2006年08月08日

第百回「ちょっと決意したりして」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 このコラムを書き始めた当初は、自分の中で掲載予定日の前の週の金曜日を締め切りと決めていた。最初は「街頭紙芝居という芸能をもっと知ってもらう!」という、今思えばバカに硬直した考え方のもと、書きたいこと、いや書かねばならぬこと!と勘違いはなはだしい使命感のようなものにかられて、でも締め切りはなしくずし的に月曜日になってしまった。

 しかし、2ヶ月も過ぎるころにはネタがなくなってしまい(いや、なくなったのではなく、単に気がついていないだけだったのだが)、苦し紛れに自分のやっていることをまるで身辺雑記のように書き連ねていって、たとえばネットオークションでの失敗なども逆に誇らしげに書いたりもしてきた。

 継続は力なり、というコトバは真実だとは思うが、それには当然条件がある。

 意思(意志ではないよ)なき継続はただのムダである。

 とはいってはみたものの、省みてここまで書き続けてきたボクのコラムが「意思ある」ものなのかどうか、さすがの能天気なボクも考えれば考えるほど頭を垂れてしまう。

 まあつまりは100回続いたこのコラムを書いているボクという人間の意志は、当初から今まで変わっていないのか、ということだ。変わっていない、と自分では思っているが、たとえばそれを他人から面と向かって問いただされたりしたら口ごもってしまうのではないか、という恐れはある。

 ただ、コラムを書き始めてからまもなく2年、ボクは曲がりなりにも「自分にしかできない」紙芝居を続けてきた。それ以前よりもっと様々な場所で、様々な人々の前で上演してきた。そのことだけは変わっていないし、少しは紙芝居屋としてのボクの自信になっている。表面上は時々揺らいだりはするが、揺れているその下はピクリともしていない、そんな自信がある。

 もっともっと面白いことをやりたい。
 でもそれは紙芝居以外ではない。
 あくまでも紙芝居がベースであり、そこからどこまで面白くなれるか、できることは何でもやってみたい。コラム100回を迎えて、ボクはそう思っている。

 そうして、この頼りなく迷走する文章しか書けない人間に、このような貴重なスペースを100回も提供してくれたBACK STAGE BLOGのスタッフの皆さんに、感謝したいと思う。これからもよろしくお付き合いお願いいたします。

 では、続きは明日のお楽しみ!

2006年08月01日

第九十九回「続・朗読をしてみる」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 ひとくちに「朗読」といっても、それはかなり範囲の広い表現方式だと思う。語り、読み聞かせなどといったものから最近ではより演劇に近づいた「リーディングシアター」といういい方も目にしたことがあるし、詩や短歌の朗読(短歌の場合「絶叫」もある)もかなり前から行われている(特にこれらは対戦形式で行われているものもある。そういえば短歌は歌会始などの行事で高らかに読み上げられているのだった)。

 語り、という部分を敷衍していけば語りものの演芸である落語・講談・浪曲なども入ってくるし、当然ボクがやっている紙芝居も含まれてくる。就寝前にわが子に絵本を読み聞かせるお母さんも、立派な朗読者である。

 今あげた中で「リーディングシアター」という、芝居寄りのものを一度観たことがあるが、演者は台本を手にしてはいるのだがどうやらセリフはすべて頭の中に入っているらしく、途中で台本の紙が舞台上に散乱してもまるで問題なくセリフを喋っていた。

 こうしてみると、「朗読」というのは非常に敷居の低い表現方式だということがわかる。もちろんそのことが「朗読」自体の評価を下げるわけではなく、だからこそ極めていくと終わりのない、そういう意味では非常に恐ろしいものなのだと思う。つまり、どうにでもやることができるからこそ、何をどうやるかどこまでやるか、演者自身のスタンスが問われる表現方式、それが「朗読」なのだ。

 などと偉そうにいってはみたが、ボク自身は一度も「朗読」をやったことがない。ボクの中での「朗読」のイメージはNHKの子供向け番組「おはなしのくに」だったのだ。しかもキチンとその番組を見たうえでのイメージではなく、最後まで見たことがないくせに勝手に想像しているわけなのである。

 そんな、ある意味で「朗読」について語る資格のないボクが、「朗読」のイベントをやろうとしているのだからまあ識者の方(どこにいるのかわからないし、こんなコラム読んではいないだろうがw)からすると「世も末」と思われるかもしれない。

 まあ世の中はいつも「末」ですよダンナ。

 イベントを企画しようと思ったのは、(別に「朗読」に限定せず)自分が好きな人のパフォーマンスを目の前で贅沢に観たい、というわがままな理由からである。それなりに長いこと紙芝居屋としていろいろなイベントに参加してきて、思わず同じ舞台に立つ人間としてではなく、単なる客として堪能してしまった素晴らしい人々を、自分がもう一度観たいためだけにやるイベント。贅沢なのかバカなのか、それはボクにもわからないが、とにかくそんなイベントを一回やってみようと思ったのだ。

 一回目は今年10月20日(金)。二回目以降があるかどうかはわからないが、出演者は「日本一のエロ短歌女優」川上史津子さん、「怪奇幻想朗読者」常川博行さん、そうしてどさくさに紛れて朗読をやってしまおうともくろんでいるボクである。かなり濃いイベントにするべく、ただいま一番苦手な連絡調整をやっているところである。

 乞うご期待。

 また前回の予告とは違った内容になったけれど、続きは明日のお楽しみ!

2006年07月25日

第九十八回「朗読をしてみる」

第九十八回「朗読をしてみる」

yamasiro
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 昔自分が所属していた劇団が、色々な事情で活動を休むことになってから、自分で企画した芝居をやったことがあった。よくいえば若手公演、というやつだが、若手といっても座長をのぞいたほぼ全員プラス客演、という形で、はっきりいってしまえば座長という強力な舵取りのいない船で沖まで漁に出てみた、という感じである。

 で、そのときかなり肉体的精神的ダメージが大きくて、自分にはこういう仕事は向いてないとつくづく思い知らされ、それからは「自分だけが動けばできる範囲のことしかやらない。あとは他人の企画に乗っかる」というスタンスで過ごしてきた。

 舞台は客演、ライブなどもお声がかかるといそいそと出かけていくが、自分で企画するような気持ちはこれっぽっちもなかった。ただイベントをやるだけなら、過去のようにストレスを感じることなく出来たかもしれないが、いろんなイベント・舞台に出演して、様々な活動をする人々を見るうちに、「やればいいというものでもない」という気持ちが強くなってきた。

 その時点で最高のものをお客様に見せるのは当然のことであるが、それだけのものを見せた出演者にも、それなりの見返りがないといけないのではないか、と思ったのだ。小劇場の世界ではもう常識(悪しき?)のノルマも、できればないほうがよい。あっても最小限で。

 誤解のないようにいっておくけれど、ボクは出演料がほしい!ということだけをいっているわけではない。はじめにノルマありき、当然ギャランティはなし、という「演劇界残酷物語」はそろそろよいのではないか、と思ったのだ(もちろん、こと演劇界だけに限った話ではないが)。

