立花英治前回は、若い劇作家らが小世界の人間模様を好んで描き、そのこと自体が、現代のある面を反映している、という点について、『朝日新聞』の夕刊を引用しながら、言及しました。
今回は、日本の演劇で一番欠けてしまっている点について、触れます。
今月12日、新国立劇場で『シラノ・ド・ベルジュラック』を観劇した際、『演出家の仕事 鈴木忠志読本』という書籍を購入しました。
『シラノ…』の圧倒的な美しさに魅せられ、早速、帰宅途中の車中で、この本を読み始めました。
「では、なぜ、そうした作品を新国立劇場で上演するのか。それはいま、日本の演劇にいちばん欠けてしまった演劇というものの力が、そこに表れているからです」
(「対談 『見えないものを見せる』ということ」『演出家の仕事 鈴木忠志読本』P64)「そうした作品」というのは、今月初めに上演された、鈴木忠志さん演出の『オイディプス王』『イワーノフ』『シラノ…』の三作品と、同じく来月上演される『リア王』のことです。
一方、「日本の演劇にいちばん欠けてしまった演劇というものの力が、そこに表れている」というのは、以下のことを指しています。
「つまり、人間をどう見るのか、日本人なら日本人をどう見るのか。社会的・歴史的コンテクストのなかでこのように見ます、という態度が日本の演劇には欠落している。人間への見方を深めるためには、こういうシチュエイションを絶対に必要としていて、このシチュエイションのなかにこの人物を置くと、現在の日本人の歴史的文脈や無意識性が見える、というかたちで演劇を社会問題にできるような演劇のテクストがないし、その書き方や演出方法もない。だから、いま、これらの作品を上演してみよう、ということなんです」
(同上)前回の続きということで関連づけるなら、若い劇作家たちが描く小世界の人間模様には、「人間をどう見るのか」という視点は含まれていないのだろうか。
そして、より深刻なのは、「現在の日本人の歴史的文脈や無意識性が見える、というかたちで演劇を社会問題にできるような演劇のテクストがないし、その書き方や演出方法もない」という点であり、さらに、それは一体、どうしてなのか、と疑問が募る。
引用ばかりして、他人のふんどしで相撲をとってばかりですが、当面は、他人の発想を触媒に思考を深めつつ、折々に、自分なりの回答を記していきたいと想っています。
◆ご意見をお待ちしています。
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posted by BACK STAGE at 08:51|
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立花英治の「舞台時評という感想」【土】
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