2007年04月25日

《54.ミンナの想い》

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劇団無現 本間なごみ

天気が悪く、寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

黄金週間を前に、私はアトリエのプロデュース公演の準備に奮闘中。
睡眠時間が短くなり、電車での移動時間が貴重な睡眠時間と化していますが、まだまだ元気です!

今回、私は制作と、デザイン関係を担当しています。

ご存じない方は「制作って何?」と思うかもしれませんね。

舞台の制作にかかわる全てのことを担当しています。
え〜っと・・・早い話が雑用です。

雑用ではなく芸術的?革新的?クリエーティブ?な域に達している制作の担当の方もたくさんいらっしゃると思いますが、私は場合は雑用の域を脱出できてません。

舞台の小道具、大道具、ご案内DMの手配、置きチラシ、折込・・・
ウチの場合は数名で分担するわけですが、私はどれもチョコチョコ咬んでいて手が回っていないのです・・・
時には以前の関係者や、休団中のメンバーに協力をお願いし、キャストや、他のスタッフの手を借りながら、何とかやっています。

協力者が増えるたび「この想いも無駄にはできないぞ」と、キモチがキリリと引き締まりますね。

舞台は役者だけのものでも、演出家、作家だけのものでも、もちろんスタッフだけのものではなく、関係者を取り巻く全てのもの、観客のためのもの。
ミンナの想いが私のパワーの源です!

GWの前半、すでにご予定がお決まりの方もいらっしゃるかとは思いますが、ご興味とお時間がございましたら、世田谷区野沢の小さなアトリエに、ぜひ足をお運びください。

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アトリエ無現プロデュース公演 vol.2『便利屋〜リターンズ』

作・製作総指揮: 木村圭作   演出: 鈴木博之
CAST: 新藤栄作  ひかる一平  乾小順  久保晴輝
会場: アトリエ無現
料金: 前売:2000円 / 当日:2500円(全席自由)

日時: 2007年4月27日(金)〜30日(月)
4/27(金) 19:30
4/28(土) 15:00 19:30
4/29(日) 15:00 19:30
4/30(月) 15:00     〜開場は開演の30分前です〜

詳細はコチラ

*受付で「本間なごみのブログを見た」と言っていただければ、前売料金の2000円で入場していただけます。

よろしくお願いします。

両方が力をあわせて良い現場、良い作品が作られる。
だからお互いがお互いを感謝してゴールを目指していけたらいいな、と思います。

この場をお借りしてお礼とエールを送ります。

いつもありがとう。これからもよろしくお願いしますね。

2007年03月28日

《53.オトコマエ》

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劇団無現 本間なごみ

すっかりご無沙汰しておりました。

気がつけば、もう3月、もうすぐ今年度が終わりますね。

春といえば出会いと別れの季節。
バイト先でも人事異動などがあって、グループのリーダーが女性になります。
女性でも能力があればきちんと評価される時代。
男女の枠というものがだんだん無くなりつつあるんですね。

男性は優しく、女性は逞しく・・・両者の差があまり感じられなくなったりもします。
私の周りにも繊細な男性、男前な女性が数多くいますよ。


演劇の世界でも、現在ではたくさんの女性スタッフの方が活躍されてますね。

演劇の裏方の世界というのは、やはり男性向きのお仕事が多いような気がします。
時間が不規則だったり、危険なもの、重量があるものを扱ったり、かなり職人気質があるガテンな世界のように感じます。


そんな過酷な現場で、男性顔負けに活躍されている女性たちはカッコイイです。
本当に男前です。(ここでいう「男前」は褒め言葉です。)

ガッツリ仕事をこなしつつも、女性特有の細やかな気配りがあり、スタッフに女性がいてよかったな、と思うこともしばしあります。


逆に、衣装やヘアメイクといった女性が中心の現場で活躍する男性もそれなりのご苦労があると思います。
そういうセクションに男性がいると、気がついたりすること、多数。
やっぱりいてくれてよかったな、と思うのです。


どんな場面でも「違った目線」というのは貴重なもの。
そして「周りと違うこと」はそれだけでご苦労なことと思います。


両方が力をあわせて良い現場、良い作品が作られる。
だからお互いがお互いを感謝してゴールを目指していけたらいいな、と思います。

この場をお借りしてお礼とエールを送ります。

いつもありがとう。これからもよろしくお願いしますね。

2007年01月24日

《52.今更ながら・・・》

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劇団無現 本間なごみ

大変ご無沙汰しておりました。
昨年末の公演も無事終了して、今はいろいろと思案中・・・の本間なごみです。

季節の挨拶も、もう「明けまして・・・」ではなく、「寒中お見舞い申し上げます」ですね。


千穐楽は12月24日のクリスマスイブでした。
そう、去年の話です。
感傷に浸る間もなく、バタバタと楽屋を片付けたクリスマスイブ。
クリスマスに届いたのは、サンタクロースからの贈り物ではなく、前日に自分で楽屋から送った荷物でした・・・
それから、あっという間に年が明け、お正月も過ぎて、成人式も過ぎ・・・早1ヶ月が経とうとしています。
今、時間の流れは私の中ではかなりゆったりペース。
1か月前の生活が忙しすぎたから余計感じるのかもしれない。
なんせ、朝、8時半に劇場に入って、出るのは連日21時過ぎ。
夜、顔も頭も全て落としてホッとしていると思ったら、もう朝になって忙しく顔を作っているんだもの。

