2007年06月12日

第百四十四回「矢印はいろんな方向に向いていた方がよい」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 一応東京のはずれに住んでいるので、都内へはよく出かけるのだが、今まで新宿へは何度も行ったことはあっても新宿のゴールデン街へは一度も行ったことがなかった。知り合いが手伝っているお店もあって、いつかは……と考えていた。しかし、外で飲むこともすっかり億劫になってしまった。去年いった唐組のテント芝居はゴールデン街に隣接する花園神社だったわけだが、そこから足を伸ばすことはなかった。

 ただ、田舎のサブカル小僧としては「ゴールデン街」という響きには特別な感慨を抱いているのは確かである。作家や役者やその他有象無象の輩が夜毎飲みながら激論を交わす、そんな魑魅魍魎の聖地が、ボクのイメージするゴールデン街だった。

 そのゴールデン街に、先日初めて足を踏み入れた。

 まさに踏み入れた、という感じである。ゴールデン街にあるバー「流民」というお店で、「紙芝居を肴に飲む日」というイベントがあったのだ。残念ながら、仕事の関係で到着がギリギリになってしまい、ゆっくりあたりを散策(調査?)する余裕もなくお店に直行してしまったのだが。

「紙芝居を肴に飲む日」というのは、マツイ亭ゴジラさんという落語紙芝居を上演されている方の企画で、月に一度、落語紙芝居を3席ほどやるというイベントである。今月から正式に月いちでやることになったらしい。

 お店は、カウンターのみで約10席くらいだろうか、そのカウンターの奥に台を置いて、紙芝居の木枠をセッティングして、上演するのだった。マツイ亭ゴジラさんはカウンター内でお客さんのお酒を作りながら、時間になると出てきて紙芝居をやる。

 演目は「猫の皿」「千両みかん」「芝浜」の3席。

 絵の大きさはA4で、着色はされていない。絵柄は滝田ゆうという漫画家さんの絵を真似ているそうで、これが江戸時代の話によく合う。裏書はかなり忠実に落語を再現した文章が書いてあって、基本的にそれを読みながら、という形である。

 ゆったりとしたテンポで語られる落語紙芝居は、想像していたものとちょっと違った。もっと街頭紙芝居寄りなのかな、と思っていたのだが、これはかなり落語寄りの芸能だと思った。ゴジラさんによると、対象にする客層も「大人の、落語なんかが好きで寄席に行ったりする人」を想定しているらしい。

 テンポ的なことをいうと、「エシバイ」のエモリさんに似ているが、方向性はかなり違う。それはボクが理想とする紙芝居とも違う。だから逆に、とても刺激を受けたし、面白いと思った。

 もちろん、紙芝居といいながら絵に着色されていないのはちょっと残念だったし、長い噺だとダレ場がどうしても出てきてしまうといったところなど、気付いた点はあるが、同じく落語を元にした紙芝居をやっている者としては、非常に参考になるところも多々あった。

 そうして、なんと終演後にゴジラさんとお話をしていて、「紙芝居を肴に飲む日」に参加することになった。そのためには、今ある「後生うなぎ」以外に、最低2本は新作落語紙芝居を作らねばならず、気軽に引き受けたものの、ちょっとだけ後悔しているところである(上演すること自体を後悔している、というより、新作を期限内に作らねばならない、ということに、である)。まあ、一応候補のネタは4つくらい目星をつけたのがあるので、これから構成を考えようと思っているのだが。

「紙芝居を肴に飲む」ことは別として、ゴールデン街という場所にはまた行ってみたいと思っているところである。

マツイ亭ゴジラさんのブログ
「逆襲亭ゴジラ発信「おとなのためのゴジラ的落語紙芝居研究」のココロ」
http://blog.goo.ne.jp/matuiteigojira/

続きは明日のお楽しみ!

