤さんにそっくりにも限度があるだろう、くらい似ていたことだったのです。私は野球部でした。すぐさま野球部の友人を連れて、次のライブに行ったのでした。はて例えがうまくいきませんでした。要は、まだお客が5人くらいのころのサンボマスターを見たよ、と自慢したかっただけです。それからあれよあれよといううちに売れてしまい大変な騒ぎで、なんだか寂しく、あのときCDを買っていれば今ごろいくらで売れたのかなあと思う、せせこましい小生です。

 サンボマスターにスペースを取られすぎました。なにが言いたいのかというと、身内笑いはよくないとよく言われているよ、稽古でもそれに気をつけるようにいつの間にかそうなっているよ、ということです。身内ネタというのもほぼ同義語です。なぜいけないかと言えば、「身内」じゃないお客さんがわからないし、笑えないし、笑っている「身内」の人々を見て、疎外感を感じ、自己満足だといい、学芸会だとか発表会だとかいい、気分が悪くなって帰りたくなるからです。ちなみにここで言う「身内」とは、からだの内部・また、からだじゅう・ごく親しい血縁関係にある人・家族・親類・同じ親分に属する子分(大辞泉・YAHOO!辞書調べ)のことだけではなく、近しい友人や関係者も含むことは周知の通りです。

 困ったことに身内笑いの悪について、上の段落ですべて語ってしまいました。そういうことで身内笑いはよくないのです。家でやってろよ、と。

 それで、それに対して揚げ足を取るような内容を書こうと思ったのですが、あんまり長くなりそうなので、急きょ「次回に続く」にします。Aでは身内笑いとゼノンの定理(アキレスは10m先の亀に追いつけない定理)について考えてみたいと思います。では来週。

2006年02月24日

5.役者と電車

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 私は毎日、小田急線に30分程度乗って、新宿を目指しますが、これが非常に重要なことなのです。

 一人で電車に乗る場合、30分なら30分、名前もわからない他人と同じ空間に押し込められ、その時間をどうにか一人やり過ごさなければならないのです。ラッシュ時はともかくとして、目的地への30分をやり過ごす際に、おそらく一番多いのが、「眠る」か「メール」です(電話は電車を降りてから!)。つづいて、新聞・雑誌・本などを読む、ゲームをする、景色を見る、運転席に張り付いて線路を見る、路線図を見る、中吊り広告を見る、いかに乗り換えに有利な場所取りをするか試行錯誤する、向かいに座っている人をスケッチする、などでしょうか。寝もせず、前を向いて何もせずにただ座っている方もよく見かけます。

 これです、特に最後の「寝もせず、前を向いて何もせずにただ座っている」です。たとえば上の「何もしない」を舞台上に持ってくると、途端に妙な印象を与えてしまいますが、あの密室の電車内ではそれがしっかりと成立してしまうのです。不審がる人もそういないのではないでしょうか。
 
 これには、目的がはっきりしている(電車に乗る人はどこかへ向かっている。注・山手線で時間を潰す/眠るは抜かす)、見世物でない、他人に興味がないのでどうでもいい、というような理由が挙げられますが、舞台上での「間」をどう作るか、ということの大変なヒントが隠されている気がします。

 仮に一人で、いくらかの間を埋める、という役をもらったときにどうしよう、迷ったら電車に乗ろう、というわけです。

 何が言いたかったかというと、小田急に乗ろうということ、電話は電車を降りてからにしようということはもちろん、何もしていない人を見ると、実は何かしていて面白いから観察しようということです。実は隣の女子高生たちの会話に聞き耳を立てている、向かいの女子高生のパンツが見えそうだ、などあるかもしれません。この文、例の羅列が多くて申し訳ありません。

 というわけで、私は目下、30分なにもしない芝居を目指し、研究の日々を送っています。わざと新宿から各停に乗り、じっくり観察することもあります。傍から見ると、私が「何もせずにただ座っている」客に見えているのかもしれません。

 すっかり長くなってしまいました。あと、あの限られたスペースでほとんど誰とも目が合わないというのも考えるとすごいことだと思います。機会があれば、今度は車内の視覚について書いてみたいと思っています。

