2007年05月08日

第百三十九回「口立て芝居」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 先日、新宿・紀伊国屋ホールで初めて舞台を見た。実は以前折込でホール自体には行ったことがあるのだが、エントランスだけで、客席にさえ入ったことがなかったのだ。

「東京のコメディ」と銘打って、舞台だけでなくメンバーによるお笑いライブも精力的にやっているうわの空・藤志郎一座の公演「桜−SAKURA−」を見に行ったのだ。劇団の名前は以前からよく耳にしているが、なかなか劇場まで足を運ぶことが出来なかった。それが、ちょうど3月のイベントに出ていただいたコンタキンテさんが客演されるということで、楽日に見に行くことができたのだ。

 この劇団の芝居の作り方は、「口立て」である。基本的な役柄の設定だけ決めて、後は稽古を重ねていって練り上げる。演出家でもあり、役者としての存在感も人一倍の座長・村木藤志郎さんがセリフを作っていく、という形らしい。「そこに、その人間として存在すること」が、芝居を作っていくうえで一番大事にしていることだそうだ。

 そのため、複数の役者が同時に話し始めてセリフがうまく聞きとれないところもある。いいかけたセリフが後から喋りはじめた役者のセリフにおされて宙ぶらりんのまま消えてしまったようなところもあった。

 それは、とてもスリリングでリアルな喜劇だった。同じように複数のセリフが舞台上でまるで関係なく交差する青年団とは違うリアルさだった。

 そうして、そのリアルさは、舞台にしかないものだったと思う。エントランスで過去の公演のDVDなども販売されていたが、本当に申し訳ないのだがそれにはまるで興味がわかなかった。ただ、その過去の公演を自分がこの目で見ることができなかったという悔しい思いがあるだけで。

 久々に、舞台でしか味わえないものを見せてもらった気がした。それは一言でいうと、「生の芸能の魅力」である。物語の大枠は決まっているとはいえ、細部が公演中にどう変わっていくかそのときその回の舞台を見なければ予測不可能という、そんな舞台。

うわの空・藤志郎一座
http://www.uwanosora.com/

 「口立て」といえば、以前コラムにも書いたが、初期の街頭紙芝居はストーリーなどは作者が紙芝居屋に口伝で教え込んでいたらしい。その大まかな流れに肉付けしていくのは、紙芝居屋自身だったのだ。

 実際、肉筆紙芝居の裏書は本当に400字詰め原稿用紙にしたら原画一枚につき半分もいかないだろう。字も間違っていることが多いし、だから後から誰かが訂正している場合もある。

 しかし、だからこそ紙芝居屋の力量が問われるのであり、現在ボクたちがやり続けている魅力の源泉があるのではないか。そんなことを少し考えた初紀伊国屋ホールだった。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年05月01日

第百三十八回「久々のネタをやる」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 連休前の先週、久しぶりに「後生うなぎ」をやった。殺生をしなくなったご隠居とうなぎ屋の亭主のやり取りを描く噺だ。

 落語を紙芝居にしたこの作品、今までの自作の紙芝居の中ではまあまあの出来であるが、ここ最近はなかなか上演することがなかった。オークションで入手した肉筆紙芝居のネタおろしをやったりしているうちにすっかりご無沙汰になってしまったのだ。

 この話はオチが結構ブラックで、ボクが一番気に入っているのもまさにその点なのであるが、お客さんの反応は「ええー?」というモノが多い。絵柄も割りと可愛らしい(いや自分でいうのもなんですが、結構カワイイ絵を描いたんですよこれが)し、話の流れもばかばかしいので、ああいう風なオチが予想できないようだ。

 駄洒落で落とす、というものもあるが、落語には結構ブラックなオチが多い。

 もう随分前にこのコラムで書いた次回作(予定)の「元犬」は割りとおとなしめのオチであるが、もうひとつ、何とか紙芝居化したい噺「ふたなり」には死体が出てくる。ただ、オチが大阪と東京では違っていて、そのあたりをどうするか、多分実際にとりかかると一番の問題点になると思う。

 いや、いつとりかかるか、という点はとりあえず考えないことにしているのだが。

 落語の紙芝居化というと、実はマツイ亭ゴジラという方がすでにやっておられる。

「マツイ亭ゴジラ」さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/matuiteigojira/

 このマツイ亭ゴジラさん、下北沢ARTISTでのボクの紙芝居を一度見にこられているようなのだが。(ずいぶん後にお店の方にその話を聞いた)

 梅田佳声師匠とも交流があるようだ。また、ブログを見ると月一回、新宿で「紙芝居を肴に飲む日」というイベントをやっているようだ。5月は13日(日)。ちょっと気になるのであるが、予定がうまくあえばのぞいてみたいと思っている。演目は「芝浜」ほか2席。ゲストもいるらしい。

 そんなこんなで、本当に色んな人が色んな形で紙芝居をやっているのだな、と嬉しくなってきている今日このごろなのである。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年04月24日

第百三十七回「切り口は十人十色」

yamasiro
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 前回の「再演」に関する話とちょっと関係している話をする。

 それは、紙芝居の同じ話を複数の人間が上演する場合だ。舞台などにおきかえると、ダブルキャストとか、再演で役者を代えた場合とかがそれに近いかもしれない(あるいは演出が代わる、とかね)。

 ただ、舞台と紙芝居が一番違うのは、「台本」である。

 舞台の再演の場合、台本を見直して若干の変更があれば、それに伴って演出もちっと変わり、結果として初演とかなり印象が違ってくる、ということはあるだろう。ただ、基本の物語はそれほど変わらないはずだ。

 だが、紙芝居の場合は、演じる人間によって、絵一枚の「意味」どころか、ストーリーそのものが変わる。登場人物のセリフ、場面の設定など、絵の裏には一応書いてあるわけであるが、その通りにやることはまずない(少なくとも、ボクはない)。また、絵の順番を入れ替えたり、同じ絵を何度か使ったり(ボクはこれをよくやる)すると自ずと物語は変わってくる。