でも、忙しかったけど、とても楽しい1ヶ月間でした。
忙しさに【心を亡くす】こともなく、ほぼ毎日笑って過ごしました。
(そりゃあ、笑えない日もありましたが)
長いようで短い、短いようで長い1ヵ月。
この公演でも、たくさん勉強させていただきました。

感じたこと、考えたことは、追々お話したいと思います。

本日はこの辺で・・・

今年もよろしくお願いいたします。

2006年11月01日

《51.大きい舞台、小さい舞台》

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劇団無現 本間なごみ

大変ご無沙汰しております、本間なごみです。
コラムの連載、50回で止まっていましたね・・・。
今日で51回、もう少し頑張りますので、温かい目で見守ってくださいませ。


さて、お休みさせていただいていた間、ひとつの舞台の稽古と本番が終わりました。

明治座11月公演「黒革の手帖」。
米倉涼子さんを座長として、ステキな役者さんと、スタッフの皆様と共に過ごした稽古を含めた2ヶ月間。
本当に幸せな時間でした。
何より続けて舞台に立つことが出来たこと、役者冥利に尽きるってものです。

ここで、邪推ではあるけれど、2つの舞台を比べてみたりする。

出演者4名、収容客数約80名のアトリエ無現と、出演者40名、収容客数約1400名の明治座。
入場料1000円のアトリエ無現と、12000円の明治座。
公演期間、公演数はアトリエ無現では3日間5公演、明治座では22日39公演。
そして集客数も・・・

もう何もかも桁が違う・・・

当然、お客様が劇場に足を運ぶスタンスも違うことでしょう。
(「明治座行くからおしゃれして行かなくっちゃ」、とか「明治座のうなぎが、金つばが・・・」みたいな楽しみは、アトリエ無現にはありません・・・)

じゃあ役者にとってどっちが大切かって言えば、私にとってはどっちも大切。
多分、観劇にいらっしゃるお客様のスタンスの違いがあっても、舞台に求める想いはそんなに変わらないんじゃないかと思う。

お客様が何故劇場に足を運ぶのか?
特定の役者のファンだとか、題材が好きだとか、人それぞれいろいろな理由があるだろうが、その根底にあるのは「舞台を楽しみたい」ということだろう。
お時間を割いていただいた限り、楽しんでいただきたい、何かしら心に刻んでいただきたい。
役者はそんな想いで毎日舞台に立っております。

でも、そんなことも忘れるぐらい楽しんでしまうんだけどね。


舞台は楽しいです。
辛いことも「ナイ」とは言わないけれど、やっぱり楽しいです。

私はこの後12月に、もう一度明治座さんにお世話になります。
きっと大変なこともあると思うけれど、やっぱりワクワクしています。
また舞台に立てるなんて、本当に幸せです。

もっともっと楽しみます。
そして、お客様にも楽しんでいただけたら・・・本当に幸せです。

2006年09月06日

《50.ゆめのあと》

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劇団無現 本間なごみ

無事、アトリエ公演が終了しました。
ご来場いただいた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

千秋楽を迎え、打ち上げは朝まで。そして次の日の午後からバラシ・・・というのがウチのアトリエ公演の毎回恒例のスケジュール。
疲れきった身体に鞭打って最後のひと踏ん張り。

そうやってバラシが終わった後の舞台は何もない。いつもの稽古場・・・
素の舞台を見ると、なんだか不思議だ。

稽古期間やら、制作作業に追われていた時間やら、そして本番中やら・・・
いろいろなことが全て夢の中の出来事だったんじゃないか?

「つわものどもがゆめのあと・・・」

平家物語の冒頭が浮かんでくる。

しかし、だ。
舞台上には何も残らなくても、その経験が役者の心と身体に刻まれる。
それが、舞台に関わった全ての人たち・・・スタッフ、関係者から、足を運んでくれたお客様にも、少しでも何かが刻まれれば良いな、と思う。
単なる思い出じゃない、記憶として。

舞台毎、勉強だが、今回は特に大きなものを見つけたようながする。
見つけたものは忘れてはいけないこと。
風化させてはいけないこと。
これから役者を続けていくのにとても大切なこと。

ひとつの夢が終わった。次もその次もステキな夢を見るために。
それが私だけの満足で終わらないように・・・

それらを胸に刻んで、これからも精進していく。

これからも応援よろしくお願いいたします。

2006年08月23日

《49.アナログからデジタルへ》

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劇団無現 本間なごみ

9月アトリエ公演、本番までの残日数は、両手の指で数えられる数となった。
アトリエはたてこみを済まし、本番ムードが近づいてきた。

たてこみ(漢字だとどういう字になるかわからないのでひらがな表記にしてます)とは舞台を作る作業。
どこの劇団さんでも大抵は小屋を借りる都合上、本番の前日や当日の昼にたてこみを行い行い、夜は本番、と、とても慌しいだろう。
自分のアトリエで公演をする時は本番の1週間以上前に済ましてしまう。
本番と同じ環境で何回も稽古が出来、なんとも贅沢な舞台つくりをしていると羨ましがられるが、人手不足、資金不足のうちの劇団では、そうもしないと舞台が作れないのだ。

さて、今日も少しだけ昔の話をしよう。

今回の公演は再演である。
もちろん演出を変えてきているところもあるが、音などはやはり昔のものを参考にする。
そこで音を求めて、久しぶりにオープンリールを引っ張り出してきた。


オープンリール、知っていますか?