2006年02月17日

4、演劇とアルバイトについて軽くお話しようと思います。

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 浮き草稼業であります。お芝居を芝居するのはそういうことなのです。という夢を見ました。メディアの王者、ザ・テレビでも、トリノ中なのでスキー滑降の回転の如く、目まぐるしい入れ代り立ち代りの芸能人(芸NO人)・芸人・俳優です。ましてや、一般の方から、なんだかわからない、あっち側の人、というふうに思われてもしょうがない、小劇場の私どもは、よけいにふわふわ新雪のようです。ちなみに夢を見たというのは嘘でした。私はいま、イースタンユースの『雨曝しなら濡れるがいいさ』を聞きながらこれを書いています。

 お芝居は観客もスタッフも観客も、劇場に集まらなければ成立しない、ということはもう話しました。ですから公演期間中、スタッフ、俳優は特に、いつも決まった時間に劇場に集まらなければなりません。映像と違い、一度いいものを保存すればリピートできるものでもありません。各人ごとにシーンを撮ればいいものでもなく、稽古は皆が集まって行う必要があります。そして、観客の数も限られるため、生々しい話で申し訳ないのですが、利益は必ず限られてしまいます。何が言いたいのかというと、お芝居は作るのに時間がかかる、なのに収入が少ない、ということなのです。企業のスポンサーがついたり、高い入場料でも大劇場が満員になるような商業演劇でない私どもは、まったくバイトをしなければどうにもパンが食べられません。
 
 ところがどうでしょう、学生のアルバイトならともかく、生活を成立させるためには毎日働かなければならない→しかし稽古が始まるとそう定期的に働けない→そんな頻繁に休むなら明日から来なくていいよ、となってしまうのです。だからお芝居をやっている人は時間に融通のきくアルバイトを探します。そういうのを皆やりたがるのです。そういうわけで私の職場は役者だとか、環境が似ているバンドマンだとかが多いようです。

 以前、アルバイト情報に「夢を持っている方、大募集!」などいう謳い文句で、私を誘惑するものがありました。これはきっと時間に融通が利く仕事です。さっそく面接を受けに行き、芝居をやっているので公演のときは休まなければならない、というと面接官は露骨に嫌な顔をし、連絡はありませんでした。
 テレビCMでは「夢を持つってことは大事なんだ」と断言していますが、よくわからないことをしている、まあフリーターは刹那的で財政を圧迫するから就職をしろよ、と政党はフリーターを煙草のように虐げ、企業はコストダウンでいつでも首を切れる存在として扱う、そんな僕らは、ああフリーター。
 以前、アルバイト情報に「夢を持っている方、大募集!」などいう謳い文句で、私を誘惑するものがありました。それは出会い系サイトのサクラでした。
 以前、アルバイト情報にやはり「夢を持っている方、大募集!」などいう謳い文句で、私を誘惑するものがあり、夢のある面接もクリア、やったと思い、夢のある仕事に向かうとそれは例のマルチ商法でした。そしてそこで働く人たちは、確かに夢に燃えており、それがどんな夢がなのかと思えば、フェラーリに乗る、とか六本木ヒルズに住む、とかでした。
「あっち側」の私は、切なくなって空を見上げると雪が降ってきたのでした。なぜだか私だけ濡れている気がしました。新宿を行く人々の傘はFENDI、私のは折れていました。それでも、そんな愚痴を言ってもしょうがないよね、と帰宅ラッシュの小田急に乗りました。
 まわりはスーツばかり、私は私服で、満員電車は私だけ立つスペースがとても少ない気がするのだけど、気のせいなんだと思いました。涙がちょっとの雪なら溶かしちまうのです。