 特にラーメン博物館でやる場合、ネタの数が限られている中で、どうしても複数の紙芝居屋が同じネタをやることがあって、その場合意識的にか無意識のうちにか、他の人間とは違う切り口で演じる傾向があるのだ。

 だから逆に、同じネタを違う人間が演じるのを見るのは楽しい。

「お、そう来たか!」

 と思うときもあるし、

「それは捻りすぎだろ」

 と突っ込みたいときもある。

 そうして、それが自分のときにフィードバックされて現れる場合もあるのだ。(もちろん、それが面白いか否か、ということはまた別の問題だが)

 一方で、「他の人間がやらないネタをやりたい!」と思いつつ、「他の人間がこういう風にやったネタをオレならこうやりたい」という思いもあって、その相克は結構よい結果を生んでくれているような気がしているのある。

 気のせいかもしれないけれどw

 続きは明日のお楽しみ!

2007年04月17日

第百三十六回「再演に耐えうる作品とは」

yamasiro
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 ほんのちょっとだけマジメな話をする。といっても、ご存知の通りあまりよくない頭で考えたことなので、論理破綻及び矛盾・牽強付会なところが多々あるのはご容赦願いたい。

 以前にも書いたことだ。つまり、古典といわれる芸能作品は、なぜ同じ話(物語)をやってもお客さんが喜ぶのだろう、ということ。

 それは感情に訴えるからだ、と書いた。正確にいうと、そういうことをある落語家さんが書いている、ということを別の本で読んだ、ということだったが(ややこしい)。

 表現活動をしていて、まだ間が無いころは、持ちネタの数も限られているから、当然同じネタを何度もいろんなところでやらざるをえない。それが定番の(そして願うべくは鉄板の)ネタになるかどうか、はネタ自体の力もあるだろうが、「やり続ける意志」のようなものも必要だ、と思う。

 最初はどんなにつまらない、お客さんの反応の薄いネタでも、どこかで化けることがある。それは本当にささいなきっかけやアドリブ、お客さんの思いがけない反応(よい悪いではなくて)だったりする。自分で今までやってきたことを思い返せばそれはとてもよくわかるのだ。

 同じネタでも、やり続けること。それが大事。

 さて、この理窟(にもなってないけど)を紙芝居に当てはめてみると、ちょっと皮肉なことに気がついた。

 それは、街頭紙芝居は同じネタを決してやらなかった、やらないことで成立していた世界だったということだ。続き物だろうが読みきりだろうが、毎日来る子供たちに毎日新作を見せていたのだ。そうしないと「おじさん、それは昨日見たよ!」といわれてしまう。

 つまりほとんどすべての紙芝居は、一回性のものだったのだ。たとえば一ヵ月後にもう一度やる、ということもほとんどなかったようだ(試してみたら子供からクレームが来た、という話も聞いた)。

 それは、たぶん技術的な問題もあるだろう。街頭紙芝居は元手もそうかからず、技術も特別に試験があるわけでもなかった。(もちろん、やればすぐ儲かるわけでもなく、人気商売ではあったのでそのあたりの厳しさは半端なものでなかったろうが)だから稽古を積む、やりこむ、ということをしない(出来ない)。生活のために日銭を稼がないといけない、そのためには、まずは目の前の客を喜ばせないといけない、という切実な理由もあると思う。だから同じものをじっくりやるよりはたえず新作を!という流れになるのはよくわかる。

 そしてここが皮肉だと思うのだが、街頭紙芝居が廃れてきて、貸元が廃業し、紙芝居が散逸していってからも、地道にやってきた人々の中で初めて紙芝居が「芸」として立ち上がってきたのではないか、という点だ。数少ないネタを繰り返しやり続けることで、そうして街頭でやらなくなった(やっている人もいたけれど)ことで、「街頭紙芝居」は「語りの芸能」の仲間入りをしたのだ。(職業人としての紙芝居屋が淘汰された、というといいすぎかもしれないが、そんな感じかもしれない)

 今ボクは自分がやっていることを、その歴史を不当に貶めるようなことを書いていると思われるかもしれないが、決してそうではない。

 それどころか、ボクはどちらかというとお客の要望に合わせロクに稽古もせずに毎日ネタおろしをしていた(せざるをえなかった)街頭紙芝居の人々がうらやましくて仕方ないのだ。社会的には認められず、官憲や親からは敵視されていても、子供たちという厳しくも熱烈な信者がいたから。そうして、半分以上はただの石っころだとしても、中に燦然と輝く宝石のようなネタがあっただろうから。

 微妙にタイトルとずれてきたので、この話はまた今度。
 
 続きは明日のお楽しみ!

2007年04月10日

第百三十五回「三代目の紙芝居舞台」

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 ラーメン博物館以外で紙芝居をやることになったとき、一番の問題は紙芝居舞台をどうするか、ということだった。

 紙芝居舞台……街頭紙芝居屋が自転車の荷台に積んで街を駆け回り、紙芝居を差し込んで上演していた、あの箱である。上の部分を立てるといわゆるプロセニアムのような感じの枠になり、その中で繰り広げられる物語に観客は我を忘れた。

 ラーメン博物館には、実際に使用されていた(と思われる)紙芝居舞台があった。もしろん、それを借りることは出来ないし、また自分で作るには手に余る(と当時は思っていた。今はちょっと違うけれど)。でも紙芝居舞台がなければ紙芝居をやるのは無理だ(と当時はやはり思っていた。今はやはりちょっと違うけれど)。

 ではどうすればいい?

 最初は、図書館で紙芝居舞台(枠のみ)を借りることにした。福音館という出版社から紙芝居用に販売されているものだった。これを借りて、初めての外部でのライブに使ってみた。やりなれていないところもあってなかなか苦労したけれど、まずまずやりきることができた。

 しかし、外部でやるたびに図書館で借りるのも面倒だし、万が一貸し出し中の場合困るので、苦肉の策として、紙芝居舞台の「枠」だけ、自分で作ることにした。

 それもダンボールで!