2007年06月11日

第114回『地方と東京』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 この半月で、稽古の合間を縫ってたくさんのヒトと話をした。今後も何件か予定がある。
 
 いろいろと話をする中で、“地方”について結構誤解しているヒトが多いコトに気付いた。中でも最も大きな誤解は、「“地方“の方が、芝居がやりやすい」と考えているコトで、最近訂正するのがめんどくさくなってきた。
そんなわけがない。米国人の子供が、いまだ日本人は袴とちょんまげで過ごしていると考えるくらい、大きな誤解だ。

確かに“やりやすさ”が、何における“やりやすさ”であるかにもよる。舞台装置を製作・保管しやすいだとか材木が比較的手に入りやすいだとか、そういう便利さは“地方”の方が有利かもしれない。しかし大体のヒトが金を出してちゃんと倉庫を借りている。
 
やはり文化は“東京“にある。芝居をやるヒトが多い分、目立たない、という問題はあるだろう。しかし、劇場や稽古場の利用料金はさほど”地方“と変わらないし、むしろいろんなキャパの劇場があって羨ましいくらいだ。

文化を消費してくれる人口も“東京”は半端じゃない。チャンスもそこらじゅうに転がっている。ちょっとしたエキストラっぽい仕事ならすぐにありつけるだろう。そしてちょっと自分を勘違いしてしまうヒトもいるかもしれない。

逆に“地方”は絶対的に文化的需要が少ないうえに、センスが立ち遅れている部分もある。“東京”ほど価値観も多様ではないから、あまり前衛的なものをやると理解してもらえない。だからといって消費者に迎合するのも創造する側としてはちょっと違うだろ、と思う。

劇団数が“地方”は少なく目立つとしても、観よう!と思う人間が少なければやっぱり集まらない。そして金にならない。

“地方”は仲間を募るのもひと苦労だ。芝居なんか観たこともない、というヒトがほとんどで、やる機会も観る機会も“東京”にくらべ格段に低いのである。芝居をやってるなんて、ちょっとした変わり者なのだ。

「“東京“から”地方“へ芝居をやりに行ったら、”東京“から来た!というコトで客が集まるのでは」と話しているヒトもチラホラいて、時代錯誤もいいところだなんて思った次第だ。そんなイナカッペはもう存在しない。せめてネームバリューがないと、”地方“でもお客は高いお金を払ってまで観には来てくれない。

“地方”も“東京”もやっているコトに左程かわりはない場合も多く、それぞれにやりやすさ・やりにくさというのはある。ただ、ほんの一握りの物凄いレベルの人々が、確かにいるのは“東京“だ。そういうヒトは下手をすると、”東京“ではなく”世界”にだってお出かけしているくらいだろう。

“地方”だからレベルが低い、“東京”だから高い、というのでもない。確かに六大学は“東京“にあるけれど、”東京“に暮らすヒト全員がインテリなわけではない。

ともあれ新しいものはたいがい“東京”にある。一度はこのやたらめったらヒトがひしめき合っている土地を見てみるのはお薦めだ。

2007年06月05日

第百四十三回「蛇蝎姫と慙愧丸」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

 このコラムがアップされるときには、新宿ゴールデン街での紙芝居をすでに見ていると思うが、その話については次回書きたいと思う。

 今回は、平成のこの時代に新しく生まれた肉筆紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」の上演イベントについて。

 杜の都、仙台を舞台に「猫三味線」上演会など、街頭紙芝居を再生・再評価する精力的な活動をおこなっている「みちのく芸能大学」主宰のすずき佳子さんを中心とした「慙愧丸プロジェクト」による21世紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」は、原作・脚本をアニメ「ぼのぼの」の監督でもあるクマガイコウキさんが、画を三邑会の作品でも御馴染みの(雑誌「大阪人」の紙芝居特集にもインタビューが掲載されていた)佐渡正士良さんが担当している。佐渡さんは街頭紙芝居全盛期を支えていた、今年で96歳になる現役最後の紙芝居画家だ。

 慙愧丸プロジェクトの公式ホームページを見ると、予告編も見ることができる。

 語りを担当するのは講談師・神田陽司さん。古典のほかにも意欲的な新作も上演している方であり、実は以前舞台の仕事でご一緒したことがある(そのときのボクは一裏方だったので、親しくお話させていただいた、というわけではないが)。

 この「蛇蝎姫と慙愧丸」がなんと7月に浅草・木馬亭で上演されるのだ。それも、「蛇蝎姫と慙愧丸」だけではない、「声をなくした紙芝居屋」こと森下正雄さんの「黄金バット」の口演や、紙芝居の先行芸でもある「のぞきからくり」「写し絵」の上演もあるというではないか!