 とても長くなってしまいました。すいません、後半のFENDIあたりは嘘でした。夢です。

2006年02月10日

3、正装について

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 少々前の話ですが、JR中野駅周辺を徘徊していたところ、どこかの劇団の女優さんたちが公演のチラシを道行く人々に配っていました。お客さんを呼び寄せるための地道な努力は微笑ましく、じっさい彼女らは美しい微笑みを投げかけながら、その下でチラシをそっと通行人の手元に忍ばせていました。
 その微笑みは本当に美しかったのです。私も見惚れ、ひとりからチラシを忍ばされ、ささやかな胸の高鳴りを感じたわけですが、彼女の手指もさぞ美しいのだろうと、顔から視線を落としたときでした。
 彼女はジャージでした。嘘だろうと思い、即座にほかの天使たちを確認しましたが、天使どもは一様にジャージでした。
 あとから凛々しい男優陣も風を切って登場しましたが、やはりジャージが風を切っていました。冷静にあたりを見回すと、中野駅を取り囲むように20着くらいのジャージが笑顔を掲げてチラシを撒いています。そのチラシを受け取るのは会社帰りのスーツ、買い物途中のビニール袋、学校帰りのローファー、徘徊を繰り返すノット・イン・インプロイメント・エデュケイション・オア・トレイニングなどでした。
 中高生やおかんなどが着る体育ジャージ、一人暮らしの就寝着のジャージ、御洒落ジャージなどがあると思うのですが、もちろん彼女らは稽古のためのジャージでチラシを配っているのでした。私は2枚渡されました。

 私ども演劇に携わる人間どもは、稽古場で動きやすいようにジャージに着替えることがよくあります。いわば稽古のための正装なのでしょう。しかし外出時は外出にふさわしい格好というものがあるのではありませんか。しかも今回の場合、それが見知らぬスーツ以下省略たちを劇場に招待する、という「宣伝」であるわけであります。マクドナルドの店員は制服でクーポン券を配っていますし、消費者金融なら笑顔にティッシュを、というように、それぞれが組織を代表して格好つけているわけです。話はずれますが、消費者金融の「アイク」が「ディック」に改名したようです。いいのでしょうか?

 考え方の違いなのかもないが、はたして彼女らは稽古場を出て、そのままで帰宅するのだろうか、とそのときは考えたものですが、今になって答えがわかりました。なんてことはない、衣装がジャージだったのです。それにしても衣装が皆ジャージと見受けられる劇団の人はとても多い気がします。

 話がまとまらないまま長くなってしまいました。

■耳寄り情報 ■
トリノ五輪が始まります!

2006年02月03日

2、芝居の要素について

kamisato.jpg
岡崎藝術座主宰 神里雄大

 芝居を上演するにあたって、不可欠な4要素があるといわれています。すなわち、「観客」・「俳優」・「劇場」・「戯曲」です。どの要素も欠けてしまうと芝居として成り立たないということです。これは芝居に限らず、音楽のライブやプロスポーツなど見世物とカテゴライズされるものすべてに当てはめることができますと思います。そのとき、もちろん呼び名は異なってきます。たとえばロックンロールだと、観客→ロックンロール、俳優→ロックンロール、劇場→がロックンロール、戯曲→ロックンロールといった具合です。

 ところで、インプロ(即興劇)というのがありますが、これもまったく空白の状態から始まるのではなく、なんらかの状況設定や人物設定を与えられ、そこに俳優による状況判断、予測、想像等々が駆使され演じられるもので(たぶん)、この状況設定もしくは人物設定(など)を「戯曲」に置き換えることができると言えます。また、路上芝居は路上が「劇場」に相当します。確かオノ・ヨーコか誰かが(記憶がおぼろです。まったくすいません)「俳優」が出てこない、という芝居をやったそうですが、アヴァンギャルドのことはわかりません。「観客」がいない芝居というのはただの練習です。

 つまり「観客」が劇場に足を運んでくれなければ芝居というのは成り立ちません。そして「観客」は電車に乗ってやってきます。特に劇場の多い首都圏では、駐車場のない劇場が多いです。いろんな劇団が公演をやりたがる下北沢は小田急線で新宿から7分150円です。京王線でも新宿から同じく150円ですが、明大前で乗換えねばならず、10分くらい差がでます。渋谷からは井の頭線で120円です。となると芝居は5つの要素から成り立つのでした。「観客」・「俳優」・「劇場」・「戯曲」・「小田急線(たまに京王)」
 さらに小田急線自体を芝居に置き換えるならば、観客→小田急ユーザ、俳優→喜多見電車区運転手など、劇場→2600型など、戯曲→複々線線路、小田急線→最高です。
 

 関係ないですが、私がいぜん一日だけ働いたマルチ商法の仕事で、3者の関係ということを教えられたことがあります。クライアント・客・セールスマン(私はこれでした)。これらも不可欠だとのことでした。その仕事自体が不可欠なのかどうかは聞けませんでした。

 話がすっかり長くなってしまいました。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。