 ではどうすればよいのか?というのは、実をいうとボクにも名案があるわけではない。ただ、今年の秋に、久々に自主企画のイベントをやることになって、今場所の予約や出演者との交渉などを水面下で行っているのだが、その際にボクの出発点は「自分が見たい人を呼ぶ」「少なくても必ずギャラを出す」「ノルマはもちろんなし」だった。

 以上の3点を先に決めて、その条件をみたすことができそうな場所を探した。何しろ劇場だってライブハウスだって、一日おさえるだけでかなりの額をとられてしまう。元手となるモノなどないのだから、勢いその費用はチケット収入であてることになり、それは「どうしてもそれだけはお客さんをいれないといけな」くなり、必然的に「ノルマ」になる。その悪循環だけは避けたかった。

 ……ああ、何だかタイトルとは違ってずいぶん生臭い話になってしまった。そうなのだ、秋のイベントというのは朗読のイベントなのだ。なんとボクは初めて朗読をするのだ。まあそれは、ボクが見たい人の出番の前座であって、まだこの時点でボクの出し物は決まっていないのだけれど。

 だから、今回はその朗読の話がしたかったのだが、なぜか制作方面のとても生々しい話になってしまった。うむむ。仕方ない。では今回の話はこのくらいで切り上げて、次回、ちゃんと朗読の話をしたいと思う。

 ボクがしたい、と思っている朗読の話と、ボクが聴きたい、と思っている朗読の話を。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年07月18日

第九十七回「受付というお仕事」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 久しぶりに普通のコラムらしい話。

 今までそれなりに演劇の世界にかかわってきたのだが、「受付」という仕事をちゃんとやったことは、ほとんどない。裏方といっても、技術スタッフに比べてどうしても影が薄いというか、扱いが軽い制作スタッフ・受付。

 小劇場の人材募集記事(ネットや演劇雑誌)で、役者募集以外に受付人員の募集記事もあるが「お手伝い募集」的な書き方がされているのが普通である。もちろん、そういう書き方をすることによって敷居を低くして、なるべくたくさんの人に応募してもらおうという狙いもあるのだろうが。

 それにしても、「お手伝い」の人に受付という、ある意味芝居の一部である重要な役を任せていいのだろうか?

 たとえば気持ちのよい挨拶で迎えられて、ストレスなく予約チケットを確認、すんなり客席に行くことができれば、開演と同時に作品世界に入ることが出来るだろう。

 しかし、「いらっしゃいませ」の一言もなく(さすがにそれはいないか^^;)、確かに予約したはずのチケットは見当たらず(あるいは探し当てるのにえらく時間がかかり)、また招待されたのにその扱いになっておらず、だからといって臨機応変に対応するわけではなく「少々お待ちください」というセリフを繰り返してぼーっと指示を待つばかり。

 そんな受付を何とか通過して、客席に向かうころには、精神的にかなり疲れているはずだ。芝居を観るにはあまり(いやかなり)適さない状況である。

 なぜこんなことを書いているか、というと(なんとなくお気づきの方もいらっしゃるでしょうが)、最近芝居の受付を一日だけ手伝ったのだ。そこで痛感したのは「受付こそプロたらねばならない」ということだった。

 つまりボクはプロにはなれてなかったんじゃないか、という反省なんだけれど(笑)。

 少ない予算の中で芝居本体にかけるお金にも苦労している状態で、その上に受付という当日スタッフにかける経済的および精神的余裕は、劇団本体にはあまりない、ということは非常によくわかる。ボク自身、過去に主宰した公演ではほとんど受付まで気持ちがいかなかった経験がある(一応、外部の制作ユニットにお願いしたのだが)。そのときは本当に受付の重要性はまるでわかっていなかった。(わかっていなかった、といえば、自分で受付をやったついこないだまでよくわかっていなかったわけですな^^;)

 で、いわゆる「お手伝い」の人以外に、劇団員(つまり役者)が受付業務を兼任する場合もある。ある、というか、多くの小劇場の劇団がそうだろう。いや、小劇場だけではない、先月観た唐組の受付をやっていた人々は、ほとんどが開演したら役者として舞台に上がっていた。

 これは単なる印象でしかないのだが、役者が受付をやっている場合は、それほどいやな思いはしていないような気がする。それは、自分の出る芝居を観に来てくれたお客様に対する思いがあるからだろうか(自分がその後出るのに、あまり余裕がない、という役者もいるだろうが)。

 あくまでもそんな感じがする、というだけだが。

 でも、そう考えれば、「お手伝い」の受付の仕事ぶりが今ひとつなのも、わかるような気がする(もちろん、全てのお手伝いの人がダメだというわけではないよ)。

 結論として、「受付は舞台の顔である」といってもいいのではないか、と思う。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年07月11日

第九十六回「ザロンの実・続きその2」

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 厚い外套に身を包み、人目を避けるように歩く二人連れの巡礼。街中ではなるべく裏通りを歩き目立たぬようにしているこの二人の、フードを目深にかぶったその顔を、見た者は数少ない。だが、ひと目見た者は一様に驚いた。

 がっしりとした体格の人物は、ごく普通の人間であった。しかし、小柄な方は……なんと豚の顔をしているのだ!しかし、二本足で歩くことに支障はないようであるし、何より、手足は普通の人間のそれである。ただ、長旅の疲れか、ときおりがっしりした方から遅れてしまい、そのつどか細い声で「おじさん、おじさん」と呼ぶのだった。

 豚の顔を持つ少女。彼女は名をハルという。砂漠の国の小さな村に住む少女である。

 彼女の両親は普通の人間であった。その両親から生まれた彼女は、生まれつき豚の顔を持っていたのだ。彼女の母親は、村の口さがない人々から「昔魔女に仕えていた」と噂される人物であった。だから魔女の呪いで娘があんな顔で生まれたのだ、と人々は続けて噂した。

 魔女に仕えていた……それは単なる噂ではなかった。

 彼女は、砂漠の国から遥か西にある大国の魔女の身の回りの世話をしていたのだ。年頃になった彼女は、故郷に帰って結婚するため、魔女にいとまごいをした。魔女は祝福してやったのだが、彼女はその好意を仇で返した。去り際に、魔女のモノをひとつ、盗んでいったのだ。それは真鍮製の小さな香炉だった。少なくとも彼女が魔女の家にやってきて以来、使ったことのないものだった。いつも台所の小さなタンスの引き出しに無造作に入れてある。

「これならば、いただいていってもよいだろう。何しろ、奥様の家にはこれ以上に値打ちのある品物がたんとあるのだもの。それにワタシはこの家に来てから、身を粉にして働いてきた。もちろん、その代償はいただいたけれど、何か記念になる品物をいただいたってよいというものだ。そうだそうだ。これをいただいていこう」

 そんな勝手なことを考えて、少女の母親はその香炉を魔女の家から失敬し、故郷である砂漠の国の小さな村に帰っていった。結婚相手はおさななじみだった。結婚してすぐに、子供ができた。二人は大喜び。だが、子供が生まれた瞬間、夫婦は地獄に突き落とされたのだった。

 産声を上げる元気な赤ちゃん。

 しかしその顔は……豚なのである。

 折角子供が生まれたというのに、二人は毎晩泣き暮らした。ハルが生まれて一週間目の夜、夫婦の寝室に置いてあった香炉から、なにやら不思議な煙が立ち昇った。

 それはやがて、母親が使えていた魔女の姿になった。

「これ娘、お前はワタシの目を欺いてこの香炉をまんまと盗んだつもりだろうが、ワタシはすべてお見通しじゃ。たんまりと給金をはずんだはずなのに、まだほしがるとは、とんだ強欲な人間じゃのう。しかし、これで懲りたじゃろう。お前たち二人の娘の顔が豚なのは、すべて母親であるお前の強欲さが原因じゃ。もし人間の顔に戻したければ、北の海を臨む絶壁にしか咲かぬザロンの実を取りに行くがよい」

 さて、こうしてハル本人がザロンの実を求めて北へ向けて旅に出たわけであるが……。

 両親はいったいどうしたのか?