 街頭紙芝居の裔を勝手に名乗る身として、これを見ずして紙芝居屋を名乗ることはできないだろう。大げさなようだが、そういう気持ちで早速チケットを予約したところである。

 ただ、作品としての街頭紙芝居を復活させるべく製作された「蛇蝎姫と慙愧丸」であるが、一点「講談師の方による上演」ということに引っかかる部分がないではない。浅草の公演では、音楽や照明などかつての街頭ではできなかったことも存分に出来るのだろうが、ぜひいつかはこういう作品を「街頭」で「街頭紙芝居屋」による上演をおこなってほしいものである。

 とにかく、ここのところ紙芝居関係で目が離せないニュースが多い。大阪で元ホームレスのグループが紙芝居をやっていて、今度イギリスで上演する、という話をネットで知った。これについてはまた後日、詳細をこのコラムで紹介できれば、と思う。

 「蛇蝎姫と慙愧丸」公式ホームページ
 http://www.officekoki.com/zankimaru/zanki_index.html

 続きは明日のお楽しみ!

2007年06月04日

第113回『笑いどころ』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 寄席を聴きに行った。木戸銭2,000円程度で、4時間近く聴ける。

 ワタシが訪れたところは90席あるかないかの、ホントウに小さな演芸場で、さぞかしお客さんとの一体感が味わえることだろうと考えていたが、やはり芸というのはそんなに甘くはないようだ。

 狭いのだから有利なはずが、噺家によって笑いの大きさもマチマチ、笑いの多い噺家でも笑う客は決まっていて、正直クチが緩んでるんじゃないか、と思うくらい笑う。これはこれでおかしいが、笑わないヒト、酷いと寝ているヒトがいて、一丁前に(失礼)噺家がイヤミをいったりする。これもどうだろうか。
 
 お客もハナから寝に来たわけではないだろう。ジブンに興味を集中させ笑わせるコトのできなかった噺家が悪い。

 あの場が寒々しいのには、ちゃあんと理由がある。まず噺家の、話す方向が悪いのだ。寝ているヒトや仏頂面の客をみて話すのが辛いから、クチが緩んでゲラゲラやっているヒト達の方ばかりみてやっている。

 日常に置き換えて考えたトキ、自分のほうに話してくれていないと感じたら、興味が薄れていきはしないだろうか。はっきりいって、雑談を始めてしまわなかっただけ有難いと思ったほうがいい。

 まだある。ウケテいる噺家とそうでない噺家の間には、当然テクニックの差がある。しかし何よりマズイのは、ハナシの“笑いどころ”を本人が理解できていないコトだ。これが世に出ている噺家さんたちとの間の、決定的な違いではないだろうか。

 芝居の脚本においても、読解力のないヒトは演技が平べったくなってしまう。“笑いどころ”を把握するために、よくよくテキストを読み込むことだ。もしくは、ズバ抜けてテクニックがあるかのどちらかでないと、ヒトを笑わすのはムツカシイ。

ただし“テクニックがある“というコトは、どんな風にいったりやったりすると面白いのかをよく理解できている、というコトで、だからこそ例えば「もんじゃ焼き、そしてあんまき」なんていうまったく意味のないコトバでも、タニンを笑わせることができるのである。

どうせなら、聴きに来るお客さんみんなを笑わせるつもりでがんばってほしいものだ。

2007年05月29日

第百四十二回「バージョン2.0?」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

三代目紙芝居舞台の話をまた。

八王子の野外イベントで、初めて自転車に新しく作った紙芝居舞台を載せてみたのだ。下北沢のライブでやったときの反省から、少しは木枠の自立を助けるために補助金具なんぞを(いつものように)やっつけで装着、これでボクの予想では特に問題もなく快適に紙芝居ができるはずだった。