簡単に言ってしまえば、カセットテープの大きいやつ。
カセットテープのようにガードするものがなく、テープはむき出し。
だからこそ、切ったり繋げたり自由に編集できる。
昔演劇の現場で音響として使われていたもの。

私がヤツに出会ったのはやはり劇団に入ってから。
8年前の初舞台の4ヶ月前、アトリエで先輩たちの公演があり、劇団稽古に来るようになって半年、そして劇団員に昇格し3ヶ月ほどだった私は音響を担当することになり、初めてヤツに出会ったのだった。

8年前も、それ以前も・・・そしてつい最近までも、ウチの劇団では音響にオープンリールを使っていた。

「自由に編集できる」と言ってはみたものの、慣れない者には自由どころか・・・
音が決まるとCDなどからテープに録音し、それを切って、白み(音が出ないテープ)をくっつける。
曲のつながりを考えて2本の芝居用の音響テープを完成させるのだが、作ったからこれで終わり、ということはありえない。

稽古を重ねていくうちに芝居が変わり、それに伴い音も変わるのだ。
「ここにもう一曲入れよう」
「2番目と3番目を入れ替えて」
「曲の途中でSE入れて、カットアウト」
「フェードアウトしていく中、こっちの曲をフェードインしてクロスさせて・・・」
・・・すみません、ちょっと専門用語っぽいの使っちゃいましたが聞き流してください。

とにかくたくさんのオーダーを受けるのだが、「そりゃあ言うのはそんなに難しいことではないでしょうけれど・・・」と思っていた。

音響の手直しは舞台の稽古の邪魔にならないよう、休憩時間や、夜、徹夜でやる。
だからといって舞台の稽古をしているときは音を入れないといかないので休むわけにもいかず。本当に真面目にやっていると、ご飯を食べる時間はないし、眠る時間もない。
衰弱していく身体に容赦なく襲ってくるオープンリール地獄。
「切ってこれをこっちにもってきて、あれを向こうのテープから持ってきてこの前に入れて・・・」
などとやっていると、頭がおかしくなってくる。ホント、何度泣かされたことか・・・

久しぶりに会った彼から、私は懐かしさと胸がぎゅうっと締め付けられるような感覚を得た。
オープンリールから流れる音は柔らかく、深みがあって厚い。これはデジタルでは恐らく出せないニュアンスなのだろう。

アナログからデジタルへ。多くのものは形を変えていくけれど、いいものは残ってもらいたいものだなぁと感じたのでした

2006年08月16日

《48.原点に返る》

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劇団無現 本間なごみ

残暑お見舞い申し上げます。
厳しい残暑、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私はアトリエ公演まで半月をきり、身辺が慌しくなってきました。
何について書こうかしらと思いを巡らせても、どうしても自分のアトリエ公演のことに繋がってしまいます。
なので、この際、思い切って自分のことをお話してしまうことにします。
少しお付き合いくださいませ。


実は、今回の公演は、私の役者としての《原点に返る》という、意味のある作品だと勝手に思いこんでいる。

・・・少し昔話をしよう。

私が今の劇団に入ったのは9年前。

当時、うちの劇団は【劇団エ・ネスト】という名前だった。
正式な劇団員を「正会員」と呼び、入団したばかりの「新会員」はいくつかの課題をクリアにして「正会員」になる、という制度をとっていた。
その課題をクリアするのに要する時間は早くて2〜3ヶ月、長ければ2年と、人によってまちまち。
劇団が新人の稽古に力を入れていたというラッキーな時期であったお陰もあり、私は3ヶ月で昇格した。
(ちなみに「正会員」とはアメリカのアクターズスタジオの形式を取ったという話を聞いたこともあるが、本当のところは不明である)
そしてその半年後、初めてのアトリエ公演に出演することになる。

その演目が、今回と同じ、清水邦夫先生の「楽屋」なのだ。

【若い幽霊女優】の役をいただいて本を読んだとき、なんて難しい作品なのだろう、と思った。それまでも、舞台に立った経験はあったが、こんなに長台詞が多い作品に取り組んだことはなかった。モノローグが多い【大女優】役の人はもっと大変だろうなぁと思っていた。

それから8年後に同じ作品を上演することになろうとは、その時の私は思っても見なかった・・・

しかもだ。
今度はあの「大変だろうなぁ」と思っていた【大女優】の役。
憧れてはいたが手が届かないと思っていたあの役だ。

頑張って手を伸ばしたら、役がそこまで降りてきてくれた、そんなところだろうか。

だが手に入れれば私のものだ。
大女優・・・と言われてイメージするのは、人によってまちまちだろう。
でも誰がなんと言おうと、今、ウチのアトリエで、この役は私のものだ。