 ハルに同行しているがっしりとした人物の正体は?

 謎はますます深まっていくわけであるが、この話も3回もやってきたので(当初は一回で終わるつもりだった)そろそろおしまいにしたいと思う(あ、もし、ご希望があればまたいつか続けます)。

 では、続きは明日のお楽しみ!

2006年07月04日

第九十五回「ザロンの実・続き」

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 不思議なネズミの導きにより王宮を抜け出し、女王の魔の手を逃れた二人の姫であったが、森の魔法使いは彼女たちに驚くべき事実を語る。

 実は二人の継母である今のこの国の女王は、隣国の魔法使いであり、その邪悪な目的はいずれこの国を乗っ取り隣国のものとすることなのである。禁断の魔法を使って王を虜にした魔女は、邪魔者である二人の姫を亡き者にして、ゆっくりとこの国を滅ぼすつもりだったのだという。

 あまりのことに驚き悲しむ二人の姫。

 続けて魔法使いの老婆はいう。隣国の魔女の手からこの国を守る方法がひとつだけある、と。

 それはどんな方法ですか?

 姫が尋ねると、魔法使いは一輪の花を二人に見せる。

「これはザロンという花じゃ。普通は、大陸の北の入り江の、断崖絶壁のなかほどに咲く花で、3年に一度しか実をつけぬ。このザロンの実を煎じたものを、魔女の魔法に目をくらまされている王様に飲ませれば、たちどころに王様は本来の聡明な心を取り戻されるであろう。しかしそれは、飲ませる者が手ずからその実を採ってこなければ、効き目がないのじゃ」

 そういって、証拠を見せるかのように小さな器に入った液体を「これはワシが採ったザロンの実を煎じたものじゃ」といいながら、二人を森に連れてきたネズミに飲ませる魔法使い。するとたちまちネズミはたくましい人間の青年の姿になる。

 彼は西の国の兵士で、例の隣国の魔女によってネズミの姿に変えられていたのだった。森の魔法使いに礼をいい、ひとまず自分の国帰るという青年に、戻ってきたら二人の姫を助けて北の入り江に行くように頼む魔法使い。快く了承する青年。

 こうして、しばらく魔法使いの家で過ごすことになる二人の姫。魔法使いの老婆は見た目はおそろしげな顔をしていたが、心根は存外優しいようで、なにくれとなく二人に気をつかってくれはしたが、それでも彼女たちの心が晴れることはなかった。

 一方そのころ、砂漠の国から北の入り江を目指す二人の巡礼の姿があった。フードを深くかぶり人目を避けるように歩いている二人の顔を、たまたまちらとでも目にした者は、驚きの声をあげるに違いない。

 その顔は……!

 というわけで次回も続きそうです。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年06月27日

第九十四回「ザロンの実」

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廣島屋でキュ!廣島屋

 予告どおり、紙芝居「ザロンの実」について。ボクの手元にあるのは第64回以降の数回分であり、しかもいろんな事情で「絵」しかない。で、その絵から想像できる物語をこれから書いてみようと思う。

 それは、西洋のとある王国の話である。

 国王には二人の王女がいた。国王と女王の愛情を受け、すくすくと成長していた。大変素直でまた可憐な二人のお姫さまを国中が愛した。かつては国境をはさんで隣国との争いが絶えなかったが、今の国王の代になってからはほとんどそれも起きていなかったため、国の民は国王一家を心から敬愛し、日々の労働に励んでいた。

 国の運命に暗雲が漂いはじめたのは、女王が突然病にたおれたころからである。

 国王をはじめ、王女二人も小さな胸を痛めつつも懸命な看病をしたが、その甲斐なく女王は儚くおなりになった。国中が悲しみに包まれたのを待っていたかのように、国境を接する隣国が攻め入ってきた。

 悲しみに打ちひしがれながらも、国王は軍隊を指揮して戦った。戦争は数ヶ月続き、多くの人々が死に、国は疲弊した。戦況はおもわしくなかったが、国の民のことを考えて国王と和解の道を選んだ。

 和解が成立した夜、王宮で記念の晩餐会が開かれた。両国の重臣たちが列席するなか、国王は隣国の姫とはじめて顔を合わせ、心を奪われてしまった。あれほど好きだった、お抱え楽師の妙なる調べも耳に入らぬほど、国王はその姫に夢中になったのだ。

 やがて、国王と隣国の姫との婚礼の儀が王宮で厳かにとりおこなわれた。華やかな式典のさなか、二人の姫は、父親である国王の様子が最近かわってしまったことを悲しんでいた。以前は必ず食事を一緒にしながら談笑していたのに、今ではほとんど隣国の姫と一緒にいて、二人とは顔を合わせてくれないのだ。そうしてなぜか、新しい母となった隣国の姫は、二人に憎しみの目を向けるばかりだった。

 さて、それでも束の間の平和なときが訪れ、二人の姫は亡き母のことを思いながらも静かに毎日を過ごしていた。が、なぜか二人とも、次第に体調を悪くして、寝込みがちになった。医者が枕元に呼ばれたが、特に何の治療をすることもなく「贅沢病ですな」とはき捨てるようにいうばかりだった。

 ある日、気分が優れないまま、ベッドから見える窓の外の風景を眺めていた姫は、人間の言葉を喋るネズミの訪問を受ける。驚く姫に、自分は魔法使いの伝言係であること、姫の体調が優れないのは、あの新しい女王の仕業であり、このまま王宮にいたらいずれ女王に殺されてしまう、ということをネズミは告げた。

 ネズミの手配で王宮を抜け出した二人の姫は、森の奥深くにある魔法使いの家を訪れた。二人を迎えた魔法使いの老婆は、さらに驚くべき事実を二人に話すのだった。

 それはいったい……?

 続きは明日のお楽しみ!