 ありあわせのダンボールを切ったり貼り付けたりして、表面は黒のガムテープ(布)で覆った。どうみてもダンボール製だということはわかるチンケな代物だったが、裏にブックエンドをつけて折りたたみテーブルの上でやると意外とやりやすいことに気がついた。ただ、実際の紙芝居舞台より高さが足りなかったので、何度かやりながら改良することにした。折りたたみテーブルではなく、イーゼルに載せたこともある。

 そのうちに、やはりダンボールということもあって、耐久性に問題があることが判明。ついに2代目を作る決意をした。材料はもちろん、木、である。

 これはイベント前に急遽作ったもので、またぞろ間に合わせだったのだが、もうすでに一年以上使っていることになる。移動の際にかなり嵩がはるのが悩みの種だが、自動車という移動手段を持たない以上、これは仕方ないものとあきらめている。

 そうして、現在、来月下旬の外部イベントに向けて3代目の紙芝居舞台を作るべく、設計図を検討中である。今度は枠だけでなく、下の箱の部分も作ってしまおうと思っている(といっても、ありものの折りたたみケースを使うつもりなのだが)。イベントも終わり、ある程度時間のある今のうちに早く手をつけておかないと、また直前にバタバタしてしまいそうで怖いのであるが。

 だからこのコラムで早めに宣言しておきたい。できれば今月中にペンキで着色するところまでやっておくつもりだ、と。

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2007年04月03日

第百三十四回「余分な力を抜くのは難しい」

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 イベントの疲れは思った以上に大きかったらしく、結局風邪を引いて3日間寝込んでしまった。フラフラの体で近所の診療所に行ったらお医者さんに「インフルエンザの確率が半分半分だね」などといわれたり、体中が熱のために痛くて眠れないなか、FMラジオから流れてくるCMに無性にはまってしまったり、休んではいつつもそれなりに楽しく過ごしていたわけだが、そうそう仕事を休むわけにもいかず、本調子ではないまま紙芝居をやることになった。

 熱はほぼ下がっていて、ただだるさはある。

 そして問題は鼻声だ。知っている人ならすぐわかるくらいに声が普段とは違ってしまっていた。

 咳も若干残っていたので、上演中にとまらなくなると困る、と思っていたのだが、初めて見るとほとんど問題はなかった。鼻声も、「知らない人は気づくわけがない」という強烈な思い込みの元、普通にやってみたら普通に出来た。

 春休み期間中ということもあり、家族連れ、カップル、学生さんたちのグループなどなどかなり大勢のお客様に見ていただいたのだが、(今思えば)一回目の上演、その日一番の観客数でも「後ろの人まで声が届いているかな」と心配になってお客様の顔を観察したり、といつもやっていない(出来ていない)ことが出来ていたのだった。

 結局、風邪を引いて体調が万全でなかったことがかえってよかった、ということなのだろう。いつになく大勢のお客様を前にしても力むことなく、自分のいつもの力を発揮することが出来たのだから。

 これがいつも出来れば何の問題もないのだけれど、と後になって苦笑してしまった。

 ことほど左様に、余分な力を抜く、という作業は難しい。そういう意識をした時点で余計なところへ力が入ってしまっているからだ。「無我の境地」とコトバにするのは簡単だが、なかなかそれに達することは大変だ。倦まず弛まず積み重ねられたものが、意識しないままに体を動かしてくれるようになるのだろうが、病気によって体力が落ちているときなど、そんな理想的な状態に近いのかもしれない。

 かといって、四六時中風邪を引いているわけにもいかないのであるが。

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2007年03月27日

第百三十三回「ヒトは外見でもある」

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 土日連続のイベントも終わり、ほっとして疲れが出たのか、風邪を引いて翌日は寝込んでしまった。熱にうかされながら、いろいろとイベントの反省などもしてみた。

 それはまたぞろ、今更ここで偉そうに書くことでもないようなことである。というか、タイトルですべて言い尽くされているようなことだ。

 ヒトは外見でもある。

 外見だけではないが、外見も重要なポイントのひとつ。

 この場合の「外見」とは顔の美醜ということではない。今までにもこのコラムで触れたことのある「衣装」のことだ。

 今回のイベントで、ボクは出演者の一人でもあったのだが、同時に裏方(受付など)もやらねばならなかった。それは予算的な問題でもあって、どうしようもないことだった。出演時間自体は全体から見ると少ないのだが、着替えをしているようなヒマはないので、裏方をしているときと同じ格好で舞台に上がらざるをえなかった。

 土曜日に受付の手伝いをしてくれた人からそれを指摘された。他の人は舞台衣装をつけているのに、まったく同じ格好なのはよくないのではないか。

 確かにそうなのだ。

 だが、では、紙芝居のときの「衣装」を、どう決めるべきなのか、今のところボクにはこれ!といったアイディアがない。いわゆる「街頭紙芝居屋のオジサンたちのように」、といっても、個人営業の彼らが特別統一した衣装でやっていたわけではないし、ちょっとオジサンっぽい・昔っぽいものならいいか、というと、そうでもない気がする。

 一時期、オーバオールでやってみたり、作務衣でやってみたり、いろいろ試してはいるが、どれも今ひとつだった。ただ、だからといって、普段着のままでやればいいのだと思っているわけではないので、何とかこの問題は早いところ答えを見つけなければ、と思っているのである。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年03月20日

第百三十二回「面白いことはどこにある?」

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 今回もイベントにちょっと絡んだ話。

 日曜日のイベントはひとり芝居をやる。ボク以外のお二方についてはわからないけれど、ボク自身今回久々にひとり芝居を演じることになって(自分で企画しといてこんなこというのは何だけれど)正直最初は途方にくれてしまった。