・・・スミマセン・・・こんなカンジで、もう少し自分の話をさせてください。

来週もこんな話題の予定です・・・

2006年08月02日

《47.そこに棲むナニモノか》

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劇団無現 本間なごみ

夏らしく、ヒンヤリするお話を。

実は、舞台って、出るんです・・・
薄暗い閉ざされた空間、夜な夜な低くささやくような、声なき声が聞こえてくる・・・

これは9月アトリエ公演の上演作品「楽屋」の一節ですが・・・

今回、ウチのアトリエで上演させていただく清水邦夫先生の名作「楽屋」はその名のとおり、劇場の楽屋が舞台の、女優たちの物語。
この世に肉体を持たない(つまり幽霊)女優と、肉体を持つ(つまり生きている)女優たちの有象無象の物語。

幽霊ねぇ・・・と思う。
大きな劇場には出ていらっしゃるって噂も聞くし、見た事があるって人もいる。

肉体を持たない「ナニモノ」かの存在を信じようが信じまいがそれは個人の自由だけれど、「ナニモノ」は劇場にたしかに存在しているような気がする。
(ちなみに私には霊感は、ない)

怪我をしたり、命を落としたりといったマスコミで報道されるような大事故はそうは起こらないけれど、舞台というのはハプニングの連続だ。
照明がつかない、音響が流れない、といった電気系統のものから、奈落に落ちたり、躓いたり忘れ物したり・・・

ん? これって本当にナニモノかの所為??
たしかに急なハプニングが起こることもあるけれど、多くの場合は人の気の配り方で防げるのではないか。

・・・と、事故は自己責任だよ、なんて締めくくりでコラムを終えるつもりはない。

私が言いたいのはナニモノは、もしかしたら人の心に棲みつくのではないか、ということ。

信じられないミスを犯したり、あんなに稽古した芝居の段取りや台詞を忘れたり・・・舞台で人は何をやらかすかわかったものではない。
それはほんの一瞬の心の隙にナニモノかが入り込んだ瞬間ではないかと思うのだ。

実際舞台の袖や裏は薄暗くて、そこに心の隙に入り込もうとしているナニモノかがいてもなんら不思議はない。

さあ、夏です。
肝試しがてら(?)劇場、アトリエに遊びに来ませんか?

ちょっと先ですが、ウチの舞台でも役者というバケモノが観られますよ。

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劇団無現アトリエ公演vo1.5
「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき」

@アトリエ無現

2006年9月1日(金)〜3日(日) 全5回
14:30(土日のみ)、19:30 ・・・開場は開演の30分前です

作:清水邦夫  演出:鈴木博之  製作総指揮:新藤栄作

詳しくはコチラ

2006年07月19日

《46.大きく育て》

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劇団無現 本間なごみ

まだまだ雨が続き、梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。
9月公演に向けて、少しずつだけど稽古が始まって、私の心の中に小さな炎を起こし、ゆっくりと燃やしている。

役者として、そしてスタッフとしてもやらないといけないことがちょっとずつ見えてくる。

役者として成長すること。
それは人間の子供が育っていくことと似ているなと思う。

食べる、寝る、運動する。成長期の子供には欠かせない要素。

役者は人や社会を観察したり、具体的な演技の知識やノウハウを見聞きしたりでいろいろなものを吸収する。そして自分の中で練って寝かせて、その後身体を動かして表現する。

しっかり食べて、しっかり寝て、身体で還元して、大きく大きく育っていく。
つもり・・・

実際は時間がなくなって無理矢理詰め込むといった手洗い真似をすることもあるし、練って寝かせている時間もなかったりする。
だから普段からちょっとずつ栄養を摂っておく必要があるのだ。
普段の稽古と公演に向けた稽古。その繰り返しで演技は大物になっていく。

私の演技、少しは成長しているのかしら?
疑問に思っても、ある日ふと気がつくと大きくなって視界が開けているということに気がついたりもする。

今回の舞台で私の演技をどれだけ育てることが出来るだろうか?
どれだけ視界が開けて良い世界を見られるか。

この夏の成果は如何に?

2006年07月05日

《45.アプローチ》

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劇団無現 本間なごみ

アトリエ公演まで2ヵ月をきった。
あいかわらず制作関係の仕事をこなしつつ、公演のための稽古にも少しずつ時間を裂いて頂いている。

台本の読み合わせ。
いつかやりたいと思っていたアノ役の、いつか喋りたいと思っていたアノ台詞を喋る。

ところが・・・
どうもキモチが悪いのだ。このキモチ悪さは何だろうか?