2006年06月20日

第九十三回「紙芝居の絵の町で」

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 さて、いよいよ唐組公演「紙芝居の絵の町で」の話をしようと思う。これを書いている今、ちょうど新宿・花園神社の境内に設営された特設テントから帰ってきたところなんである。

 紅テント、と通称されるように、唐組のテントは赤い。そしてテント特有のいかがわしい雰囲気をばっちりかもしだしている。(でも客入れのときにお客さんを整理番号順に整然と並ばせてるのが何だかおかしかった)

 テント芝居を観るのはこれで2回目である。最初は新宿梁山泊で、もう10年以上前のことだ。芝居の内容はほとんど覚えていないが、ラスト、舞台の後ろの壁がとっぱらわれ、プロセニアムに切り取られた借景を、電車が通っていったのにはしびれた(線路沿いの空き地を使っていたのだ)。

 テント内は、想像したよりずいぶん狭かった。薄っぺらな茣蓙の上に座って、ぎゅうぎゅうつめられていく。すぐに足がしびれ、お尻が痛くなる。ちょっとでも動くと回りの人の体に触れてしまい、身動きもままならない。

 それでも、開演前のざわつく会場内に、不満の声はほとんどなかったように思う。今のようにエンターテインメントを楽しむさいの環境にうるさい(提供する側も受け取る側も)この時代に、これだけ「観劇」環境の劣悪なところはないだろう。それなのに、文句どころか、いったい今からどんな話がはじまるのか、わくわくしてくるのはなぜだろう。

 ははあ、これはお祭りだな。

 ボクはそう思った。これはお祭りなのだ。お祭りは外から見ているだけでは楽しさもたかが知れている。踊りの輪の中に入っていかねば、お神輿をかついで肩に痣を作らねば、酔っ払った勢いで回りの若い衆と喧嘩をしなければ、本当の楽しさを味わうことはできないのだ。

 で、この場合、ボクたちはきつい思いをして芝居を観る、という参加の仕方をしているわけだ。それは、座り心地のよい椅子にゆったりと身を任せ、空調設備の整った空間で、まるで別世界の出来事のように芝居を観ることではない。油断していたら舞台から水をかけられかねない状況に身を置くということ。物語の記憶とともに、体に残った苦痛をも抱えて劇場を後にするということ。それが観客たるボクらに課せられた条件なのだ。

 もちろん、これは一般論ではない。すべての舞台がテントみたいな窮屈なところでやればよい、といっているのではないのだ。

 ただ、「芝居を観る」ということの原初的な意味を、時々確認し、自分の立ち位置を確かめることが、必要なのではないか。お尻の痛みとともにそんなことを考えたのである。芝居に携わるものとしては、快適さがかえって物語を伝えにくくしていないか、観客としては、何者にも犯されない絶対領域からの鑑賞が、果たしてどんな快楽を与えてくれるのか。

 というような難解なふりをした議論はおいておいて、2回目のテント芝居は、非常に楽しいものだった。まさに祝祭空間だった。

 お祭りの浮かれ気分でついでに思い付きをひとつ。今回短い期間内に寺山さんと唐さんの芝居を観たわけだが、同じ「祝祭空間」でも、寺山さんの芝居は神社の、唐さんのはお寺のお祭り、という印象を持った。寺山さんは厳かに狂い、唐さんはゲラゲラ大声で笑いながら狂う。そんなイメージだ。

 また酔い(お酒の、じゃないよ)にまかせて埒もないことをいっているが、お許しいただきたい。

 さて、次回はまた紙芝居の話に戻る。「ライオンマン」に引き続き、新作!「ザロンの実」について。

 果たして「ザロンの実」とは!?

 続きは明日のお楽しみ!

2006年06月13日

第九十二回「狂人教育」

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 さて、前回のコラムを書いた後、ついに唐組公演「紙芝居の絵の町で」のチケットを予約してしまったので、そのまま前回の続きから書いたほうがよいのだろうが、その前に、前回はちょっとしか触れなかった寺山修司「狂人教育」について。

 今回ボクが観た「狂人教育」は劇団☆A・P・B−Tokyoの公演だったが、実は今年3月に池の下という劇団がタイニイ・アリスで同じ芝居を上演していたらしい(ただ、ネットでのレビューなどを見ると上演時間は1時間くらいだったようだ)。この池の下という演劇集団は、「寺山修司全作品上演計画」と銘打って彼の戯曲を次々に上演しているという。ポスターも丸尾末広という非常にツボを知り尽くした制作方針のようだ(一方のボクが観た「狂人教育」のチラシ絵は智内兄助。こちらも素晴らしい)。

 まあ別に劇団の優劣をいいたいわけではないので、この話はどうでもよいのだが。

 ただ、「なぜ今、狂人教育?寺山修司全作品?」……と、思ったら今年は寺山修司生誕70年だそうだ。

 いまさら知ってビックリ。

 まあ、この程度の情報は、今の時代すぐに手に入るものであり、それなのに、芝居をやっている(紙芝居だけど)とえらそうにいっているボクのような人間が、こんなことをやっと知ったわけだ。無知でいることはそれほど悪いことでもないが、無知のままでいることはやはりまずいことだと改めて肝に銘じたボクであった。

 さて、改めて「狂人教育」について。

 これは、ある家族の物語である。そうしてどうやら、もともとは人形劇であるらしい。確かに登場する家族は人形なのだ、と劇中で明かされ、彼らを操る黒子たちも早々と出てくる。しかし、ボクが観た舞台では黒子も彼らが操る家族も、役者が演じていた。

 最終的には黒子の親玉(?)と家族の中でただ一人正気を保っている「妹」が対決する(というと陳腐な活劇みたいですね、これはひとえにボクの表現力のなさからくるものです)。そうして、まるで屋台崩しのように衣装を脱いだ役者たちが舞台上に現れる。そうして、物語の枠がとっぱらわれ、現実の脆さを見ているワレワレに突きつけてくるのだ。

 前回「鳥肌が立った」と書いたのはこの部分だ(それだけではないのだけれど)。

 しかしこれは、芝居を観るときのひとつの楽しみではないだろうか。

 おそらく、社会も何だか形にならない熱のようなものを絶えず内に抱えていた時代、舞台を観る、ということはただ物語を楽しむだけでは許されなかったのではないかと思う。今風にいうならば、双方向性の演劇(もちろん、今よりももっと原初的なものであったと思うが、それだけにエネルギーはすごかったろう)。

 それがアングラだったのではないか。

 何だか結論が唐突にしかも前段の話と関係ないところから出たようで、いつも以上に文脈がとりとめもなくて申し訳ない。次回はおそらく初唐組の興奮冷めやらぬまま、またぞろ支離滅裂なことを書いてしまいそうだが。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年06月06日

第九十一回「テラヤマさんとカラさん」

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 ボクは学校を卒業しても地元で働いていて、いわゆるサブカル小僧だった。ところが悲しいかな、「田舎の」という言葉が頭につくサブカル小僧だったのである。

 そんな小僧のボクが演劇に興味を持ち出したころ、演劇界(もっと正確にいえば小劇場界)では「第三世代」といわれる人々が目覚しい活躍をしていた。第三舞台、第三エロチカ、夢の遊眠社(福岡で公演をしたときに見に行って、見事に寝た)……劇団離風霊船の「ゴジラ」を地元の劇団がやったり、まだ扉座と名前をかえる前の善人会議の戯曲なんかも演劇雑誌(今は亡き「新劇」という雑誌)に掲載されていた。善人会議の「魔法使いの弟子」という芝居はよく高校の演劇部が上演する、なんてことも聞いたことがある。北村想さんの「シェルター」を地元の劇団で上演したときに、スタッフをやらせてもらった(だから「寿歌」より「シェルター」が今でも好きだ)。寺山修司さんの弟子筋にあたる岸田理生さんの「楽天団」が地元で芝居をやったときも、やはりスタッフとしてちょっとだけ関わった。その時点で戯曲「糸地獄」を雑誌で読んでいて、その世界観にとても惹かれていたので、もうワクワクするような気持ちだったはずなのだが、芝居自体のことはよく覚えていない。