 昔むかし、ボクがまだ二十代のころ、自作自演でひとり芝居をやったのは、「公衆電話にかかってきた自殺志願者の電話に戸惑う男」の話だった。オムニバスのうちのひとつであって、他の話(他に三つあって、全部ボクの脚本だった)の稽古のほうが大変だったこともあり、今思い出しても悔いが残る作品だ。まだまだ自分が本当に芝居がやりたいのか、それとも脚本を書きたいのか、あっちへふらふらこっちへふらふら腰の定まっていないころだった。

 その当時、ボクは紙芝居に出会っていない。

 で、今回。

 イベントのためにひとり芝居のネタを考えていると、なぜか「オチ」まで思いつかないとダメな気がしてしまう自分がいた。芝居には必ずしも「オチ」は必要ない。この場合の「オチ」とは、物語の決着ではない。「爆笑のうちに暗転(あるいは幕が下りる)」という意味での「オチ」だ。

 なんということだろう。芸人になりきれてもいないくせに、考えることは一人前の芸人のようなのである。しかし、これには我ながら本当に閉口した。ボクがやるのはお笑いのライブではない。ひとり芝居なのだ。

 だが、いくつか思いついたアイディアをボツにして、ボクは腹をくくることにした。

 笑いが起ころうと感動を呼ぼうと、要は「面白いこと」をやればいいのだ。つまらないことをいくらがんばって稽古をしてやっても、それはダメなのである。

(ま、こんなことは今更でありますね)

 だったら、ボク自身が今、何を面白いと思っているか、それを考えよう。

 そう切り替えてからは、結構気分的に楽になった。

 いや、よいアイディアが浮かんだわけではないので、生みの苦しみは相変わらずなのだけれど。本番直前まで「面白いこと」を探してあがいていくことだろう。こういうことに近道はないのだ、ということは、こんな中途半端なボクでも知っているのだ(近道はなくても逃げ道はある、ということはずるいのでもっと前から知っていたけれどw)。

 そんなわけで、もうひとがんばりである。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年03月13日

第百三十一回「本番まで2週間」

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 月末のイベントもいよいよ近づいてきたので、今回は告知とさせていただきたい。本当に毎度申し訳ない。

 3月24日(土)25日(日)江古田・café Flying Teapotにて、「廣島屋式夜の過ごし方」の第2夜と第3夜を連続で決行!

 昨年秋、第1夜で「朗読」のイベントをやったわけであるが、今回は何をとち狂ったのか二日連続で内容はまるで違うという形になった。それも、当初ボクは裏方に回って、ゆったりと観客の立場でステキな人々のパフォーマンスを堪能する予定だった。それがいつのまにか、諸々の事情があって両日とも表に立つことになった。

 おまけに両日とも、実質的に新作である。初披露である。年が明けたときはまだまだ3ヶ月ある、とのんきに構えていたら、あっという間に本番2週間前だ。ここ数日、起きているときも悪夢にうなされているような毎日である。

 24日(土)は、午後2時と午後7時開演で、史上最強最馬鹿映画「天才馬鹿」 http://tensai.chu.jpの上映会がメインである。そのほかに、さそり監督によるシャンソンショー、主演の松永天馬さん(アーバンギャルド)のライブ、出演者でもあるコンタキンテさん、楽珍トリオさんによるコントのほか、ボクも新作紙芝居を上演する。

 25日(日)は、午後2時と午後6時30分開演で、一人芝居者3人によるオムニバスである。「ヒトリシバイナイト」などでもお馴染みにSOMAさん、昨年若手演出家コンクール決勝に残ったコスモル(そう、コラム仲間でもある砂糖マキさん主宰の劇団)の石橋和加子さんとボク廣島屋が「ひとりなのにひとりじゃない」世界を繰り広げる。

 チケットは、両日とも1500円+1ドリンク。席数は限られているので、できればご予約はお早めに。第2夜はhttp://yaplog.jp/hiroshimaya/daily/200703/23/、第3夜はhttp://yaplog.jp/hiroshimaya/daily/200703/24/まで。

 そんなわけで、今はこのイベントのことで頭がいっぱいなのであるが、朝の満員電車のようにいっぱいなのにまだまだ入ってこようとしている「何か」があって、もう許容量をはるかに越えているような気がする今日このごろである。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年03月06日

第百三十回「ザロンの実の真実」

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 どちらかというと下流な生活を送っているボクにとって、オークションで値がつりあがることはとても厳しい。しかし、貴重な肉筆紙芝居をどうしても手に入れたい(そうしてそれを実際に上演したい)という思いから頭に血が上って、それでついついムリをしてしまって後悔してしまう。

 まあ、そういうことは今回に限ったことではないのであるが。

 というわけで、ネットオークションで入手した肉筆紙芝居「ザロンの実」について書きたい、と思う。

 以前このコラムで、むりやりでっちあげた「ザロンの実」の物語を書いたことがあるが、先日ネットで入手した実物を見ると、根本的な部分で間違って解釈していたところがあった。

 ボクがネットで見た画像から想像した物語は「悪い魔法使いにブタにされてしまった少女が、元に人間になるために必要な「ザロンの実」を求めて旅をする」というお話だった。

 確かにその画像には、金髪でスカートのような服を着たブタ顔の「少女」が描かれていたのだ。

 しかし、それは間違いだった。

 女ではなくて、少年だったのだ!

 そうして「ザロンの実」の本当の物語は、どうやら「魔法使いの修行中のピッグとサリーがいろんな国を旅する冒険物語」らしいのだ!そう、ボクが女の子だと勘違いしたブタ顔の「少年」がピッグである(あまりにもストレートなネーミングであるが)。

 サリーは魔法の杖を持っており、ピッグは魔法の呪文が書かれた巻物を持っている。全体的に西洋の国の物語っぽいつくりになっているのだが、なぜか「巻物」という和風なアイテムが登場しているところが面白い。

 ボクが入手したのは第80回であり、すでに3ヶ月近く続いている話であるから、結構人気があった作品であるらしい(確かに、人間の住む国だけでなく、盗られてしまったデベソを取り返すために空の上の雷様の国にまで行くのだから、子供たちにはたまらないだろう)。画像だけなら他の回も手に入れているので、何とか連続ものとしてやってみたい。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年02月27日

第百二十九回「紙−1グランプリとは何か?

yamasiro
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 先日、あるイベントに参加した知り合いから、「廣島屋さんも紙−1グランプリに出場されないんですか?」と聞かれた。

 紙−1グランプリ?