まず気がついたが、身体と言葉がまだバラバラということ。
私の身体が本に書かれている台詞を喋る状態まで、高ぶっていない。
バラバラの身体と言葉を抱えても役者のハシクレはそれらしく聞かせよう、見せようと頑張ってしまう。
だが、バラバラの身体と言葉は、見るが見ればすぐにわかってしまい、また自己嫌悪に陥ってしまうのだ。

台本があるということは、ある意味、規制されているということ。
どんな人物が登場し、どんなことを考え、どんな行動をおこして、どんな台詞を喋るのか。
そしてそれによってどんなことが起こるのか。
全ては台本に書かれている。

台本という地図を頼りに道を探して歩いてゴールを目指す。
今までも何度も台本を読んでいたけど・・・
少しアプローチを変えてみたほうがいいのではないかと感じている。

それに気がついたというだけでも大きな収穫だな。

2006年06月28日

《44.成長のチャンス》

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劇団無現 本間なごみ

9月に劇団のアトリエ公演が決まり、私も出演することになった。

制作を専門にやってくれる方がいないウチのような小さい劇団は、役者もスタッフを勤める。それはどこの劇団さんもたいして変わらないだろう。

本格的な稽古はまだ始まっていないが、制作は動き出している。
今回は大規模な公演でないので、制作も簡素化されているが、それでも思った以上にやることが多い。
PC使いの私はいつも以上にPCに向かう時間が多くなり、家族からは苦情が出ている。
他の皆も分担を決めてそれぞれが仕事をこなしている。

大変なこともたくさんあるけれど、こういうときが成長するチャンスだ。


劇団で舞台を作るということが、芝居が上手くなる一番のチャンスだと思うのだ。

外で芝居をするということ、大きな舞台に立つということももちろん良い経験。
たくさんの役者さん、スタッフさんに会って、たくさんのものを吸収することができる。
反面、たくさんの人がいるということで焦点が分散される。

一定期間でどれだけ良いものを作れるかに集中し、期間が過ぎればサヨウナラ。
変な言い方をすれば芝居も、人間関係も、そのときを凌げればそれで良い。
良い芝居をして良い人間関係を築ければ次も縁があるかもしれないが、上手く行かなければ次がないということ。
それだけシビアな世界ということだ。

劇団ではそうではない。今が良くなくても、次も、その次もある。
芝居が良くなることと同じぐらい、役者が成長すること、より深い絆を築いていくことが大切。
それが劇団の財産になる、とボスが言う。

キャパ60〜80人程度の小さなアトリエだけど、私たちには大切なアトリエ。
ここが私たちの原点。
私たちはこれから先もここで、贅沢な芝居作りをしていく。

そして今が私の成長のチャンス。
いただいた役は今までやったことにないキャラクター。今回は稽古場の隅で、何回泣くことになるのだろう。

一皮も二皮も剥いて、いい役者になろうと思う。

皆様、良かったらアトリエまで足を運んでください。
小さな小屋で役者たちの生き様を見てください。

公演詳細の正式発表はまもなく・・・

2006年06月14日

《43.音の効果》

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劇団無現 本間なごみ

先日、ワークショップに参加した。
ウチの稽古ではあまりやらない音楽を使った課題がたくさんあって新鮮さを感じた。

音楽や音が、演劇にどんな影響を与えるのだろうかと考える。

音楽といえば思い出すのが踊り。

私は踊るのが好きで、日舞の外にもタップダンスやヒップホップなどにも手を出したりしている。
最初は先生に振りをつけてもらい、カウントだけで練習する。
実際の音楽だと早いのでゆっくりとカウントを数えながら。
しかし、ただ数えながら練習をしていても、ちっとも振りが入ってこない。
そういう時は歌ってみるのだ。
「ツンタタタタタ」だの「ウンタカタタンタ」だの、自分の身体に合う音を探して、ブツブツ呟きながら身体を動かしてみる。
それから音楽に合わせてみて・・・
振りと、自己流の歌と、音楽が嵌って、初めて気持ちよく身体を動かせる。
私の場合、カウントだけでは踊れなくても、音が入るととても楽しそうに踊っているように見えるらしい。
気分は見ているほうにも伝わるんだなぁと思う。
まあ上手下手はおいといて・・・

演劇とダンスは違うけれど、音が身体に与える影響はとても大きいと思うのだ。

音に神経を研ぎ澄ます。じっと、耳ではなく身体で聞く。
すると《気分》が生まれてくる。
《感情》とまで呼べないほどの微妙な内面の揺らぎ。
「なんとなく寂しい」とか「なんとなく怖い」とか「なんとなくウキウキする」とか。
漠然としているけどたしかに生まれてくる《気分》。
《気分》を大切にして音の世界に身をゆだねてみる。
そこから表現が生まれることがある。
《匂い》が内面から変えてくれるとしたら、《音》は外側から私を染めてくれるといった感じだろうか。

実際の舞台でも、立ち稽古に音が入ってくるだけで、役者の気分はずいぶん違ってくる。
(もちろん照明も大きな変化をもたらすけれど、大抵は照明がつくほうが遅め。一つ目の大きな変化は音響だ。)

音の出だしが好調でも曲の変化が大きくて、別の気分が生まれてきてしまうといったときもある。
いい音が入るとセリフを喋るのが心地よくなってくる。
舞台で音楽が入るのは観客のためでもあるけれど、それ以上に役者のためになっているのだ。

気持良くなりすぎてセリフを歌ってしまわないように注意しなければならないのだけど。

2006年05月31日

《42.中心軸》

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劇団無現 本間なごみ

劇団に入ってもう何年も経つけれど、趣味嗜好で変わったことの一つに《格闘技を見るようになった》というのがある。

いや、今でもひとりで見ることはないけれど、稽古場のTVで観戦すると元キックボクサーの解説付き。(ウチのボスは役者になる前、キックボクサーとして試合に出場していたのだ)