 田舎のサブカル小僧(それも非常に中途半端な)のボクにとって、エンゲキとはいわゆる第三世代のことだった。だから寺山修司という歌人・劇作家・演出家のことも、唐十郎という劇作家・役者のことも、それほど知識はなかった(といって、それ以外の知識が豊富であったわけではない)。もちろん、小僧なりに寺山さんとこが天井桟敷で、唐さんが状況劇場で、あんま仲良くなかった、というワイドショー的なムダ知識はあったけれど。

 それは仕事の都合で上京して、観劇三昧の日々を送りはじめてもかわらなかった。寺山さんはもう亡くなっていたし、唐さんは確か芥川賞だかなんだかをとってボクの中では作家になっていた(そう、それは寺山さんが死んだ年だ)。

 ただ、ボクがある種憧れていた「第三世代」の前に、アングラと呼ばれた演劇の人々の活動があって、それが今もなお凄まじいパワーを持ったまま継続していることは、なんとなくわかっていた。いや、東京という坩堝みたいなところで、それに気づかされた、というべきか。

 それから、なんとなく書店で二人の名前を見ると、ついその本を手に取るようになった。決して買わないし、ざっと字面を追う程度であるが。そうして、唐組と名前を変えた唐さん主宰の舞台を見ることも、天井桟敷の流れをくむ万有引力という劇団の芝居を見ることもなかった(いや、万有引力は一度だけある)。戯曲すらまともに読んだことがない。

 どうも無意識のうちに避けていたところがあるかもしれない。まあ、上京して数年で仕事をやめてしまい、一気に生活が不安定になってしまったせいで、経済的に観劇ばかりしてるわけにもいかなくなった、ということもあるけれど。

 それが、である。

 先日、ついに寺山修司の初期戯曲を使った舞台を見たのだ!「狂人教育」というその部隊には、天井桟敷に所属していた役者さんまで出演していた!

 そうして、鳥肌をたてながらその芝居を見終わったボクの目は、今度はその公演のチラシにおりこまれている唐組の芝居のタイトルに、釘付けになってしまった。

 そのタイトルは

 「紙芝居の絵の町で」……!

 続きは明日のお楽しみ!

2006年05月30日

第九十回「いろんなところでやってみる」

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 先日、久々の野外でのイベントに参加する予定だったのだが、あいにくの雨でイベントが流れてしまった。前回の反省を踏まえ、ストリートの流れを観察した上で上演場所を決めて……などと対策を考えていたのだが、やはりお天気には勝てない。

 そういえば前回(去年)参加したときも、土日二日間やる予定が土曜日は雨で中止になったのだった。野外イベントはお天気まかせのところはあるが、だからこそやったときは楽しさも通常の屋内イベントより増すのである。野外でやる機会は今後もあると思われるので、またそのときにがんばりたい。

 その翌日は、鎌倉のイタリアン・レストランでささやかな会合があって、その場でアトラクションとして紙芝居をやった。ライブ・バーやカフェなら何度もやったことはあるが、レストランでは初めての経験である。

 しかも、お店の企画ではないので、当然他のお客さんもいるであろう状況での紙芝居の上演ということで、いったいどうなるのか、お店の人や他のお客さんからクレームがこないか、やる前はとても心配だった。

 会合の参加者は10人くらいで、テーブルは壁に沿って細長くセッティングされていた。幸い、店の一番奥の場所で、なおかつBGMもしっかり流れていたので、あまり上演の声が気になることはなかった(と思う)。

 他のお客さんも数組いたのだが、ちょうど上演の最中は近くのテーブルにはいなかった。これは……よかったのか悪かったのか。

 結果からいえば、回りに他のお客さんがいればちょっと巻き込むくらいの余裕が、始まってしまえばあったりしたのだった。おまけに厨房が離れていたので、お店の人にも見てもらえればよかった、なんてことまでやりながら思ってしまった(ボクの場合、見ている人を巻き込んでしまいたくなるので特に)。

 事前に紙芝居をやる、ということをいっていたお店の店長さんが、始まる前にちょっと見ていたのだが、さすがに30分仕事しないで見てるのはまずいと思ったのか、すぐにいなくなってしまった(当然といえば当然のことですな)。

 まあそんな感じで、上演中も、予約したコースの料理が次々と運ばれてきて、思わずそれに目を奪われながらも、無事終えることができた。ごらんいただいた皆さんにも喜んでもらったようで、ほっと一息である。安心して料理をぱくつきながら、「こんな場所で紙芝居をやるのもいいもんだなあ」などと、やる前とは正反対のことを考えていたのだった。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年05月23日

第八十九回「頭の中を整理」

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@第75回で「娘紙芝居」について書いた。新宿御苑そばにある陶芸喫茶「飛鳥」で上演される紙芝居。その後偶然、この「娘紙芝居」について、アサヒグラフで取材していることがわかった。その記事を読んだけれど、やはり天下の朝日、ただのノスタルジー一辺倒の内容ではない(だからといって、面白い記事であるわけではない)。こぎれいな喫茶店の中で上演される街頭紙芝居に違和感を覚え、そのむねをはっきり本人たちにぶつけているのだ。ただ、記事のタイトルには「紙芝居喫茶」とあり、二十歳前の女性が上演する、という点よりも紙芝居を上演する喫茶店、というところに主眼が置かれている。記事で「娘紙芝居師」たちは将来の夢を語る。それはバスを貸しきって全国を紙芝居の旅に出かける、というものだ。ますます彼女たちのそれからが知りたくなった。もう少し色々と調べてみたい。

A定番ネタである「キンちゃんコロちゃん」のオリジナルの制作も、そろそろいい加減に仕上げてしまわないといけない。あとは拡大カラーコピーをして台紙に貼り付ければそれでほとんど終わりなのだが。仕上げてしまわなければいけないものはほかにもあって、たとえば「丹下左膳」だとか落語ネタの紙芝居なども作りたいのだが、ずいぶん長いことほったらかしのままだ。このまま忘れてしまいそうで、ここに書いてみた。

B印刷紙芝居「肥料の施し方」「軍神の母」の上演。ともに完全版ではないので、やるにしても工夫が必要なのだが、今ひとつよいアイディアが浮かばない。また、内容的に上演場所を選ぶ作品であって、そのあたりも考えなければならないところである。「タイタニックは沈まない」も、何度か上演してからしばらくやってないので、久々にどこかでやってみるのもよいかもしれない。