 聞いたこともないイベントだった。それで、早速自宅に帰ってから調べてみた。タイトルのつけ方から、「K−1」(格闘技)「M−1」(漫才)「R−1」(ピン芸)みたいに、紙芝居の対抗戦なのだろうと思っていた。だったら、今回はムリでも次回は出たいなあ、などと調べる前から考えていた。

 で、グーグルで検索したら、あっさりサイトを発見。

「紙−1グランプリ公式ブログ」http://blogs.yahoo.co.jp/mitsumotogk22000
「様々なジャンルの出場者が、自由な発想で紙芝居を上演し、お客さんの投票(組織票OK!)によって優勝者を決定する“紙芝居No,1決定戦!!”
【出場者】
元気いいぞう、
セーラーチェンソー、
ドイツ三本、
塔島ひろみ、
花くまゆうさく、
堀道広、
森元暢之(音楽 たらすな)、
山井坂太郎、
和倉義樹 ほか」


 ちょっと最初に思っていたものとは違うようであるが、出演者の顔ぶれを見て別の興味がわいてきた。花くまゆうさくといえば映画にもなった「東京ゾンビ」の原作マンガを描いた漫画家だし、塔島ひろみはミニコミ「車掌」の編集長で見ず知らずの人を尾行する企画ページはついに本になった。元気いいぞうは日本ユーモア歌手協会名誉会長であり、その歌はタイトルを聞いただけで素晴らしい。また、森元暢之は確か「ガロ」でデビューした漫画家のはずだ。ひさうちみちおの影響が強いタッチで描かれた世界は、かなりボクの好きなものだったのでよく覚えている。確か初めて出た単行本は買った記憶がある(今手元にはないけれど)。またこのイベントの企画者でもあるらしいドイツ三本こと三本美治もまた、ガロで活躍した漫画家なのだそうだ。

 いったい、どんなイベントになるのか、とても興味深いのであるが、残念ながらイベント当日は仕事でいけそうにない。でもドイツ三本さんは漫画家としての活動のほかに「紙芝居ライブ」もやっているようだから、今度そのライブを見てみようか、などと思っているのである。

 次回は肉筆紙芝居「ザロンの実」について。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年02月20日

第百二十八回「江戸川区鹿骨訪問記」

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 前々回書いた街頭紙芝居屋の方のお宅へ先日伺った。

 この道五十年を越えるベテラン(そして現役)紙芝居屋・永田宝声さんである。ご自宅で、奥様が駄菓子屋を営んでおられる。まさに夫婦二人三脚で紙芝居をやってこられた大先達である。

 実際に街頭で稼いだ経験のないボクは、偶然永田さんのことをネットで知り、失礼は重々承知の上で連絡させていただいたのだった。見ず知らずの若い者(永田さんに比べて、ということですよもちろん)であるにもかかわらず、永田さんには快く自宅に迎えていただき、貴重な(そしてとても面白い)お話を聞かせていただくことができた。失礼だが、奥様も永田さんも80歳になろうかという方とは思えないほどお元気で、特に奥様からは紙芝居のことだけでなく、永田さんが紙芝居を一時期やめていたころ、かわりに奥様が会社を経営されていた話など、興味深い話をたくさん聞くことができた。

 話があまりに面白かったので、せっかく持っていったノートにあまりメモが取れなかったくらいである。それでも、走り書きで気になったところはメモし、またあらかじめ聞きたかった事柄も何点か、聞くことができた。

 中でも一番ビックリしたのは、あの梅田佳声さんの「猫三味線」はもともと永田さんが持っていた作品だったということ。佳声師匠とは今でも交流があるようで、先週もおいでになったそうだ。

 それから、黄金バットの元になったと思われる紙芝居も見せていただいた。タイトルはなぜか「ジャングルボーイ」なのだが、中には確かに髑髏にマント姿の怪人が登場している。

 そのほかにも、永田さんの元を訪れるマスコミや若者、紙芝居に興味を持つ人々は引きもきらないそうだ。ボクも名前は聞いたことのある人が、永田さんから紙芝居を引き継いだ、という話も聞いた。ボクが知っている以上にいろいろな動きがあるようで、非常に刺激を受けた。

 駄菓子屋のお店の方も、もともと個人的に少数の子供たち(紙芝居の上演に間に合わず、駄菓子が変えなかった子供)だけを相手にしていたところからはじまったそうで、本当に間口の小さな店構え(というか、自宅の一角なんだけどw)だ。

 貴重な時間をさいていただき、恐縮&感激しつつお宅を後にして駅に向かう途中、肝心要の自転車(紙芝居舞台をのせた)を見せてもらうのをすっかり忘れていたことに気づいたのではあるが、今度伺うときはまず一番に見せてもらおうと思いなおし、今回の訪問を終えたのだった。この訪問記については、近々ボクのブログの方にもっと詳しく載せたいと思う。

 さて、次回はまたぞろネットオークションの話など。「紙−1グランプリ」というイベントが来月頭にあるそうなので、そちらの話なども出来ればしてみたい。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年02月13日

第百二十七回「暴れん坊将軍と丹下左膳」

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廣島屋でキュ!廣島屋

 ネットオークションで落札した「じ〜じのデジタル紙芝居」の作品、「丹下左膳 宝壷の巻」の第一回をやっと(一年以上経過して)披露することができた。

 江戸時代、八代将軍吉宗のころの話である。吉宗の知恵袋(?)である愚楽老人が、日光東照宮の修繕を担当するお作事奉行を誰にするか悩んでいる将軍に知恵を授ける。江戸城の大広間に集められた諸藩の江戸家老たちの前で、愚楽は「金魚くじ」を提案、うむをいわさず実行する。

 金魚くじとは?