が、モノゴトはそうそう簡単にうまくは回ってくれない。

まず、自転車での移動。確かに折り畳みテーブルや木枠や紙芝居をガラガラひきずりながらよりは快適であったわけであるが、地面の凹凸からくる衝撃を紙芝居舞台が割りとしっかり受けてしまい、自転車の荷台にもっとキチンと固定しないといけない、と反省。これは紙芝居舞台の大きさと荷台の大きさに関係してくる問題で、あと、紙芝居舞台自体の重さ(中はからっぽで、ほとんどモノは入っていなかった)も少しは必要なのだということがわかった。

あとは、木枠と下の箱をつなぐそのやり方を少し甘く考えていたので、衝撃を受けたときに木枠の重みで自立補助のためにつけた金具が曲がってしまい、ほとんど役に立たなくなった。いっそのこと完全に固定してしまおうかとも思ったのだが、金具をもう少し強いものに替えて二日目望んでみたところ、舗装された道路であれば特に問題もなかったので、とりあえずこれで行くことにした。

それから、木枠の裏側があまりにもスカスカになっているので、時々紙芝居の紙が後ろで抜けてしまいそうになった。これは裏に板をつければすぐに解決するからそれほど深刻な問題でもない。

さて、では、よかった点というと。

移動の快適さは当然として、見た目ですぐに「紙芝居屋」だとわかってもらえるのが一番ありがたかった。ただ自転車をついて歩いているだけで

「あ、紙芝居屋さんだ!」

 と、何度も声をかけられた。それも、年配の方だけでなく、家族連れ、お子様などなど、幅広い年齢層の人々に、である。

「どこでやるんですか?」

と聞かれてその場ではじめたこともあった。去年青梅のお祭りで上演する場所を探すのに苦労していたことを考えると信じられないことだが、やはりこの「自転車+紙芝居舞台」というアイテムは強力なのだ、ということを痛感したことである。

ただ、最初に触れたように、改善点は多い。これから時間を見て少しずつでも改良していきたいと思っている。

技術も、道具も、バージョンアップは永遠の課題なのである。

続きは明日のお楽しみ!

2007年05月28日

第112回『クチに出してみる』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 何かが始まるとき、というのは何かと物要りだ。

 先週、東京入りの荷造りをしていて、メディシンケースや封筒などちょっとしたモノが必要であるコトに気づき、それらを求めに百円均一屋(というと“百円均一”を販売しているように聞こえるが)へ行った。

 どうでもよいものからちょっと使うのに都合の良いモノまで沢山ある。綿棒の置いてある辺りを彷徨っていたら、ジャージを着た中学1年生くらいの少女が、2人でなにやら楽しそうに会話をしているのが聞こえてきた。
  
 「あ!バンソーコーいるかもーー!」
「そーだねー!大道具さんが怪我しちゃうかもねー!」

 おやおや?“大道具さん“??文化祭にしては早いし、体育祭だろうか。それとも演劇部だろうか…そんなコトを思いながらついついハナシに耳をそばだててしまった。

 「かなづちは?」「あ、ないない、1本で使いまわしてるよねー。」「でもいらないか。」

 なに?!ナグリ(金槌)を使いまわしだなんて!なんて効率悪いんだ!!買いなさい!!

 「鏡とか。」「あーうんうん、自分の使ってるもんねー。」

 そんなのは楽屋にないなら自分の使うんでいいのだよ!それよりナグリを買いなさい、ナグリを。

 「ガーゼはあ?」「あはは、なんに使うのー。」「大道具さんがさ。」

 使わないよっ!

 「とりあえず救急箱かおうよ」「うん。」「これカワイーねー♪」「ねえねえ消毒は?」

 君たちはどんだけ“大道具さんの怪我”の心配をしたら気が済むんだ。他に要るもの沢山あるだろうに。とりあえずナグリを買ってほしい。

 「ていうか、保健室行ったらゼンブあるんだけどね。」「だよね。」

 ……ハナシにオチがあるのは若さゆえだろうか。最後に、

 「いひひ、楽しいね♪」「そぉだね、ふひひ♪楽しい、ふふ。」

 と言いながら違う棚の方へ行ってしまった。勝手に老婆心を振り回されつつも、これからみんなで何かを始めるワクワクを、素直に「楽しいね」と言い合う彼女たちがまぶしく見えた。