Cなぞなぞの新作。前に作ってからこちらもまた久しく時間がたってしまった。なぞなぞ自体はオリジナルではないが、絵を描かねばならず、ものがものだけにどういう風に描くとよいか、ちょっと頭を使う必要があるのだ。そうして、小学生対象のとんちくいずというのは、往々にしてよく考えると複数回答がありうるものもあり、せっかく作っても使えなくなることがある(作る前にわかれよ、と思わないでもない。われながら)。

Dスライドを使った紙芝居。うまくやれば普通に紙芝居をやるより一度にたくさんの人に見てもらえるのではあるが。調べてみると技術的・経済的に色々と問題があって、すぐに、というわけにはいかない。そうして、何より上演方法にも通常の紙芝居とは違う技術が必要になってくると思われる。

E「ヤス坊」「ペチョコちゃん」の続きはどうするのだ?と自分に聞いてみる。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年05月16日

第八十八回「ライオンマンの作り方」

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 前々回で書いた「ライオンマン」であるが、実は絵はあるのだが、裏に書いてあるはずのお話(セリフももちろん含めて)は、ほとんどわかっていない(それには海よりも深い理由があるのだけれど、それはここでは書けない)。ただ、つながっている絵を見ていけばだいたいの話の流れはわかる。

「ヨルダン王国が舞台であり、二人の王子と、第2候補の王子の王位継承を画策する一派の暗躍、知恵と力の勝る第1候補・兄王子を助ける謎の甲冑の騎士ハーケンナイツとライオンマン(しかし、ほとんど出てこない)の活躍を描いている。主人公は兄王子であり、彼を亡き者にして自分の息子(弟王子)を王位につかせようとする后(兄王子にとってはまま母)が、怪力無双の大男を兄王子にけしかけたり、国境付近に棲む凶暴な一族の退治を依頼したりする。」

 などとまるで自分が作った話のように書いたけれど、大筋ではあっているという程度のものだ。主人公の王子をめぐる人間たちの関係はほとんど外していないと思うが、問題はライオンマンとハーケンナイツがどういう立場なのか、という点である(登場場面が少ないので)。

 それにしても、一連の絵を元にしてお話を作る、というのはとても面白い。たとえば、一枚に費やす言葉の数に制限をつけなければ、できる話は無限だからだ。また、本来の順番をかえる、という方法も使える。

 ただ、それが面白い物語になるか、というのはまた別の話である。面白さは、費やした言葉の数には必ずしも比例しない(もちろん、その逆でもないが)。場面として連続した複数の絵にどういう(新たな)つながりを作るか、あるいは場面の切り替わったところをいかにスムースに説明してお客さんの注意を惹くか、そのあたりは事前にいくら考えても、実際に人前でやってみることによって見えてくるものには敵わない。

 絵は視覚に訴えるものであり、それだけで大量の情報を内包しているものだけれど、その情報を増幅させる(あるいは内容的に逆転させる)「コトバ」が、ボクたちにはとても必要なのである。

 それで思い出したのだが。

 以前、「黄金バット」の絵で新たなストーリーを作るコンテストというのが開催されたことがあった。ボクがそれを知ったときはすでに終わっていたのだが、集まった新たな「黄金バット」の数々を、ぜひ見たいと思ったものである。

 ちなみに、「ライオンマン」は先日13回に続いて14回をやってみた。通常の街頭紙芝居屋は絶対にやらなかった(やれなかった)2回連続上演である。14回は本当にネタおろしであって、事前に内容をさらうこともほとんど出来なかったのだが、何とかかんとかやり終えることができた。今後何度も上演することで細部に磨きがかかり、より豊饒な物語になってほしいと他人事のように思っている。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年05月09日

第八十七回「など」

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 さて、前回書き忘れた「など」のこと。

 といっても、たいしたことではない。このコラムではおなじみのオークションの話である。相も変わらずオークションサイトをのぞいてたりするわけだが、先日珍しいものを発見したという話だ。

 立ち絵、である。

 もうずいぶん前、このコラムが始まったころに書いたことがあると思うが、紙芝居という芸能が始まったときは、今のような一枚絵を組み合わせたものではなく、人型に切った絵をまるで人形劇のように何本も使って演じられていた。「紙の人形でやる芝居」だから紙芝居、というまさに紙芝居の語源ともなった芸の形態。それが立ち絵なのである。ちなみに、これも過去に書いてはいるが、立ち絵があまりに手間がかかるために一枚の絵に背景も人物も描いて、それを複数枚使って演じる形になったのが平絵(つまり今の紙芝居)ということになる。だから大正時代などは「紙芝居」といえば立ち絵のことを指す言葉だったのだ。

 オークションに出品されていたのは、いろんな登場人物の絵がまだ切り離されていない、シート状になっている立ち絵の原画(といっても印刷物だと思うが)である。西遊記が題材らしく、孫悟空とか玄奘三蔵などを絵が数パターン、描かれている。これを切り取って割り箸のような棒に貼り付けて使うのだろう。別に背景の絵もついているようなので、これを使えば立ち絵紙芝居がすぐにでも出来る。

 といっても、ボクは落札しなかったけれど。今は平絵紙芝居をやるので手いっぱいなんである。

 それに、立ち絵ならば自分で出来るだろう。

 それからもうひとつ。立体紙芝居、というかもっとわかりやすくいうと「飛び出す紙芝居」というべきものを出品されていた。

 どういうものかというと、平絵の状態の絵の手前に人物だけの絵を置いて演じるような形になっているのだ。絵に奥行きが出る仕掛けで、見た瞬間は「おおお!」と唸ったが、よく考えるとこの紙芝居は普通の紙芝居舞台では出来ないではないか(枠にはそれほど奥行き、というか、スペースはないから)。その作品は印刷物ではあるが、戦前のもののようだ。

 もちろん、ボクは落札しなかった。

 それにしても、まだまだボクの知らない形態を持つ紙芝居は、この世にあきれるほどたくさんあるのだなあ、と思った春である。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年05月02日

第八十六回「ライオンマンなど」

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 久しぶりにコラムにトラックバックがついた、と思ったらエロ系でがっくり来ている今日このごろのボクである。個人的に書いているブログも似たような感じなので、どんなところにもやってくるエロの人たちのエネルギーに感心したりもするのだが。

 さて、先日、去年暮れくらいから地道に作業をしてきた新作紙芝居のネタおろしをやった。もともとは肉筆紙芝居である「ライオンマン」の「激流ヨルダン篇」というシリーズである。「もともとは」と断っているのは、肉筆ではなく模写であるからだ。

「ライオンマン」というと、「テムジン篇」というモンゴルを舞台にしたシリーズを下町風俗資料館で見たことがある。演者はもちろん、ボクの心の師・梅田佳声さんである。テムジンというモンゴルの少年が主人公で、ライオンマンは彼を助ける正義の味方。「ニラ臭い」ニーラというあくの強い老婆も出てきて、一回分しか見ていないのだが、非常に面白い話だった。

 で、「激流ヨルダン篇」である。紙芝居の舞台としてヨルダンという中東の国がふさわしいのかどうか、ボクにはわからないが、どうやらこの「ライオンマン」はワールドワイドなヒーローものであるらしい。