 江戸家老たち一人ひとりの前に、ギヤマンの金魚鉢が置かれる。そこに金魚がほおりこまれる。金魚鉢に入った金魚が元気に泳ぎ始めればはずれ。白い腹を見せて水面に浮かび上がればあたり。その藩が今年の日光東照宮大修繕を担当することになるのだ。

 ところが、この金魚くじには仕掛けがあった。ある藩の金魚鉢には、水ならぬ熱湯が入っているのだ。そんな中で金魚が無事にいられるはずはない。無残にもあっという間に死んでしまう金魚。そしてそのあたりの藩は……。

 伊賀の柳生家である。剣術では有名だが、特別裕福だとは思われない山里の小藩である柳生家に、なぜ莫大な費用がかかるお作事奉行が拝命されたのか?

 それは、柳生家に伝わる「宝の壷」の話を愚楽が耳にしたからである。

 金魚くじがあたり、費用捻出の必要に迫られた柳生家では、早速宝の壷を使うことにするのだが、どこからかその情報を聞きつけた隻眼隻腕の怪剣士・丹下左膳は勇躍伊賀の里に乗り込んでいく。

 待ち受ける柳生の手練たち。

 さて、宝壷の行方はどこに?

 ……おおむねそんな感じではじまる「丹下左膳 宝壷の巻」であるが。

 実際に、お客様(お子様が多かった)の前でやってみて……時代劇があまり身近にない昨今だからか、お子様にはなかなかこの面白さがわからないようで、反応は今ひとつ。わが身の力の足りなさも痛感しつつ、あきらめずに練り上げていきたいと思っている今日このごろである。

 続きは明日のお楽しみ!

第百二十七回「暴れん坊将軍と丹下左膳」

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 ネットオークションで落札した「じ〜じのデジタル紙芝居」の作品、「丹下左膳 宝壷の巻」の第一回をやっと(一年以上経過して)披露することができた。

 江戸時代、八代将軍吉宗のころの話である。吉宗の知恵袋(?)である愚楽老人が、日光東照宮の修繕を担当するお作事奉行を誰にするか悩んでいる将軍に知恵を授ける。江戸城の大広間に集められた諸藩の江戸家老たちの前で、愚楽は「金魚くじ」を提案、うむをいわさず実行する。

 金魚くじとは?

 江戸家老たち一人ひとりの前に、ギヤマンの金魚鉢が置かれる。そこに金魚がほおりこまれる。金魚鉢に入った金魚が元気に泳ぎ始めればはずれ。白い腹を見せて水面に浮かび上がればあたり。その藩が今年の日光東照宮大修繕を担当することになるのだ。

 ところが、この金魚くじには仕掛けがあった。ある藩の金魚鉢には、水ならぬ熱湯が入っているのだ。そんな中で金魚が無事にいられるはずはない。無残にもあっという間に死んでしまう金魚。そしてそのあたりの藩は……。

 伊賀の柳生家である。剣術では有名だが、特別裕福だとは思われない山里の小藩である柳生家に、なぜ莫大な費用がかかるお作事奉行が拝命されたのか?

 それは、柳生家に伝わる「宝の壷」の話を愚楽が耳にしたからである。

 金魚くじがあたり、費用捻出の必要に迫られた柳生家では、早速宝の壷を使うことにするのだが、どこからかその情報を聞きつけた隻眼隻腕の怪剣士・丹下左膳は勇躍伊賀の里に乗り込んでいく。

 待ち受ける柳生の手練たち。

 さて、宝壷の行方はどこに?

 ……おおむねそんな感じではじまる「丹下左膳 宝壷の巻」であるが。

 実際に、お客様(お子様が多かった)の前でやってみて……時代劇があまり身近にない昨今だからか、お子様にはなかなかこの面白さがわからないようで、反応は今ひとつ。わが身の力の足りなさも痛感しつつ、あきらめずに練り上げていきたいと思っている今日このごろである。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年02月06日

第百二十六回「街頭紙芝居屋さんに会いに行く」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 ネットというのは便利だなあ、としみじみと思うことがあった。

 先日、自宅でネット検索などしていたら、あるブログに出会った。そこに書かれていたのは、東京・江戸川でいまだに街頭紙芝居をやっている永田為春さんという方の記事だった。御年78歳で、自転車に紙芝居舞台をのせて街頭で紙芝居をやっているという(冬場はお休み)。

 ブログには昔の紙芝居の風景を撮影した写真も掲載されていた。そして何と、末尾に永田さんの連絡先が載っていたので、早速お電話してみた。

 ご本人が出られて、ボクは興奮しながら自己紹介をして、ぜひお話をお聞きしたいのですが、と切り出してみた。永田さんはいきなり電話をしてきたボクに「ウチに来てくれるんなら」と快く承諾してくださった。

「冬場は、もう年だし街頭は休んでるから、いつでもいいよ」

 とのことで、後日こちらの予定と調整をして、またお電話した。急展開といえば急展開ではあるが、永田さんのところへはテレビ局の取材の話や、大学生が紙芝居の話を聞きによくくるんだそうだ(という話を奥様から聞いた)。

 以前、商店街のイベントでご一緒したガマの油売りの口上をやる方も昔は紙芝居をやっていた、などと聞いたことはあるし、このコラムではさんざんお名前を出している梅田佳声師匠も一時期街頭でやられていた、と聞いている。また、これも何度か書いたけれど、大阪の三邑会の会員たちの活動も活発であるらしい(第一回のコラムでボクが失礼な憶測を書いてしまった島根の紙芝居屋さんもいる)。

 しかし、いまだに現役でやっている方のお話を直接聞くのは初めてだ。いろいろと聞きたいことはあるが、おそらくいろんな人にたいていのお話はされているだろうから、できればあまりだぶらないようなことを聞きたい、と思っている。

