コスモル代表 砂糖マキ
たまに、「コラム見てますよ」等と言ってくださる方がいらっしゃったり。
最近は遅筆になったいたので、嬉しい反面、申し訳無い限りです。有難う御座います。
今年に入って自分の内面を表に出すことが本当に恐くって、文章を書くのもためらっておりました。多分自分ってものが、解からなくなってたのだと思います。
知識も教養も技術も経験も無い私には、「自分」の中身をさらけ出すしか武器も無く、
「自分自身」に嫌気がさしたり、生きる事に希望を持てなくなったりすると、
自分の中には「負」のパワーしか蓄積されず、自分から出てくるモノと言ったら「負」が詰まった強烈なモンばっかり。「そんなモンを人に投げかけていいのか?」
ストレス発散のパワーを当てられるほど、疲れるものは無いですよね。日常でもね。
そんな思いは舞台に立つ時もそうで。
「仕事なんだから、何があっても舞台に立たねばならぬ」
今まではそう、活動に臨んでおりました。
だけど、今になると「どんなに頑張っても、無理な事はある」と。
「やれることを最大限に努力する」のと、「出来ない事へ無理をする」のは大きな違いで。
最近の自分は、芝居する上での人間関係に対して不信感を抱きながらも、
それを打破する事を考えず、無理無理やり過ごしていた様に感じました。
これは自分で「コレは私の仕事なのだから」と、勝手にルールを作ってしまったため。
「自分が楽しむ」のはご法度だと、いつの間にか思い込んでいたように思います。
コレは自己満足性が強い舞台を作る事への恐怖で、でもどっからどこまでがどう「ジコマン」かって言ったら凄く微妙なのが芸術なのも確かで。
先日、友人の個展へ行きました。
いい年したオジサンなんだけど、「今回は天使がテーマ」と可愛らしい癒し系の絵画が、
横浜の小さな画廊に数枚並んでいました。
一緒に行った友人達と、1枚づつ彼の絵を購入してしまったのですが、
「この感覚は芝居観るのと似ているなぁ」と思いました。
その絵は彼の中の「優しさ」みたいなものに溢れていて、「んで、ついつい買っちゃったンだなぁ」と後日思うのですが芝居もそれと似てて、自分の中の何に価値をつけるかはお客様。そのために、自分の心を大事に磨いておくのが表現者。だからこそ、舞台に立つのは怖いし、自分にウソをついたり格好つけたら値打ちの無い飾り物になる。
ちょっと堅くなったけど、子供が無邪気に一生懸命楽しんで踊ったりしてたら、
見てる方も癒される。それでもいいじゃないか?と。
これまた極論なんですけどね。ははは。