相変わらず何がなんだかわからないけれど、最近では試合前の構えやフットワークを見て「この人強そうだな」などと勝手に予想を立てるようになった。

「強そうだ」と思うのは、軸がブレていない選手。しっかりと立って、相手の攻撃にも中心軸を崩すことがない。腰が据わっているけどフットワークが軽い。そんな選手。
これはどんなジャンルのスポーツ選手にもいえると思う。
中心がしっかりと揺ぎ無い人は見ていて安心できる。
今までのトレーニングで培われた体格や自信。そういったものも大きな支えになっているのだろうと思う。

役者はどうだろう。
軸がしっかりしていて、腰が据わっているけどフットワークが軽い人。
やはり見ていて安心できる。
そしてこれが出来ていない人はなんというか、頼りない印象を受けてしまう。

役者はアスリートでもモデルでもない。皆がガッチリ筋肉質だったり、スラリとした長身だったりする必要はない。
体脂肪が10%代でないといけないとか、身長何センチ以上が良いとか体重が何キロ以上はダメとか、そういうものはない。いろいろな体型の人がいても良いと思う。
それがその人なりの個性であり、いろいろなキャラクターの人がいて物語が成立する。

ただ、どんな体型でも、しっかりとした軸を持って自分の身体をコントロールできる人が、いい役者の条件のひとつのような気がする。

格闘技やスポーツ見て、研究しなきゃ!!

2006年05月17日

《41.何を信じるか》

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劇団無現 本間なごみ

ワールドカップの日本代表が発表になりましたね。
あの選手が外れた、この選手が入った、と悲喜こもごもあるようだけど、全くの素人の私にはよくわかりません。
「そうか、この選手は代表入り有力だったんだ・・・」とぼんやりとワイドショーを見ている。いろいろなことを言う人がいるけれど、全ては監督の決めたことだ。

作品を作っていて感じることは、皆がそれぞれの意見を持っているということ。
その誰もが「自分が最高だと思うもの」を作るために、自分が良いと思うものを提示していく。でも良いと思うもの、好きなものは人それぞれ違う。
劇団や気心知れた座組ではその思想の方向は同じ方向を向いていることが多いけれど、そのとき集まったメンバーによってその誤差が生じる。

経験が少ない役者は役者の先輩やベテランスタッフ、プロデューサー、とたくさんの人たちからご教授いただく。
それはとてもありがたいものだとは思うのだけど、たまに困ったことが・・・

皆が言うことが少しずつ違っているのだ。

たくさんの意見はありがたい。だけどあまりにたくさんの意見に、何を信じて良いかわからなくなる。

そんな時、当然立ち返るべきは最高責任者の意見だ。
演劇では演出家、映画では監督という最高責任者がいてそれに従うのがルール。
たくさんの意見はありがたく頂戴しつつも、それは「そんな見方もあるのか」と留めて、やっぱり最後は最高責任者の意見に従えばいいのだ。

役者は信じる。
自分を、相手役を、そして演出家や監督を信じる。
選手もきっと監督を信じている。
ファンも監督を、選手を信じないといけない。

ともあれ、ガンバレ日本代表!
サッカーが良くわからない私もTVの前で応援しています!

2006年05月10日

《40.感情表現》

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劇団無現 本間なごみ

ここ数年くらいだろうか。「キレる」という言葉をよく耳にするようになったのは。
キレて暴力を振るったり、人を殺したり。犯罪に発展するケースも少なくない。

ところで「キレる」ってどういうことなのだろう?
辞書によると

    キレる【きれる】 〔動詞「切れる」から〕
    突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語。


だそうだ。

じゃあ、どうして「キレる」のか。
爆発する前に、抱えている感情を小出しにできないからではないか。

人間は様々な感情を持っている。誰だって笑うし、怒るし、泣く。
何気ない一日の中にも様々な感情が流れているのに、大人になると感情を表に出すまいとする。特に怒る、泣くなどのマイナス感情は押さえ込もうとする。
押さえ込んだ感情が消えてしまえば何の問題もないけれど、マイナス感情に限って蓄積されていく。いっぱいになったものが爆発するのは時間の問題・・・
本当は怒りを怒りとして表現させるのが一番良いのだと思うけど、意外とこれが難しい。
それを出来ない大人は、愚痴を言ったり、お酒を飲んだり、騒いだりしてそれを発散させていく。

感情を持てば、その感情を表現するのは難しいことではないと思っていたが、感情を持つことと、それを表現することは、どうも別のことのようだ。

そういえば、ウチの稽古場では笑う稽古をするのだけれど。
声を出して「ワハハハ」と大声で笑うというのは、やってみると意外と難しく、最初は出来ない人もいる。

大人になると、泣いたり、怒ったりするだけでなく、笑うことも抑えてしまうのだろうな。

2006年04月26日

《39.歩く速度で》

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劇団無現 本間なごみ

朝晩は冷え込むこともあるけれど、ずいぶんと風が心地良い季節になってきた。
桜が散った頃から梅雨入り前のこの季節、歩くのにはちょうど良い季節だ。

私は歩くのが好きだ。
時間があると、どこへでも歩いていく。ちょっと時間があるときは、一駅手前で降りて歩く。電車の乗継が面倒そうなときも歩く。
休日で予定がないときは、デジカメと小銭など必要最低限のものを持って歩く。