 黄金バットでも、宿敵ナゾーがヨーロッパの山奥に秘密基地を持っていて、そこへバットが乗り込むという話がなくもないが、話のはじめから終わりまで外国で、というのは珍しいのではないだろうか?時代劇は別として、現代モノでもだいたいは日本国内が舞台であり、こういう「ライオンマン」のような話は少ないと思う。

 話は、ヨルダン王国が舞台であり、二人の王子と、第2候補の王子の王位継承を画策する一派の暗躍、知恵と力の勝る第1候補・兄王子を助ける謎の甲冑の騎士ハーケンナイツとライオンマン(しかし、ほとんど出てこない)の活躍を描いている。主人公は兄王子であり、彼を亡き者にして自分の息子(弟王子)を王位につかせようとする后(兄王子にとってはまま母)が、怪力無双の大男を兄王子にけしかけたり、国境付近に棲む凶暴な一族の退治を依頼したりする。

 一応、このシリーズは数回分あるので、少しずつ新作としてやっていければ、と思っている。先日やってみた第13回は、まずまずの反応であり、引きのテクニックがとても効果的に使われているので「続きが気になる」とお客さんにもいってもらえた。ボク自身も、久しぶりに早くやりたくてたまらない紙芝居、となっている。

 ということで、続きは明日のお楽しみ!

(おわび)
 タイトルに「ライオンマンなど」とありますが、「など」の部分で書くつもりだった内容は次回にしたいと思います。

2006年04月25日

第八十五回「ワークショップ」

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 先週末、都内某所で開かれたワークショップに参加してきた。

 実はこの年になって初めての嬉し恥ずかしワークショップである。

 講師の方は映像畑の方であり、台本ありの芝居でもカメラのフレームを意識してやる、という授業などもあった。エチュードも、基本設定に基づいて役者がやっている途中で講師からいろんな指示が出て(カンペの形で)それを指定された役者がセリフなり動きなりで受けて芝居を成立させなければならない、というルールの授業もあった。(これは仕切りがすばらしかったせいで、非常に面白かったけれど、自分たちだけでやろうとするとただのグダグダになったエチュードと変わらない結果になるかもしれない)

 およそ30人の大人数でいろんな刺激をもらった。いや、もともと刺激をもらうために参加したようなものだったので、そういう意味では成功した、と思う。メンバーの中には今まで芝居をやったことがない人もいれば、学生演劇の真っ最中の人、映像系の仕事をすでにやっている人、ミュージカルをやってきた人など、それこそ30人30様の履歴の持ち主がいた。

 講師がやっている途中で「今回の授業は実際に演じてる人よりそれを見ている人のほうが勉強になると思う」といったことがあった。確かにそうなのだ。与えられた課題を頭に、役者はほとんど時間のない中で必死に演技を組み立てる。いや、組み立てるどころか、材料をそろえることすらできないこともある。

 そのような状態の中で、皆に見られながらもがき苦しんでいる様は、「自分ならこうやる」というアイディアのひらめきと同時に非常な共感も呼ぶのだ。「ああ、きっとこうしたいのに出来ないんだな」なんて、やってる人が聞いたら「余計なお世話だ」といいたくなるようなことが脳裏をよぎる。

 そしてワークショップ最終日は、自分の今現在の課題についてのエチュードだった。今抱えている問題をあらわにして、それを皆の前で芝居として見せる。一歩間違えれば宗教の現場か、自己啓発のセミナーになりそうな課題である。

 そしてこれが、本当に皆似通っていて(もちろん表し方は違うんだけど、根っこのところがね)だんだん切ないよりもおかしくなってきた。かくいうボクがやったのも、他のメンバーがやったことと大同小異である。

「皆悩んで大きくなった」というのは大昔のCMのコピーだが、こと演劇関係にあてはめれば「皆悩んでも大きくなれない」というところだろうか。同じところでつまづいて同じ道をぐるぐる廻る。しかしそれでも悩まずにはおれないし、悩みつつも前に進もうとしなければならないのだろう。

 誰に頼まれたわけでもないのに、本当に因果だなあ、としみじみ思った春の夜だった。

 続きは明日のお楽しみ!

2006年04月18日

第八十四回「インターネットラジオ」

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 前々回厚かましくも宣伝させてもらったインターネットラジオ「下北にドットコム」内のボクの番組「つづきは明日のお楽しみ」が先週11日からやっとはじまった。

 URLはhttp://www.shimokita2.com/である。

 放送は、自分でも聴いてみた。すでに収録して2週間くらいたっているので、たった10分の番組なのに細かいところを忘れてしまっていた。

 そして自分の声も、もう散々聴いているので、なれてしまったのかほとんど違和感を感じずに最後まで聴くことができた。ただ、ちょっとたどたどしい部分とか、いい間違えをしているところなどは非常に気になったが、これはいまさらどうしようもない。

 収録は今の時点でひと月分を終えており、つまり全部で40分くらい喋っているわけであるが、一回一回の収録がとても短くて、収録を終えた瞬間「あれもいいたかった」「これもいいたかった」と後悔ばかりしている。

 まあ以前やった生放送に比べれば、少なくともしばらくは毎週更新、という形で続けられるようなので、後々いいたりなかった部分は充分フォローできるのではあるが。

 ただ、気持ちのどこかに「かっちりした、計算しつくされた喋り」ではなく「緩くてちょっと抜けている」番組がやりたい、と思っているので、「いいたりない」くらいでちょうどよいのではないか、などとも思っている。

 番組では、紙芝居の話はもちろん、「懐かしいけど新しい」という視点でいろいろなものを取り上げて喋っている。1回目は「駄菓子」うまい棒について喋った。あくまでも今もその存在があって、なおかつ懐かしさを感じるもの、というのが基本である。これが調べてみると色々な「物件」があるので、自分でも楽しみになってきた。

 そして「つづきは明日のお楽しみ」といいながら、このコラムと同じく次の回には続いていない、という形をとっている。まあその辺はご容赦願いたい。

 何しろ、続きで引っ張ることがわれわれの商売の要なのだから。

 では、続きは明日のお楽しみ!

2006年04月11日

第八十三回「猫三味線DVD」

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 以前このコラムでほんの少しだけ触れたことのある我が心の師・梅田佳声さんの長編紙芝居「猫三味線」のDVD化が、とうとう間近になったらしい。

 仕掛け人(?)唐沢俊一さんのHPなんかでときどきその計画を拝見していたのだが、先日久々にネットで「猫三味線」を検索してみたら、製作会社の記事がヒットした。エースデュースエンタテインメントという会社の製作で、脚本・演出・総監督が唐沢俊一さん、口演が梅田佳声師匠、となっている。どうやら、紙芝居と実写ドラマをあわせた作りになっているらしく、何となく師匠の実演をカメラで撮っただけのものを想像していたのでビックリした。

 しかし、考えてみれば、上演をただ撮っただけの映像なんて、それを見に行った観客が撮った個人用のビデオ作品とどこに違いがあるのか、それをわざわざ価格設定までして企業が販売するようなものになるわけがない。