 これからはじまる新しいコトへのワクワクをそっちのけに、ただ東京入りの準備に追われていたジブンに気づかされた思いがした。
 このコラムが掲載される頃には、新しい仲間たちと稽古に入っている。素直に「楽しいね」と言い合えるような関係が作れたら、まずは成功なのだろう。

 …とりあえず、大道具さんのためを思うのならば、ナグリをせめてもう1本は買っておいて欲しいと思う。

2007年05月24日

88、舞台に立つこと。

砂糖マキ
コスモル代表 砂糖マキ

たまに、「コラム見てますよ」等と言ってくださる方がいらっしゃったり。
最近は遅筆になったいたので、嬉しい反面、申し訳無い限りです。有難う御座います。
今年に入って自分の内面を表に出すことが本当に恐くって、文章を書くのもためらっておりました。多分自分ってものが、解からなくなってたのだと思います。
知識も教養も技術も経験も無い私には、「自分」の中身をさらけ出すしか武器も無く、
「自分自身」に嫌気がさしたり、生きる事に希望を持てなくなったりすると、
自分の中には「負」のパワーしか蓄積されず、自分から出てくるモノと言ったら「負」が詰まった強烈なモンばっかり。「そんなモンを人に投げかけていいのか?」
ストレス発散のパワーを当てられるほど、疲れるものは無いですよね。日常でもね。

そんな思いは舞台に立つ時もそうで。
「仕事なんだから、何があっても舞台に立たねばならぬ」
今まではそう、活動に臨んでおりました。
だけど、今になると「どんなに頑張っても、無理な事はある」と。
「やれることを最大限に努力する」のと、「出来ない事へ無理をする」のは大きな違いで。
最近の自分は、芝居する上での人間関係に対して不信感を抱きながらも、
それを打破する事を考えず、無理無理やり過ごしていた様に感じました。
これは自分で「コレは私の仕事なのだから」と、勝手にルールを作ってしまったため。
「自分が楽しむ」のはご法度だと、いつの間にか思い込んでいたように思います。
コレは自己満足性が強い舞台を作る事への恐怖で、でもどっからどこまでがどう「ジコマン」かって言ったら凄く微妙なのが芸術なのも確かで。

先日、友人の個展へ行きました。
いい年したオジサンなんだけど、「今回は天使がテーマ」と可愛らしい癒し系の絵画が、
横浜の小さな画廊に数枚並んでいました。
一緒に行った友人達と、1枚づつ彼の絵を購入してしまったのですが、
「この感覚は芝居観るのと似ているなぁ」と思いました。
その絵は彼の中の「優しさ」みたいなものに溢れていて、「んで、ついつい買っちゃったンだなぁ」と後日思うのですが芝居もそれと似てて、自分の中の何に価値をつけるかはお客様。そのために、自分の心を大事に磨いておくのが表現者。だからこそ、舞台に立つのは怖いし、自分にウソをついたり格好つけたら値打ちの無い飾り物になる。

ちょっと堅くなったけど、子供が無邪気に一生懸命楽しんで踊ったりしてたら、
見てる方も癒される。それでもいいじゃないか?と。
これまた極論なんですけどね。ははは。

2007年05月22日

第百四十一回「三代目紙芝居舞台はじめました」

yamasiro
廣島屋でキュ!廣島屋

(第百三十五回のコラムの続き)

 さて、ようやく三代目の紙芝居舞台が出来上がった。

 正確にいうと、まだ最後のツメが残っているのであるが、ほぼ9割方出来上がったといってもいいだろう。折りたたみ式のプラスチックケースにすっぽりとはまる木枠と、その上に自立する紙芝居舞台。これをそのまま自転車の荷台に載せれば、まんま街頭紙芝居屋である。

 思えばここまで来るのに、何年かかったろう。

 や、実をいえば「ここ」まで来るとは、最初は思っていなかったわけであるが。

 最初に作ったダンボール製の紙芝居舞台、2代目の木枠の紙芝居舞台はともにテーブル(あるいはイーゼル)に載せる形だったわけであるが、この方法で一番困る(時間がかかる)のは移動とセッティングである。