 たとえば紙芝居屋と絵の貸し元の関係、絵の管理・保存方法、全盛期の営業範囲(いわゆる縄張りってやつですか)、見ている子供たちの生態、親や警察との関係などなど。ためしにメモ書きしたらどんどん出てきた。これを整理して、「あ、こんなことも聞きたい」「あんなこと忘れてた」などと考えるだけでワクワクしてくる。こんな気持ちは近年ないほどだ。

 永田さんのお宅(駄菓子屋もなさっている)に伺うのは来週末。その結果はもちろん、このコラムでもご報告したいと思う。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年01月30日

第百二十五回「イベントの快楽」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 昨年秋、初めての自主企画イベントをやったことはこのコラムでも宣伝かたがた散々書きましたが、イベント終了後、あまり間をおかずに次回のイベントのために会場をおさえたのでした。その時点で一応どんなことをやるのか、誰をゲストとして迎えるのか、おおよその心当たりはあったわけですが。もちろん、ご本人にお願いする前の話です。

 で、年が明けて、いよいよ本格的に動き始めたわけであります。しかし、これがなかなか大変でもあり、また楽しいことでもあります。

 3月のイベントは二日間、土日にやります。それも、土日でやることがまるで違うのです。土曜日は映画の上映とライブ。そうして、日曜日は一人芝居のイベントです。どちらも、ボクが見たい(聴きたい)人を呼ぶ、という基本的理念は変わりません。

 まだまだどちらのチラシも出来ていない状態ですし、内容的にはこれから具体的につめていかないといけないのですが、大変ではあるけれどいろいろ頭を絞って面白いアイディアを出していく過程は、舞台で役を演じたり紙芝居をやるとのはまた違った面白さがあります。

 特に、今回はオリジナル紙芝居を作るのです。ある映画を元にした紙芝居です。何だかこないだこのコラムで書いた新年の抱負なんかまるで無視したような展開になっていますが、こちらの方が緊急性が高いので、優先順位は一番になります。(そうそう、抱負に書いた「キンちゃんコロちゃん」の新作ですが、無事先日ネタおろしをやりました。今後もやりこんでいきたいと思います)映像として完成している作品をどうやって紙芝居に取り込んでいくか、そこはちょっと(いや、かなり)頭を捻らないといけない、と思っています。

 また、一人芝居は二十代半ばくらいにやって以来、ご無沙汰なので(昔はよく演出家に「一人で芝居をやるな!」とダメ出しをされてましたがw)楽しみというより苦しみの方が大きくなりそうです。今はまだそれほどではないですが。

 そう、だから、それ用に脚本も書かねばなりません。それほど長いものではないですが、何本か書いて選ぶような形に出来れば最高です。そういえば脚本を書くのも久しぶりなのでした。以前は面白い舞台を見ると自分もホンが書きたくなって、帰り道、頭の中で物語を練り上げていたりしたものですが。今はさっぱりなので、その辺の切り替えもしないといけません。

 イベントについては、また近づいたら、このコラムでもしつこいくらい宣伝したいと思います。

 次回は、「丹下左膳」の新作ネタおろしの話が出来れば、と思っています。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年01月23日

第百二十四回「川崎大治という紙芝居作家」

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 前回のコラムで明らかな間違えがあったので訂正をまず。

 年明けの新ネタとして上演した「しろちゃんばんざい」、そうして「しろちゃん3部作」として同じくネタおろしを考えていた「まいごのしろちゃん」、こちらの二つの紙芝居の作者は違う、と書きましたが、実は絵を描いたのは別の人ですが作者は同じ人でした。もう少しキチンと調べて書けばよいのですが、どうしてもその場の勢いにまかせてあやふやなことを書いてしまうという悪い癖はなかなか矯正されませんね。

 さて、そういうことで今回は、その「しろちゃん」を書いた川崎大治という紙芝居作家のことについて、ちょっとだけ書きます。

 ちなみに、新年一回目には見合わせた「まいごのしろちゃん」ですが、あの後で無事、お披露目をしました。やってみた感じとしては、「しろちゃんばんざい」よりは面白いかな、と思っておりますが、またその話は次の機会にでも。

 それで、川崎大治さんの話です。

 「川崎大治(かわさき・たいじ)
 1902〜1980。北海道出身、大正15年英文科卒業。稲門先輩たちが最初小説家を志しのちに児童文学に移っていったのに対し、巌谷小波を敬慕し川崎ははじめから児童文学をめざした。当時興隆しつつあったプロレタリア児童文学運動に参加、のち生活童話に転じ戦後は芸術紙芝居の製作にも情熱を傾けた。」(早稲田と児童文学より)

 彼の紙芝居の作品としては、外国および日本の童話の脚色(ガリバー旅行記、こぶとり、きんたろうさん、宮沢賢治の作品etc)のほかに、オリジナルの作品が多数あるようです。今現在ネットでわかるそれらのタイトルの作品の多くが、彼の死後(80年以降)に出版されたものです。おそらく(とまた推測でものをいってしまうのですが)再版、ということなのだろうと思われます。

 また、上記の略歴の中で気になるのは「芸術紙芝居」という言葉なわけで。

 芸術紙芝居?

 いったいそれは何なのか?

 ただの印刷紙芝居とは違うものなのか?

 かなり興味がわいてきたので(生活童話という言葉もそういえば気になります)、引き続きいろいろと調べてみたいと思います。

 そんなわけで、続きは明日のお楽しみ!