のんびりと散歩するのは、楽しい。
目で見るもの、耳で聞くもの、鼻で嗅ぐもの、肌で感じるもの。身体がいろいろなものに刺激される。

歩いていると、電車や車に乗っているときには気がつかないようなものに、気がつく。
自分の足で近づいて、自分の目で確かめて、自分の感覚で捕らえる。
すべて自分のペースで、等身大で出来る。実際に等身大で感じたものは鮮明な記憶として残る。

芝居や役、そして相手役へのアプローチも、ゆっくりと、歩くようなペースが良い。
うまくいくとあちらから近づいてきてくれることもある。

しかしいつも稽古に沢山の時間を費やせるわけではない。
限られた時間の中での自分のペースを見つけることが大切。
ちょっと早足になったり、たまには立ち止まってみたり、周りの速度に合わせたりしながらも自分を見失わない。急ぐと焦るは違うのだ。

とはいえ、散歩は時間のあるときにすれば良い。誰の気兼ねなく、どこまでも自分のペース。
それが私の散歩好きの理由かもしれない。

もうすぐゴールデンウィーク。
ちょっと時間が出来たら、自転車や車、電車で行くいつもの道を歩いてみてはいかがでしょうか?
いつもは見慣れた風景でも進む速さが違うと違う世界に見えるはず。
きっと新しい発見があると思いますよ。

2006年04月19日

《38.成分解析》

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劇団無現 本間なごみ

最近の流行りもの(流行っているのは私の周りだけかも?)「成分解析」をご存知でしょうか?
名前を入力して「解析する」のボタンをポチっと押すと、その成分が解析される。
文字列であればなんでもいいので、自分の名前から友達の名前、言葉を片端から入れて遊んでいる。

本間なごみの74%は見栄で出来ています
本間なごみの9%は果物で出来ています
本間なごみの6%は言葉で出来ています
本間なごみの6%は心の壁で出来ています
本間なごみの5%は成功の鍵で出来ています


私の主成分は見栄だそう。予想以上に見栄っ張りだったようだ。
果物は大好きで、毎日ほぼ食べているので、本当に9%、4キログラム強は果物かもしれない。
言葉、心の壁、そして成功の鍵・・・そういったもので私は出来ている、らしい。

まあこんなお遊びはさておき・・・

人間の成分。
物理的に言えば、肉と骨と体液と、そのほかにも沢山の細胞、体組織。大きな疾患がない限り、成分自体はそんなに変わらない筈だ。

感情や感覚はどうか?
喜怒哀楽だけではない、さまざまな感情。

そして世の中にたくさんの人間はいるけれど、成分的には皆そんなに大きく違わないということに気がつく。

老若男女問わず、生身の人間である限り身体があってさまざまな感情がある。違うのは細かい成分の比率。
スリムな人は太目の人より脂肪成分の比率が低いだけだし、筋肉質な人は筋肉成分が多い、骨粗しょう症の人は骨成分が少ないと言うだけの話。

そして体成分よりも心成分の方がその比率の変化は激しい。
気難しい人は怒りの成分が多めかもしれないけれど、楽しい笑顔を見せることもある。
いつも明るい人だって泣くことはあるだろう。
それが人間ってものなのかな、と。

子供の頃読んだ絵本を思い出す。
クマの子供が、自分は何で出来ているのだろうと自問する。
大好きな蜂蜜なのか、おしっこなのか、いろいろ悩んだ挙句に「僕は僕で出来ている」と気がつく。

そう、「私は私で出来ている」のだ。


見栄張って、果物食べて、言葉と心の壁にとらわれながら、わずかな成功の鍵にかけている・・・それだけでない私。

私の中の、たとえ1%、いや1%未満で表示不可能な成分も私。

人間は成分というレベルでは解析しきれない。だから人間は面白くていとおしいだろう。

私は比率の大きい成分よりも、むしろ小さい成分=可能性を大切にしたいと思う。

ついでに小さな成分を培養して、演技に生かしていけたらいいな・・・

2006年04月12日

《37.不器用は損?》

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劇団無現 本間なごみ

新年度を迎えて1週間と少し経った。
パリッとした真新しいスーツ姿の新社会人、制服姿が初々しい学生たち、そうでなくても学生は進級して新しいクラスに、会社では組織変更・・・と新しい生活を始めた方も多いのではないかと思う。

同時に新しいことを始める時に、良くも悪くも影響するのが「同期」の存在だろうと思う。
当然ながら人間には得意不得意があり、同じことを習っても難なくクリアする人もいれば、なかなか壁が越えられない人もいる。
おおまかに括ってしまえば「器用な人」と「不器用な人」に分けられる。

私はどちらかと言うと「不器用な人」だ、と自分で思っている。

人と比べて、特別に頭が切れるわけでも、運動神経が優れているわけでも、直感が優れているわけでもない私は、試行錯誤で歩んできた。
落ちこぼれ、とまではいかないけれど「器用な人」に比べれば何かと遅く、その度に自分なりに手を焼いてきた。