 今回はその点を解消するために、固定の台にも、自転車の荷台にも対応できるような造りにしてみたわけである。移動も出来るし、自転車が入れない(室内で、土足禁止だとか)ところでもほとんど変わらない状態で出来る。

 ま、遠方の会場では外であっても(ボクが車の免許を持っていないせいで)自転車を持っていけないので、テーブルにせざるを得ない、とか、問題が完全になくなったわけではないが(移動は前よりちょっとだけ大変になったw)、自転車は現場で借りる、という手もある。

 あとは、現場をこなすこと(実際に紙芝居舞台を使うこと)で改善すべき点を見つけていきたいと思っている。

 先日の下北沢でのライブが初お披露目となったのだが、今のところ、紙芝居を差し込む木枠は台となる木枠(これを折りたたみケースの上にはめこむ)にくっつけているわけでないので、その辺の安定性にちょっと問題がある(支障をきたすほどではないが)と思われる。

 あとは、自転車に載せてどんな感じなのか、そのあたりを確かめてみたいと思っている。

 今週末は野外イベントである。そのイベントでの反応を見て、以前から考えていたことをそろそろ(いい加減そろそろw)実行に移したいと考えているのだが。また、来月は初めての場所(都内)でのイベントが控えており(詳細は後日)、例の「バーで紙芝居」は来月頭に延期になってしまったのでまだ未見であり、その翌月には浅草で紙芝居のイベントがあるのでそれを見に行こう、などと考えていたりもする。オリジナルの原作に現役の紙芝居絵師の方が担当した作品を講談師が語る、という考えただけでワクワクする企画である。これについても、後ほど詳しく♪

 そんなわけで、続きは明日のお楽しみ!

2007年05月21日

第111回『You are my home』

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劇団上海自転車主宰(拠点・愛知) 中野菜保子

 少しの間、東京へ行くコトになった(劇団上海自転車HP参照)。

 劇団全体ではなく個人的に、というコトで、仲間がささやかに(というと失礼だし、かといってそう大げさでもない)壮行会を開いてくれた。

 とはいえ、飲んでしゃべっているだけなので、そういつもと変わりはない。が、それがいい。

 旗揚げした当初、ウチの劇団はどうあるべきかと考えたときに―以前もコラムに書かせて頂いたが―みんなにとっての“家”であればいい、と考えていた。

 休んでも抜けてもいつでも戻ってこられるような場所。家族だと近すぎるけれども、例えば、ハリネズミの針と針の間にいるような、微妙だけれども何故か安心するような場所であればオモシロい、と思っていた。

 だからこそ微妙にうまく変化しつつ、いつも、いつまでたっても変らない場所を作りたいと努力している。

そういう意味で、いつもと変らない飲み会というのが自然でいい。

 帰る場所があれば安心して戦える。そう思って続けていたものが、トツゼン家主のワタシがしばらく留守にするコトになるとは。人生はそういうところがオモシロい。

 いろいろ悩んだものの、結局、これもこれから先に進むための1つの変化であると考えるコトにした。
 ワタシの人生における、すべての特別な出会いを無駄にしないためにも変化していかなければならない。そして変らずにいなければならない。

 しばらく留守の“家”はみんなで守ってくれるだろう。否、“家“というのは、”仲間そのもの”であるのだろう。

 ワタシは少しだけステキに変化したジブンを持って帰ってきて、みんなに感謝し、またジブンたちの“家”をステキに飾り、変わりつつ変らない“家”を保ち続けるのがいいのだろうと思う。

2007年05月17日

87、あめのひのウタ

砂糖マキ
コスモル代表 砂糖マキ

雨の日は誰もいないから
夜中に着飾らないでコンビニへ。

パパの靴をはいて
いっぱいの想いをしずくにつけて。

たくさんの大好きを着飾ってコンビニへ。

買うのはビールだけ
いっぱいの想いをおつまみに。

おっきい靴がぶかっこうだけど

だって雨の日は誰もいないから。


※お久しぶりです。砂糖マキです。
まよったり、なやんだり。色々ありますが、やっぱり明日を生きてます。
不器用で伝える術は相変わらず持ち合わせてないので、やっぱり次に会うのは舞台の上だと思います。
See You・・・・

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