2007年01月16日

第百二十三回「しろちゃん3部作」

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 新年一回目の紙芝居を先日ラーメン博物館でやりまして、やはり年も改まったことだし、一回目からやる気のあるところを見せようと思い新ネタをやりました(普段やる気のない様子でやっているわけではありません)。

「しろちゃんばんざい」という教育紙芝居です。

 飼い主である男の子が橋の欄干から落とした靴を追って川に飛び込んだ小犬のしろちゃんの冒険を描いた作品ですが、実は最初は「まいごのしろちゃん」という別の作品と一緒にやろうと思っていたのです。

「まいごのしろちゃん」は、引越しのトラックから飛び降りてしまった小犬のしろちゃんを、いろいろな人が親切に引越し先である隣町まで送ろうとするお話。

 この二つの作品は、別に「しろちゃん」という小犬を主人公にしたシリーズものではありません。偶然、主人公の小犬が「しろちゃん」というだけの、まったく別個の作品です。しろちゃんの飼い主の男の子の名前も違うし、絵のタッチも違います。当然、作者も別の人です。

 だけれど、その偶然が面白い、とボクは思ったわけです。

 ここはひとつ、絵のタッチが違うとかそういう細かいところは目をつぶって、シリーズものとしてやってみよう……そう思ったのです。

 それで、思い切って「しろちゃん3部作」ということでネタおろしをしました。「しろちゃんばんざい」「まいごのしろちゃん」ともうひとつ、しろちゃんが主人公の話がある、という設定にしたわけです。

 現場の状況から、結局ふたつともやることはできませんでしたが、とりあえず割りとよい感触を受けました。今後はなるべく何回もやってネタを練り上げていき(できれば2作品同時に)、いずれは幻の「しろちゃん」3作目もデビューさせたいと思っています。(前回掲げた抱負もあるので、なかなかすぐには実現しそうにありませんがw)

 実は、その幻の第3作目のタイトルも、仮ですが決まっています。

 それは、ですね。

 続きは明日のお楽しみ!

2007年01月09日

第百二十二回「新年の抱負」

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 年末年始のお休み中はずっとウチにこもりきりで、パソコンTVで映画を見たりアニメを見たりしていたわけであります。外歩きも嫌いではないけれど、自宅で過ごすのも大好きなんですね。

 一方で、年末に仕上げなければならなかった新作紙芝居がどうしても出来ずに、ずるずると原稿を前にしてため息をついていたわけでもあるのです。

 そんな今年、2007年の抱負というやつを、今回は書きたいと思います。

(なに、こうして公にすることでちったぁ自分にプレッシャーをかけようという算段です)

 まずは、年末の大掃除の途中で発見された新作「キンちゃんコロちゃん」の仕上げ。

 このコラムに書いたのはいつのことだったでしょうか。遡るのも恐ろしいのでやめますが、彩色もほぼ終わった状態の原稿が見つかったので、これを早急に完成させたい、とおもいます。これは今月中には。

 続いて、擬似肉筆紙芝居の新作の仕上げ。「宇宙船ヂャパン号」のほかに、昨年末ちょっとだけ触れた「丹下左膳」など、ネタだけは豊富にあるのです。ただ、「丹下左膳」は別として、そのほかの作品は、裏書がないため筋も考えなければならない、という難点がありますが。それはそれで楽しい作業といえなくもないわけで。

 最後に、落語ネタの紙芝居の作成。これも昔、「もと犬」という噺のことを書きましたが、「あたまケ池」というシュールな噺も捨てがたいので、ただいま悩み中です。

 あ、その前に大事なものが。

 目の前にある昨年からの宿題の新作紙芝居を……。

 今週中には……。

 年越しで考えていたお話(下書きまでしたのに)は反故にして、新年天啓のように思いついたストーリーで作り始めたのですが。果たして無事、完成できるのか……?

 続きは明日のお楽しみ!

2007年01月02日

第百二十一回「帰ってきた黄金バット」

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 あけましておめでとうございます。今年も紙芝居についてしつこくダラダラと考えていきたいと思いながら、新年一回目のコラムは黄金バットの話題。

 年末「週刊漫画TIMES」という成人向け漫画雑誌を手に入れた。昭和四十六年九月二十五日号だ。漫画文化もすっかり定着して、大人が漫画雑誌を読むのが普通になっているころだと思う(いや、まだ大人向けの漫画は劇画という名称の方が一般的だったかもしれない)。巻末の官能小説は川上宗薫で、巻頭のグラビアは外国人女性のヌード写真である。

 そんな雑誌をなぜ手に入れたかというと、特集記事に「懐かしの紙芝居・帰って来た黄金バット」というものがあったからだ。

 原作者である加太こうじさんの文章に、橋本将次という人が絵を描いている。挿絵というよりは絵物語に近い形で、全部で8ページ。話は黄金バットの「怪タンク出現」編と思われるもので、それが8ページで完結しているのだ。

 おそらく紙芝居としての「怪タンク出現」編は何十回も続いたのだろうが。

 昭和四十六年というと、おそらく街頭紙芝居屋という存在はほぼいなくなっていたものと思われる(特集のキャッチも「懐かしの」である)。路上での営業が規制されたというより、テレビの影響が大きいと思う。わざわざ外に出かけていって、人間が口上を述べながら絵を一枚一枚めくっていく紙芝居より、家にいたままスピーディな展開で刺激の強いテレビ番組の方に人気が集まるのは、ある意味よくわかる。

 しかし、なぜこんな特集を組んだのだろう。

 いや、よく考えれば「特集」とはいっているが、黄金バットの話が掲載されているだけで、他には何の記事もないのだ。編集後記のようなページにも特にそれについて触れているわけでもない。

(もちろん、この号の前後を読んでいるわけではないので、もしかしたら「懐かしの」というくくりでいろいろな特集を組んでいたのかもしれないが)

 一応考えられるのは、この雑誌の読者である中高年の男性が子供のころはおそらく紙芝居が結構盛んだったということで、それでそういう特集を組んだ、ということなのであるが。

 それにしても、である。なぜなのか。

 この謎は、しばらく手を尽くして探ってみたいと思う。

(そういえば、去年手に入れた紙芝居喫茶の記事が掲載された「アサヒグラフ」も昭和四十八年のものだった。時代的に、昭和初期を懐かしがるころだったのかもしれない)

 続きは明日のお楽しみ!

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