でも「不器用な人」が損をしているか、というと、実はそうでもないと思っている。

「不器用な人」は探る。
自分の身体や心を探って、何故できないのか、どうやったらできるようになるのかを考える。
探ることで、ひとつひとつを身に付けていく。
そうやって苦労して身に付けたものは簡単には忘れないのだ。

器用な人が5回でできたことを50回やれば良いだけのこと。
50回もやると、ただできるようになるだけではなくなる。
「なんとなくできる」ではなくて「コレがこうなってアアなるからできる」っていう理屈や道理まで掴める。
それを掴んじゃえばこっちのもの。

そして大切な「不器用に付き合ってくれる人たち」の存在。
頑張るのは本人、しかしそれに根気強く付き合ってくれる人たちには、相当感謝しなければならない。
師と仰いだ人、相方となってくれた人、仲間・・・皆辛抱強く一緒に取り組んでくれた。
そんな人たちのお陰で、今の私があるのだなぁと思っている。

不器用って、きっとそんなに損じゃないですよ。
たぶん。

2006年04月05日

《36.四月馬鹿》

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劇団無現 本間なごみ

4月1日はエイプリルフール。
皆さんはどんなウソをつきましたか?
私はどんなウソをつこうかあれこれ考えていたのに、当日はお花見で夜桜とお酒にうかれてウソをつくのを忘れました。

・・・いや、エイプリルフールは「ウソをつく日」ではなく「ウソをついてよい日」だったような気がする。
ということは無理してウソをつく必要はないのだけれど、これを機会にウソってものについて考えてみよう。

まず方向性だが、私は皆がハッピーになれるウソを目指したい。
クスリと笑って、一瞬でもその場の空気が緩めばそれで成功なんじゃないか。
だとすると、冗談にならない、笑えないウソはいけない。
イソップ童話の羊飼いの少年が「狼が来たぞ!」と叫んでも冗談にならない、笑えない。
が、敢えて私が日本の東京の街の真ん中で「狼が来たぞ!」と叫んだとしてもそれは冗談としては受け止めてもらえるだろう。
面白いか否かは別として・・・

もうちょっと真実味があるものを。
友がつかれたウソ。
「赤ちゃんができちゃった」
これは微妙。既婚者なら「おめでとう!」となるけれど、ひとり身の私がこんなウソをついたりしたら・・・

それからこれも友人の案。
「実は双子なんだ」
初対面ならまだしも、親しい人たちはまず信じてくれないだろう。
若干の演技力も要するだろう。

こう考えると、《ウソをついて幸せに騙す》というのはなんと難しいことなのだろう。

演劇というのも、ある意味《ウソをついて幸せに騙す》ことのひとつの形なのかもしれない。観客は幸せに騙されたいと思って劇場に足を運ぶのか。

お客様は騙されに来ているからと言って、《幸せに騙す》というのは大変だ。
物語はウソでも、そこで生きる役の人物は真実でないとお客様は納得しない。
役の人物が本当に生きないと、幸せに騙されてくれないだろう。

役者が騙しているのは自分自身なんだな、とも思う。

・・・と、この話は機会があればまた改めて書こうと思う。

次のエイプリルフールまであと362日。
どんな楽しいウソをつこうか、あれこれ想いを巡らせているがなかなか難しいものだ。

なにか良いウソ、思いついたら私に教えてください。

2006年03月29日

《35.20%増量中》

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劇団無現 本間なごみ

お菓子を買ったら、パッケージに「今だけ20%増量中」と書いてあった。
20%増量・・・普段の120%も楽しめるなんて!
いつもより多い、ということはなんと嬉しく、魅力的なことなのだろう!

・・・とちょっと喜びすぎましたが・・・
何もお菓子増量の喜びを皆さんに伝えたかったわけではないのです。

20%増量させたいもの、それはお菓子ではなく(お菓子もだけど、それよりも)イメージ。

イメージを20%増量させてみる。
悲劇のヒロインであれば「悲劇20%増量」、お人よしの役ならば「愛情20%増量」、男を手篭めにする悪女役であれば「勘違い20%増量」といった具合に。

イメージというのは面白いもので、ほんの少しイメージを膨らませるだけで、芝居がすごく良くなるということがある。
普通に表現すると小さくまとまってしまうところ、20%増量のイメージだけで人物、役者の個性が際立ったりするから不思議だ。

そんな20%なんてケチ臭いこと言っていないで50%とか80%にすればいいじゃないか、と思うかもしれないが・・・
いや、20%。ちょっと頑張った、みたいなくらいがちょうど良いような。
その数値は人によっては違うだろうけど、でもこれが50%以上となると、どうも実像からずいぶん離れて、大袈裟で嘘っぽくなってしまうような気がするのだ。
実像から離れないで大きく見せるのにちょうど良いところ、それが20%程度かと。

自分のオーラというのがあったら、それを20%増量させたつもりで振舞ってみる。
ちょっぴり大きな人間だと思って振舞ってみると、本当に大きくみせることができるものだ。

とはいっても身長を20%アップで187センチに・・・は見えませんね・・・
20%とは言わないけれど、身長は増量させて体重は減量させたいなと、いつもいつも思っています・・・

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