 であれば、次はどういう形でそれを作品化するか、ということだ。

 これは舞台を映像として残す際にも関係してくるテーマであると思う。

 どう料理するか、どう翻訳するか、という話だ。

 舞台をやる人間が、記録として残す映像は、ぶっちゃけたことをいってしまえばそれだけのものである。ナマの舞台とは別のものであり、それはたぶんに身内(特に役者・演出家)向けのものだといい切ってしまってもいいと思う。ビデオという形でいやおうなく残ってしまった己の演技を目の前にして、次へ進むためのもの。反省材料。それが舞台の映像である。

 あるいは、さまざまな事情でそのマナの現場にいることができなかった人が、その雰囲気、物語のアウトライン(あるいはまた、お気に入りの役者)だけでも見たくて、手に入れるもの。いくら何台ものカメラを客席に配置して何度もリハ(ゲネプロの最中とか、開幕してからも何度も)をおこなった上で、サイコーの編集技術を駆使しても、やはりそれは、上記の存在理由以上のものはもちえない。これもまた、はっきりいい切ってしまおう。

 もし、それが非常に魅力ある作品に見えたとすれば、それは「舞台」ではなく「映像」であるからだ。いまだに縁がなくて「ゲキ×シネ」を見ていないが、その魅力がじわじわと広がっている理由も、おそらくそういうところから来るのだと思う。(「ゲキ×シネ」これについては近々必ず見て感想を述べたいと思う)

 さて、最後に話を「猫三味線」に戻して。

 DVDの発売は今年7月を予定しているらしい。今から楽しみであり、「猫三味線」を知らない人も、ぜひ機会があれば見てほしいと思っているのである。

 では、続きは明日のお楽しみ!

2006年04月04日

第八十二回「軍神の母とネットラジオ」

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 相変わらずネットオークションも時々チェックしているが、肉筆紙芝居を落札しようとはもう思わない。というより、今のボクの経済力では競り合うことは不可能だという結論にたっしたのだ。だから、今は印刷紙芝居を中心に見ている。

 もちろん、戦後すぐの印刷紙芝居(高橋五山・作)もたくさん出品されているが、それよりも戦時中の国策紙芝居に注目している。ボクの心の師・梅田佳声さんが上野の下町風俗資料館で「爪文字」をやったことがあるという話を聞いて、いつかボクも国策紙芝居を舞台にかけたい、と思ったのである。

 だから、以前このコラムでも何度か触れた「肥料の施し方」は、完全版ではなかったが落札したのだ。実際に枚数が圧倒的に足りていない(つまりストーリーが完結していない)紙芝居を上演するのはとても難しかったが、一応一度は舞台にかけることができた。でも「肥料の施し方」は農業増産紙芝居である。国策紙芝居の「国策」たるところがはっきりわかる「戦争もの」をやりたくなったボクは、ちょうど「軍神の母」がオークションに出ていたので、あまりためらわず(競り合う相手もいなかったので)入札、無事落札することができた。

 ところが、これまた枚数が足りていない。まあ、ちゃんと出品者のコメントを読んでいなかったこちらが悪いのだが、それにしても学習ということをしない男だなオレは、と先週に引き続きほとほとあきれてしまった。

 それはさておき。

「軍神の母」は昭和17年日本教育紙芝居協会の作品で、脚本・鈴木紀子、絵・野々口重の全21枚の紙芝居である。ボクが手に入れたものは、そのうちの5枚がない(特にラストがない)。これもある意味致命的ではあるが、前半はとりあえずそろっているのでやれないことはないだろう。広島の貧しい農家に生まれた青年が、海軍に入り、おそらく「軍神」と讃えられる働きをする(戦死したのだろう)。その青年を育てた母親にスポットを当てた物語である。上の学校に行きたいと願う子供のために、昼夜なく働き通す母の姿。そしてその母の期待に応える息子。印刷紙芝居の常として絵にはまるで魅力がないが、これを当時見せられた人々は(地元以外では)意外と心打たれたのではないか。そんな感想も持った。昔も今も、人は(特に日本人は?)美談に弱い。

 ただ、この紙芝居をいつ、どこでやるか。同時並行で進めている案件があって、なかなか亀のような歩みではあるが、遅くとも今年の夏までには披露したいと思っている。

 さて、久しぶりのネットラジオの話。

 予定通りにいけば明日(4月4日)から、「下北にドットコム」http://www.shimokita2.com/というインターネットラジオで10分の番組をやることになった。タイトルはこのコラムと同じ「続きは明日のお楽しみ!」である。

 すでに収録は終えていて、毎週更新される予定である。2年前にやった生放送とは違い、収録なので更新されるまではいつでも聴くことができる。ただ、時間が短いのでしゃべりたいことを整理するのに苦労した。一発勝負でお聴き苦しい点も多々あると思うが、ぜひお聴き願いたい。そうして出来ればメールなどでご意見などもどしどしいただきたい。

 最後は告知になったが、今後はこのコラムと連動するように出来ればよいなあ、と漠然と考えている。

 では、続きは明日のお楽しみ!

2006年03月28日

第八十一回「浮いたり沈んだり」

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 先週はホームグラウンドであるラーメン博物館での紙芝居や、下北沢のこれまたよくやらせてもらっているバーでのライブ、そして戦時中の印刷紙芝居「軍神の母」を入手したりと、紙芝居関係の出来事が個人的に多かった。

 この2回の紙芝居の上演については、もちろんお客さんがまるで違うわけで、またラーメン博物館と下北沢のバーという環境も違うから、反応は一様ではない。同じ場所でやっても、ラーメン博物館では2ステやったけれど、この2回だけでも違う。

 結果を先にいえば、下北沢でのライブは自分の中では今ひとつの出来だった。いつもならそれほどつかることもないフリーの喋りが自分でわかるほどたどたどしかったし、それほどお客さんの反応は悪くはなかったのだが、やはりステージはみずものだということを改めて思い知らされた。先日テレビであるジャズシンガーが「自分のステージに満足したことはない。満足したらそこで終わりじゃないでしょうか。私にはこれしかできないから」そんなことを喋っていて、この人のステージを見たく(聴きたく)なった。

 浮いたり沈んだりは、世の常である。いや、人の常か。

 浮き沈みということでいえば、これは紙芝居関連ではないが、自宅のPCが不調で、ついにネットにつなげなくなってしまった。で、このコラムは今ネットカフェで書いている。いつも書いている状況とはまるで違うので(ネットカフェはよく使うけれど、ほんの短い文章を掲示板に書き込んだりといった程度で、フロッピーまで持ち込んで長い文章を書くのは初めてなのだ)、ちょっと勝手が違うけれど、機械自体のグレードは自宅のPCにくれべらば格段によい(しかしWordが入ってないのだな)。そのへんのストレスはないといえばない。

 どうもしばらくはこういう調子でやっていかねばならず、こうなってみるとやけに不便を感じてしまうというのは、すっかりPCのある生活(いや、仕事も含めて)になれてしまっているのだなあ、とわがことながらちょっとあきれているのである。

 まあそれでも、浮きっぱなしでどこかへいってしまったり、沈みっぱなしで消えてしまったりしないだけ、幸せなのではないか。

 そんな風に自分を慰めている平日の昼下がりなのである。

 次回は「軍神の母」のことについて書きたいと思う。

 続きは明日のお楽しみ!

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